洞窟から見える夕日
「町はずれのおばあさん、亡くなったらしいよ」
「最近、ほんと多いわね……」
井戸端で、女たちがひそひそと噂を交わしていた。
村に、疫病が流行りはじめていた。
最初は咳と微熱だった。だがすぐに、熱は引かず、皮膚は斑にただれ、意識すら奪われていく。
この村は小さく、病院は遠い。薬も、人手も、何ひとつ足りなかった。
そんな中、誰かがぽつりと口にした。
――生贄を捧げれば、病は鎮まる。
――昔も、そうしていた。
――神に捧げた家は、守られる。
最初は笑い話だった。だれもが、そんな馬鹿げた迷信を相手にしなかった。
だがある晩、誰かの娘が密かに“差し出された”という噂が広がった。
するとその家の病人が、翌朝には快復したという声が村中を駆けめぐった。
どの娘だったのか、どの家だったのか、誰も確かめようとしなかった。
ただ、不安と恐怖は、人を簡単に信じさせる。
翌朝には、二人目の生贄の話が出た。
今度は、村の外れで使われていた名もなき子どもだった。顔すら知られていない子だった。
病は止まらず、噂だけが“真実”のように育っていった。
***
「……お父さんも、お母さんも、もうダメみたい」
ある日、メイが泣きながらユイの家にやってきた。
メイの家にも、ついに病が忍び込んだのだ。
母が倒れ、父も静かに衰弱していく。
いつもは強がっていたメイの声が、今にも壊れそうだった。
ユイは、そっとその背中に手を置いた。
***
「ユイ、夕日を見に行こう」
数日後、メイがふいに言った。
村の近くの祠がある洞窟では、夕日がきれいに見えることで知られていた。
「あそこって、変な言い伝えなかったっけ? 振り返っちゃダメとか」
「うん。でも……お母さん、夕日が好きだったの。もう見に行けないから、絵に描いて、見せてあげたいなって」
そう言って、メイはスケッチブックをぎゅっと抱きしめた。
「メイ、絵、下手じゃん」
ユイは少し笑いながら言った。
「だから、一緒に描いてあげよ」
***
ユイが目にした光景は、夕日の赤ではなかった。
光る水晶。
白を基調とした長衣をまとう神職たち。
深緋の古びた絹に身を包んだ巫女たち。
鈴の音が、洞窟の天井に反響していた。
儀式を見守る村人たちは、皆、顔を白布で覆っていた。
中央には、銀色の羽織をまとい、顔を隠した子ども――「カガミ様」が座っていた。
炎があちこちに焚かれ、洞窟の中を不気味な赤で染めていた。
「……なに、これ」
呆然と立ちすくむユイの背後から、メイの声が聞こえた。
「今までの生贄、奴隷の子だったから……効かなかったんだって」
落ち着いた口調。でも、奥底に何かが揺れていた。
「良い家の血を引く子を差し出した家は、神に守られるって……そう聞いたの。ユイのお父さん、村長の親戚でしょ? 」
意味が分からなかった。いや、分かりたくなかった。
まさか。メイが、そんなことを――
「……もう誰も、いなくなるのは嫌だったの」
メイの言葉と同時に、ユイはゆっくりと振り返る。
そこには、苦しそうに眉をひそめたメイがいた。
「……ねぇ、どういうこと? 夕日、描きに行こうよ」
ユイは震える声で問い、メイの両腕をつかんだ。
メイは、目を閉じ、ユイの手をそっと握り返す。
そして、静かに言った。
「……振り返っちゃ、ダメだよ」
その言葉と同時に、メイはユイの手をほどいた。
***
レイは、遠くから誰かの言い争う声を聞いていた。
「……なんでお前はいつも、見てるだけなんだよ」
怒鳴り声に、脳が揺さぶられる。まぶたの裏にまだ重たいものが貼りついている感覚のまま、レイはゆっくりと意識を浮上させた。
「だから。だからこうして、不穏なものを察知したら眠らせられるようにしてるって、何度も言ってるじゃない」
「遅ぇんだよ……いつも。こうなったあとじゃ、意味ねぇだろ」
重なり合う怒りと苛立ちの声。その中心に、カナメとナオの姿があった。
レイが目を開けたとき、二人の視線が一瞬こちらに向いた。
「……起きたか」
そう言ったのはナオだった。感情の温度が読めない声だった。
「……!」
次の瞬間、カナメがレイの腹を蹴り上げた。
「……っ!?」
息が詰まり、反射的に体を折る。
「カナメ!やめろ!」
「だめ!落ち着いて!」
すぐにタクミとヒナが止めに入る。
「……お前は……!」
カナメはなおも何かを言おうとした。だがそのまま、言葉を呑み込んで、ぎり、と歯を噛みしめた。
その目には、怒りだけじゃない、何か別の色も混ざっていた。
レイは、まだ朦朧とした頭で、周囲を見回した。
――ユイの姿は、もうなかった。




