廊下の向こう
ナオに導かれ、レイは無言で廊下を歩いていた。
異様に長い廊下だった。蛍光灯は等間隔で並んでいるのに、足元まで明るくはならない。まるで、光そのものが息をひそめているようだった。
コツ、コツ……。
靴音だけが、やけに大きく反響する。
不意に、制服を着た誰かとすれ違う。
――その人影の“頭”だけが、窓に映っていなかった。
一瞬で通り過ぎてしまい、レイには確かめようがなかった。
ふと視線を壁に向ける。
掲示物の数々が、すべて裏返されていた。白紙の裏面だけが見えるよう、丁寧にテープで四隅を留められている。何かを“読ませない”ための処置のようだった。
「……ここって、本当に学校か?」
呟いた瞬間だった。
何気なく振り返ろうとしたレイに、ナオがピタリと歩みを止める。
「――振り返っちゃダメ」
低く、けれどはっきりとした声。
それは耳元に風のように届いて、皮膚をぞくりと震わせた。
ナオは表情を変えないまま、わずかに首を横に振った。
やがて、図書室の前にたどり着く。
扉は木製のはずなのに、押してもびくともしない。レイとナオが二人がかりでようやく、ゆっくりと開けた。
ギ……ィ……。
空気が一変した。
こもった湿気。埃と古い紙の匂い。それに混じって、微かに焦げたような異臭。
書棚が、迷路のように立ち並ぶ。
ナオは無言のまま進む。レイが後を追うと、書棚のひとつが不意にカチリと音を立て、横にスライドした。
――その奥に、暗がりが現れる。
密室のような空間。
そこから、ひとつの影がゆらりと浮かび上がった。
黒い服をまとった青年。長い前髪が片目を隠し、残った片目でレイをじっと見つめている。
「もう来たんだね。早かった」
ナオが呟いた。
青年はわずかに口角をゆがめる。
「…そういうお前は遅かったな、”カガミ様”」
青年が皮肉げに言葉を放つ。
「……」
レイが無言で二人を見やると、ナオはふっと一歩、前に出た。
先ほどまで隣にいたはずの距離が、急に遠くなる。
部屋の中央には、水晶のような球体が置かれていた。そこから、うすく煙が立ちのぼっている。
ナオが、手をかざす。
すると煙はゆっくりと渦を巻きながら、レイの腕に巻きついた。
「…悪いようにはしないからさ」
レイが目を凝らすよりも早く、意識が深い水に沈むように、崩れていく。
――夢か現か、判然としない。
けれど、どこかで“知っている”感覚があった。
それは、遠い記憶の底にある、忘れられた闇だった。
***
燃え盛る真紅の中、一人の人物がそれを眺めていた。
手に収まる水晶も周りの赤を映し出していた。
「…」
銀色の衣を揺らしながら、眺める人物にすでに表情はなかった。
燃え盛る炎のなか、ひとりの影が立っていた。
真紅に染まる空を、無言で見上げる。
その手の中、水晶の球が静かに光を返していた。火の色を映した球体の奥で、何かがうごめいている。
衣のすそが、炎の熱風に揺れている。
銀糸のように光をはね返すその布は、まるで人の衣ではないようだった。
影に、もはや表情はなかった。
ただ――焼かれる音を、見つめている。
衣装とは裏腹にそこにいたのは確かにただの子供だった。
何かが終わった気がした。
そして同時に、何かが始まってしまったようにも思えた。
***
チャイムの音が鳴った。
午後の柔らかな光が教室を満たしている。
窓際のカーテンがかすかに揺れて、机の上に影がゆれる。
「……レイ、まだ戻ってこないね」
ノノがつぶやいた。
昼休み明けの5時間目。レイの席だけがぽっかりと空いている。
「あやしいな…」
シンが訝しげに眉を顰める、どこか落ち着かない。
ノノは教師に声をかけた。
「あの……レイが、昼から来てないみたいなんですけど……」
担任は一瞬、怪訝な顔をしてから答えた。
「……レイ?」
「はい。転校してきた子で、窓際の――」
「ああ……?」
教師は眉を寄せ、出席簿を開く。
「……君たち、誰のことを言ってるんだ?」
「え……レイです。一緒に転校してきた……」
「このクラスに、そんな子はいないよ?」
だが、担任は静かに首を振った。




