反射と欠落
シンとノノは教室を歩きながら、壁に貼られた時間割や備品の一覧表、黒板の記録を丹念に読み込んでいた。
「変なルールばっかり……」
ふと、窓に映った教室の反射が視界に入る。
そこに――明らかに、頭部が“抜け落ちた”人影が混ざっていた。
「……っ」
ノノが息を飲む。
「今の……見えた?」
「……ああ、頭、なかった」
どうやらシンにも見えていたらしい。その瞬間、背後から声がかかった。
「ねえ、今日、お昼一緒に食べてもいい?」
ユイだった。いつの間にか、彼女は教室の入口に立っていた。
「い、いいけど……」
ノノが応えると、ユイは嬉しそうに笑った。
***
見張りが交代の時刻になった。タクミが教室を出ていく。教室に残ったのはカナメだった。制服の襟を崩し、無言で壁際に腰を下ろす。
レイは、手首の痛みに眉をひそめながらも、カナメに話しかける。
「……話しても、いいか?」
カナメは答えない。視線すら寄越さない。
「変なルールばっかだな、ここ。廊下は振り向くなとか、名前を呼ばれても返事するなとか。タクミにいたってはスケジュールに“未遂”ってメモまでするし……誰のための記録なんだ?」
沈黙。カナメまるで誰もいないかのようにふるまうが、レイを意識してるのが感じ取れる。レイは続ける。
「お前は、従ってるって感じじゃないな。……それとも、従ってるフリか?」
ようやく、カナメの口が開いた。
「……そんなおしゃべり、得意じゃないくせに、無理すんなよ」
カナメの声は乾いていた。敵意よりも、警戒がにじんでいた。
レイは笑った。
「お前が一番、話がわかるやつだと思ってるからな」
カナメはわずかに目を細め、天井を見上げる。
「……お前みたいな浅はかなガキの頭、欲しがるなんてさ。ほんと、狂ってるよな」
そして、ぽつりと続ける。
「ああ、そんなの最初からか」
まるで、わざと何かを漏らすような口ぶりだった。
そのとき、窓の反射がレイの目に入った。
カナメの姿がガラス越しに映っている――いや、“映っていない”。そこにあるはずの頭が、たまに、ふっと抜け落ちるように消えるのだ。
レイは思わず視線をそらす。その姿にカナメは静かに笑った。
「…もう限界なのに、往生際悪いよな。みんな」
***
「ここの学校、ちょっと変でしょ?」
ユイは栗毛の二つ結びの毛束を揺らしながら言った。
「変どころじゃねえ、異常だろ」
シンの無骨な言葉に、ノノは制止するように、ユイに質問した。
「…レイくんって知らない?一緒に転校してきたけど、いなくなっちゃって」
ユイはサンドイッチを頬張ながら、少し目を細めた。
「…知らないなぁ、ふたりのおともだち?」
先ほどまでの明るいトーンと違い、少し重たさが混じっていた。
「友達ではねえ」
「あはは…ともだちだよ」
シンの言葉を訂正するようにノノが再び慌てて答える。
「…仲良しなんだね、いいなぁ」
ユイは、羨ましそうに二人を眺めた。そして静かに続ける。
「私友達いないから、羨ましい」
「…一緒にごはん食べたら、割かし近いところにいると私は思うけど」
さみしそうなユイにノノが返すと、ユイに笑顔が戻る。
「こうして二人とご飯食べられるの、すごくうれしい」
そう言って、ユイはノノの手をそっと握った。
そのとき、窓のガラス越しに映ったユイの姿――そこにも、“頭”はなかった。
***
校舎の最上階。施錠された学長室。
そこは、誰も踏み入ることのできない場所だった。ただ一人を除いて。
部屋に入ると、ナオは素早く鍵をかけた。
まるで、誰にも知られないようにするかのように。
薄暗い室内。豪奢な椅子に、小さな、頭のない人影が静かに腰かけている。
乾いた皮膚は張り付き、瞳孔はうつろに開いたまま。
――それでも、まるで「まだ何かを見ている」ようなその姿。
「……おまたせ、ナオ」
ふ、と、空気がわずかに震えた。




