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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第七章 大人になり損ねた子供たち
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はじまりの教室

 地面の冷たさで、レイは目を覚ました。

 指先がじんじんとしびれている。原因は、床の木の板だった。冬のように冷たく、湿っていた。

 ゆっくりと上体を起こす。

 そこは、教室だった。

 だが、普通ではない。

 黒板はチョークの落書きでびっしりと埋め尽くされている。

 周囲には、五人の少年少女がいた。彼らの表情はどこか他人事のようで、けれどレイをじっと見ている。

 レイは気づく。

 両手首と足首に、おもちゃの手錠がかけられていた。がちゃり、と動かしてみるが、意外に外れない。

「ねえ、レイくん。逃げちゃダメだよ。ここにいて」

 栗毛の髪を、耳の下あたりで二つに結んだ少女が、笑いながら言った。

 言葉の端に、どこか寂しさのようなものが混ざっていた。

 その後ろに、小柄な少年がいた。

  細い眼鏡の奥で、無表情に黒板を横にスライドさせる。

 キィ……と音を立てて動いた板の裏には、鏡があった。

 レイは、その鏡に目をやった。

 そこに――自分の姿が映っていた。頭が、ちゃんとある。



***

 チャイムの音が、遠くで鳴っていた。

 白い靄が立ちこめる坂道を、レイ、シン、ノノの三人が歩いていた。全員、同じ制服。胸元には新品の学生証が揺れている。それはありふれた転入の光景のはずだったが――どこか、皮膚の下がむず痒くなるような空気が漂っていた。

「なんか、変な空気だな……」

 シンがぼそりと呟く。ノノも無言で頷いた。

 正門をくぐった瞬間、空気の密度が変わった。

 ざわり、と。肌の内側をなにかが這い回るような感覚。世界が一段階、無音に沈む。

 三人は校舎へと入り、指定された教室の前に立った。扉には、うっすらとチョークの手跡が残っている。

 キィ……

 ドアを開けた、その瞬間。

 教室中の生徒が、一斉に顔をこちらに向けた。

 誰も声を発さない。誰も瞬きをしない。けれど、全員の顔が――全く同じように、笑っていた。

「……みなさん、今日から一緒に学ぶ新しい仲間です」

 担任の教師らしき男が言った。笑顔が、顔に貼りついたようだった。

「座って、くださいね。あらかじめ、席は決めてありますから」

 三人の席は、教室の一番後ろ――それも、どれも妙に“使い古された”形跡があった。

 机の脚は擦り切れ、椅子の背には誰かの爪跡のような傷。

 そのとき、教室の前方の掲示板が目に入った。

 そこには手書きの校則が貼られていた。


・廊下は一方通行です。振り返らないこと。

・教室では時計を見ないこと。

・自分の名前を呼ばれても返事をしてはいけません。

・下駄箱は左足からいれること。


 異様な掟に、三人は眉をひそめた。

「……なんだ、これ」

 シンが低く呟く。だがその声にも、誰も反応を示さない。生徒たちはすでに視線を外し、まるで合図でもあったかのように一斉にノートを開いていた。

 だがそのノートには――何も、書かれていなかった。

 無地の白紙。文字の一片さえない。


「…あと、レイ君は、放課後に図書室に来てください」

 教師は変わらぬ笑顔でそう言った。


***

 チャイムが再び鳴ったころ、レイは先ほどの教師の言葉を思い出した。

 何も書かれていないノート。意味をなさない黒板の文字。

 不審に思いながらも、席を立つ。

「…大丈夫か」

 隣のシンが、低く声をかけてくる。レイは黙って立ち上がった。


「図書室の場所、わかんないでしょ?案内するよ」

 そう言って声をかけてきたのは、きれいな顔立ちをした人物だった。長い睫毛、やわらかく笑う目元。男とも女ともつかない印象。

胸の名札には――《ナオ》と書かれていた。

「ナ…」

 レイがその名を呼びかけた瞬間、ナオはすっと指を唇に当てた。

 静かに、首を横に振る。

 レイははっとして掲示板を思い出す。

 ――「自分の名前を呼ばれても返事をしてはいけません」

「……ありがとう。案内、お願いしてもいいか」

 レイが言うと、ナオはにこりと笑って頷いた。

 レイが立ち上がるのに合わせて、シンとノノも立ち上がろうとした、そのときだった。

「こんな田舎の学校に転校だなんて、めずらしいですね」

「ね! うれしい!」

 声の主は、『タクミ』と書かれた長身の少年と、『ユイ』と書かれた栗毛の少女だった。

 二人は、まるで“出番”を待っていたかのように、三人の前に立ちはだかった。

「……行こうか」

ナオが静かに言った。

その声には、どこか、拒絶できない重みがあった。


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