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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第六章 打たれ、歪み、熱されて
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星鉄の指輪

 湿った布団のにおい。重たい空気。

 カジは布団を頭までかぶって、まるでこの世界から姿を消そうとしているかのように、微動だにしなかった。

 かすかな呼吸の音だけが、静かな部屋に残されている。カーテンは閉じたまま、昼の光を遮っている。

「……まだ、朝になってねえよ」

 かすれた声が、布団の奥から漏れた。

「朝は、とっくに来てる」

 クロガネは玄関に立ったまま言った。

 言いたいことは山ほどあるのに、喉の奥に詰まって出てこない。

 沈黙が、空気のように重く垂れ込める中で、やっと一つひとつ言葉をつむぐように口を開いた。

「……もう、俺の顔なんか見たくもねぇかもしれねえけど」

 手に持った、黒くて鈍い石――星鉄のかけらが、カーテンの隙間からこぼれた光を受けて、微かに輝いた。

 その輝きが、カジのまぶたの裏に記憶を差し込む。

***

 静かな洞窟に、小さなシノの歌声が、しんとした湿気をまとって響いていた。

 その歌声の切れ間に、シノは静かに言葉を紡ぎ始める。

「……私のおじいちゃん、探掘家だったの」

 放課後。

 クロガネ、カジ、シノの三人は、よく人目のつかない洞窟に集まっていた。秘密基地のようなその場所は、三人だけの、誰にも見つからない王国だった。

「世間にはあまり認められてなかったけど、星鉄を掘り当てたあとで、一気に名が知られるようになったんだって」

「せいてつ……?」

 クロガネが首をかしげると、シノはうなずいて続けた。

「それをおばあちゃんに贈ったんだって。結婚指輪にしてね。……なんか、おしゃれでしょ」

 静かに本をめくるシノの頬には、大きなガーゼが貼られていた。袖の隙間からは、青あざがいくつも見え隠れしている。

 祖父母の話を語るときのシノは、遠いおとぎ話を語るような口ぶりだった。

 その横顔には、いつも少しだけ、寂しさがあった。

「それって……この洞窟で見つけたの?」

 カジの問いに、シノは静かにうなずく。

「お前のじいちゃん、すげぇなあ」

 あたりに転がる黒い鉱石のかけらを眺めながら、クロガネが感心したように言った。

「そうなの、すごい人なのよ、おじいちゃん」

 身を乗り出すように、シノが笑顔を見せる。自然と顔が近づいて、クロガネは顔を赤らめて目を逸らした。

 その様子を、少し離れた場所でカジが静かに見ていた。

「……そろそろ帰ろう。日が暮れる」

 ふと気づけば、洞窟の外は赤く染まりはじめていた。

 このあたりには、夜になると魔物が出る。日が暮れる前に帰るのが、子どもたちの決まりだった。

「……うん、そうだね」

 シノは少しだけ、寂しげな笑顔を見せた。

 あの痛々しいあざが、誰の仕業か――クロガネもカジも、よく知っていた。

 三人は帰路につき、やがて分かれ道に差し掛かる。

 カジと別れ、クロガネとシノの二人きりになる。

 歩みが止まり、それぞれの家への道が分かれようとしたとき、クロガネが不意に言った。

「……なあ、シノ」

 振り返るシノと、遠くからカジもその声に気づいて立ち止まった。

「俺、星鉄を見つける。ぜってぇに見つけてやる」

 クロガネの拳が震えていた。

「そんで……指輪にして、お前にやる!」

 恥ずかしさに声が裏返りそうになって、クロガネは唇をかんだ。

 その声は、洞窟よりも深く静かな夕暮れに、まっすぐに響いていった。

***

 いつからだろう。

 祖父母のことをよく思い出すようになった。

 起きている現実を、少しでも忘れたくて。

 たとえば、母が布団から出てこなくなったこと。

 たとえば、新しい「お父さん」が来ること。

 たとえば、夜になると、母が私を殴ること。

 どこに行ってもいじめられた。学校でも、家でも。

「お前はダメなやつだ」「気持ち悪い」

 そんなふうに貼られたラベルは、そう簡単に剥がれるものじゃなかった。

 でも、たった一人だけ。私をお姫様のように扱ってくれた人がいた。

 彼は、お花を扱うみたいに優しかった。

 一緒にいるとき、私はそっと祖父の日記を置いた。

 あえて、約束の歌を口ずさんでみたりもした。

 あのときの約束を、彼が思い出すように。

「……約束どおり、持ってきた」

 彼が笑って差し出した手には、無骨な形の黒い指輪が握られていた。

「……私たち、まだ子どもだから結婚できないよ」

 私はそう言って、笑いながらその指輪を受け取った。


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