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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第六章 打たれ、歪み、熱されて
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小さな大人

 静まり返る部屋の中。

 机の上に、ことり、と黒い指輪が置かれた。

 冷めたコーヒーが、より一層部屋の温度を下げたかのように感じた。

 クロガネは悲しそうに眉を顰める。

「家のことが嫌になったか?それとも、子育てがしんどかったか?……ほかに好きな男でも、できたか」

 静かな空気に耐えきれず、言葉を紡ぐ。どれも見当違いだと、自分でも分かっていた。

「……最後まで、そんなことしか言えないのね」

 シノの声がひどく遠くに感じられた。

 最初から、無理だったのかもしれない。

 自分を守ることしかできないのに、人並みに愛したり、誰かを大事にしたり、守ったりなんて。

「私たちが、一緒にやっていこうだなんて……最初から、無理だったのよ」

その言葉を聞いた瞬間、現実が喉に詰まる。

ずっと見ないようにしていた言葉が、形を持って突きつけられた。

 シノはじっとクロガネを見ていた。あのときの、光を失った目で。


***


 夜の空気は、夏だというのにやけに冷たかった。

 病院を出たクロガネは、ポケットの奥に握った煙草に火を点けることもできず、ただ立ち尽くしていた。

 静かすぎる夜だった。横ではシノが泣いている。声にはならない、喉の奥で震えるような泣き方だった。

「……また、作ればいい。今回は、運が悪かっただけだ」

 考えた末の言葉が、それだった。

「…また…?…運が悪かった…?」

 シノの表情から、音もなく光が消えていった。

 時間が経つほどに、その言葉の重さが体に沈んでいく。

 ――出来損ないが

 幼いころの教師に言われた言葉が、ふと蘇る。

 その声が、今もどこかで自分の中に残ってる気がしてならなかった。

 ほんの少し、手が震える。

 もしかしたら、全部、自分のせいなのかもしれない、と。


***

 数年後、シノとの間にアカリが生まれた。

 やっと得た二人の子どもだった。可愛がらずにはいられなかった。

「…喘息ですね」

 医者は静かに言った。アカリはよく体調を崩す子だった。アレルギーもあって、気をつけなければならないことばかりだった。


 ある日、町へ出かけた帰り。

 アカリが指さしたのは、カラフルな銀紙に包まれたチョコレートだった。

「ダメだよ、ってママ言ってたろ。チョコは……」

 そう言いかけたとき、アカリの大きな目が、潤んだようにこちらを見上げた。

 再びリフレクションする幼いころの教師の言葉。黒い考えが浮かぶ。

 細い腕、色の薄い唇。

 ――こんなに細くて弱い子にしたのは、自分のせいかもしれない

「……一口だけだぞ。内緒な」

 そう言って、チョコを半分に割って手渡す。

 アカリは顔を輝かせて、ゆっくり口に入れた。


 その夜、時計の針が12を回ったころ。

 寝室に、かすれた息の音が響いた。

「……アカリ?」

 暗がりの中、アカリは胸を押さえながら小刻みに咳き込んでいた。

 肩で息をし、目は潤んで、苦しそうに口を開く。

「くる、しい……」

 クロガネは一瞬、身体が固まった。

 シノが飛び起き、薬と吸入器をあわてて準備する。

「まさか……チョコ、食べさせた?」

 クロガネは答えられなかった。

 アカリが少しずつ落ち着いていく横で、クロガネは静かに膝をついた。



「…私、言ったよね」

 シノの言葉は、ナイフのように、でも、どこまでも静かだった。


***

 黒い星鉄が一筋の光を放つ中、カジはあの時のシノと同じ目でいった。

「…俺たちはさ、小さいころから呪いにかかってんだよ」

 かすれた声だった。かろうじて届くような小さな声。

「他人につけられた価値なんて気にするなって、って言うけどよ。一度つけられた価値ってのはなかなか消えねぇんだ」

 クロガネは黙って、カジの言葉を聞いた。

「お前の言葉がよ、子供のころに言われたこと思い出させんだよ」

 ダメだと、出来損ないだといわれ続けた小さいころの記憶。その毒や呪いは、ずっと大人になっても根強く残っていた。

 そして、大人になるとその毒はすべて自分の毒にかわっていく。

「……お前の顔見ると、どうにもダメなんだ。小さい頃のお前を、忘れてしまう」

 カジの言葉にクロガネは目を伏せていった。

「…隣町に、知り合いの鍛冶場があるんだ。そっちに行かないか。それで気が変わったら、また……俺に会いに来てくれ」

 星鉄に宿っていた光が、ふと、翳り、消えた。

 残されたのは、小さな毒に蝕まれたままの、二人の男だった。


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