医療調査機構
轟音と風の唸りが、遠く車内にも届いていた。
「……何の音?」
先頭車両でスケッチをしていたニアが、小さく顔を上げる。 アサヒも異変に気づき、車窓の向こうに目を凝らした。
――屋根の上で、何かが動いている。
「レイ……!」
アサヒが慌てて後方へ駆け出す。ニアもその後に続いた。
扉の向こう、最後尾の車両に着いたときには、すでに戦いは終わっていた。 頬にかすり傷を負ったレイと、肩に傷を負ったキサラギが、屋根の縁に立っている。 その隙間から差し込む夕光のなか、煙草がふわりと舞い落ちていた。
列車が停車し、一行は線路脇に設けられた小さな施設へと案内された。
そこは「医療調査機構」の臨時連絡所。 正規の医師が数名、その他は全員が武装した調査員だった。
「――ここが、組織の連絡拠点か」
レイが静かに言うと、キサラギが鼻先で笑った。
「坊ちゃんには、すこし刺激が強いかもしれないけどな」
廊下を歩きながら、キサラギは振り返る。
「公での名目は“医療調査機構”。だが、実際は制圧・記録・サンプル回収が本業だ。 医者が同行するのは、感染症や“異常個体”の処理のためだ」
そして、振り返らずに続ける。
「……弟、お前は調査員医師見習いから始めてもらう」
その言葉に、周囲の正隊員たちが一斉に目を向ける。 空気がざわつく中、キサラギは火をつけた煙草をくゆらせながら周りに鋭い眼光を向ける。
「俺の推薦だ。……問題あるか?」
一瞬の沈黙。 誰も、それ以上は何も言わなかった。
キサラギはアサヒに視線を向ける。
「もちろんヒーラーの養成所には通ってもらう。現場にも同行する。逃げ出したくなったら、逃げていいぜ」
「……逃げません」
アサヒの目は、静かに燃えていた。
一方、レイは黙ったまま、隊員たちの顔を見渡していた。 ごろつき同然の風貌の者ばかりで、母が見れば即発狂しそうな連中だった。
本当にこいつら、公務員なのか――。
キサラギが近づき、肩を軽く叩く。
「おまえは賢い分、身体の使い方や判断力がある。変な感情に流されなきゃな」
「……」
「そんなお前には合気道はぴったりだったわけだ。習わせてくれた親に感謝しろよ」
その言葉に、レイの目がわずかに見開かれた。 ――昔、父が言っていた。「お前には力で戦うよりも、力を利用する方が向いている」と。
レイは父の形見である剣の柄を、無意識に握りしめた。
「選んだのは、おまえだ。だったら使いこなせ。口よりも動きで示せ」
その日の夕方。
正式な手続きが済み、アサヒは「調査員医師見習い」として、医療班付きの現場同行が許可された。 レイは、キサラギ直属の小隊に配属された。
制服も階級もないが、ふたりはもう“外の世界”に立っていた。 列車に乗ったときとは違う―― 目に見えない、重さと責任が背中に宿っていた。