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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第七章 大人になり損ねた子供たち

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鈴の音が鳴る夜

 ヒナの日常は、とても忙しい。

 学校に行けば、たくさんの友達がいる。授業は難しいけれど、それなりに楽しい。チャイムが鳴ると校庭に出て、鬼ごっこをする。

 ヒナは足が速いから、鬼になることはあまりない。でも、たまに追いかけたくて、わざと捕まるふりをした。

 夕日が校庭を赤く染めるころ、急いで帰らないといけない。

「ただいまー!」

 玄関を開けると、夕飯のにおいがする。お母さんが台所から「おかえり」と返してくれる。

 カレーも、プリンも、スイカも、ヒナの大好物ばかり並んでいる。つまみ食いをしようとすると、お母さんが笑いながら叱る。

「お父さんが帰ってきてからでしょ」

 しょうがないから、お父さんを待つ。しばらくすると、玄関の戸が開き、ヒナは駆け寄って――

「……お前の番だ」

 ――ぱちり。

 泡のように、現実がはじけた。

 薄暗い部屋。藁の匂い。腐った食べ物。血のにおい。家畜のように押し込まれた子供たちの中で、ぼろぼろのヒナの手を白い着物の人物がつかむ。

 顔は白布で覆われ、見えない。鳴る鈴の音。


***

 教室の窓際で、ユイはじっと空を見ていた。

 ノノが声をかけても、返事がない。

「ユイちゃん?どうしたの」

 まるで、ここにいないみたいだった。

 他の生徒たちも同じように、誰かの見えない指令に従うような、機械的な動きをしている。

 ぱちん、と誰かが同時に立ち上がり、ほぼ同じテンポで歩き出す。

 ノノは一瞬、ぞっとする。

 とっさにユイの手をつかむと、ユイは目を瞬かせた。

「……あれ?」

 ノノはうすうす感じていた。ユイだけじゃない。この異常は、もっと広がっている――。


***

 校舎の裏、シンは壁に背をあずけながら旧校舎を見つめていた。

「……動いたな」

 視線の先には、タクミの姿。

 普段と違う道を選び、導かれるように古い校舎へと向かっていく。タクミは歩きながらも手帳から目を離さない。

 シンは静かにあとを追った。やがてたどり着いた古びた教室。タクミが中に入るのを確認し、廊下の窓から中をのぞく。

 本棚には古い本が並んでいたが――タクミも、レイの姿も見当たらない。

「……部屋、間違えたか?」

 その時、不意に背後から声がする。

「ここは、生徒立ち入り禁止の場所だよ」

 ナオが、微笑みを浮かべて立っていた。


***

 薄暗い教室。ヒナは虚空を見つめていた。

「……気が滅入るだろ、何もせずにじっとしてるのは」

 レイがそう話しかけても、ヒナは応えない。ただ、静かに目を向ける。

「俺は、ずっとこんなとこにいて気が滅入る」

 レイの言葉に、ヒナはゆっくりと瞬きをした。

「……ずっと考えてるの。おいしいご飯のこと、お父さんやお母さんのこと」

「どんな人だったんだ?」

 ヒナはようやく、レイをしっかりと見た。

「……思い出すことが救いとは限らない。ねぇ、レイ。知りたいのは“事実”? それとも“幻想”?」

 答えになっているのかどうか分からない言葉。

 ヒナは、ふっと目を細めた。まるで自分に言い聞かせるように。

「記憶って、妄想に似てるよ。自分に都合のいい場面だけを継ぎ接ぎした夢。……痛みのない過去なんて、きっと嘘」

 そして、ヒナの瞳に、かすかな揺れが灯った。

***


 ――あの部屋のにおいは、今でも鼻につく。

「今日は、お前の番だ」

 “家畜部屋”と呼ばれるその場所には、名もない子どもたちが詰め込まれていた。

 湿った藁、腐った食べ物、血のにおい。

 ヒナは小さな体を硬くして、他の子どもたちと肩を寄せ合っていた。

 そして、毎晩、鈴の音ともに、次の番を指定する声がする。

 白い服をまとった人物が、ひとりの子供の前に立つ。

「…いや、しにたくない」

 涙に濡らした小さな子供の手を、白い塊は容赦なくつかむ。

 引きずられていく音。遠くなる声。

 泣き叫ぶ子。静かに立つ子。うずくまる子。

 次は自分かもしれない。恐怖に支配されていく。


「いい血筋の子を捧げた家は、病から守られる」

 ある日、そんな“噂”が広がった頃から、呼ばれる頻度が減った。ヒナはそれに安堵した。

 けれど――

 「……まだ足りない、汚い子供でも捧げないよりましだ」

 今度は罵られながら、子供たちは連れていかれた。


 ヒナは、ある日から感情を閉ざした。恐怖することに疲れたのだ。

 朝が来ても、夜が来ても、ただ壁を見つめていた。

 そして、心の中で何度も繰り返した。


(今日は母さんと市場に行って、おやつを買ってもらった。帰ったら、おいしいスープがあって、夜はお風呂に入って、明日は友達と遊ぶ)


 自分がいないはずの、温かい記憶。

 架空の、ありえない日常。

 ――それが、ヒナの唯一の「現実」だった。

 その日、鈴の音が鳴った。


「次は……お前だ」


 ヒナは、静かに立ち上がった。


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