待ち人
──カン、カン、と鉄を打つ音が、作業員が帰った後も鍛冶場に響いていた。
「クロガネさんも、星鉄とったことあるんだね」
最近恒例になっているアサヒの来訪にもう顔色一つ動かなかった。
「……カジから聞いたのかよ」
「そうだけど……そうじゃない、かな」
「ったく、余計なこと言いやがって……」
クロガネは鉄のカケラを打つ手を止め、眉をひそめた。まるで知られたくなかった過去のように。
「ねえ、クロガネさん。僕、星鉄、取るよ」
「……何言ってんだよ。そんなヒビ入ったポンコツ刀でか? ガキはさっさと諦めて、故郷帰んな。ママが心配してるぜ」
「……決めたんだ、僕」
その声にクロガネが顔を上げると、アサヒの姿はもうなかった。
「……勝手にしろ」
吐き捨てるように言いながらも、胸の奥がざわつくのを、クロガネは誤魔化せなかった。
***
その夜、アサヒはニアと並んで、洞窟に立っていた。月は雲に隠れ、光は乏しい。滝の音だけが響いていた。
「アサヒ、大丈夫?」
壊れかけの刀を握る手に、少しだけ震えがあるのをニアは見逃さなかった。
──カサッ。
洞窟の奥から響く不審な物音。すぐに、それは現れた。奥から、ギラリとふたつの光がみえた。ゆっくりと這い出る黒く、煙のように輪郭のあいまいな魔物。その存在は重たく、冷たく、ただそこにいるだけで恐怖を引きずり出す。
「来た……っ!」
アサヒが前に出る。刀はまだ直っていない。
手にしたのは、そこらの木の枝を削っただけの棒だった。ニアもスケッチブックを握りしめた。
魔物が吠える。その声を合図に、洞窟の奥の光が複数見える。
そして次の瞬間、巨大な爪がアサヒたちを襲う――
ガキィィィン!
「……ったく、見てらんねぇな」
闇の中から、鋭い金属音とともに影が飛び込んできた。
「クロガネさん……!」
「俺んとこはな、修理中は“代理刀の貸し出し”もサービスなんだよ」
そう言って、一本の刀をアサヒに放る。
アサヒが咄嗟にそれを受け取ると、しっくりと手に馴染む感覚が走った。
「へへ……ありがと」
「いっとくが修理代に上乗せしとくからな」
二人は並んで構えた。
魔物は唸り声を上げながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。
アサヒは斬りかかる。動きは粗い、でも気持ちはこもっている。
「…おま…そんなんで挑もうとしてたのかよ」
あまりのアサヒの未熟さに、クロガネは驚愕した。
クロガネも魔物を薙ぎ払いながら、アサヒの背中につく。
「…俺も戦うのは本業じゃないぞ」
「…僕もお医者さんなんだよね」
そんな軽口も今は、何一つ面白くなくなかった。
「…日の出ギリギリにきたから、二人とも耐えて!」
ニアの声を聞きながら、何度もはじかれる剣に二人とも押されていた。
何度はじいても現れる魔物に限界を感じていた時だった。遠くの空がほんの少し赤らんだ。
「歌え!早く!!」
クロガネが叫ぶ。
「う、うん!」
ニアが震える声で歌いはじめる。
あの、かすかに懐かしい旋律。
でも、刀は……光らない。
「なんで……?」
アサヒが焦る。刃が重くなる。魔物が再び襲いかかる。
その時、クロガネが低くつぶやくように口ずさんだ。
「……シノはいつも、そこ歌詞間違えんだよ。正しくは、こっちだ」
彼の声はしわがれていたが、どこか優しかった。
その旋律に、ニアもアサヒも息をのんだ。
アサヒの足元が、ほんのりと白く輝く。
「……あ」
刃が、まばゆい光を帯びていた。
その瞬間、魔物が一歩後退する。
光は広がり、夜の静けさを、ほんの少しだけ照らした。
「いまだ!」
アサヒが光の剣を振るう。
刃が魔物を裂き、光の粒子が夜空に舞った。
しばらくの沈黙の後、ニアがそっとつぶやく。
「……朝日、だ」
東の空が、少しずつ色を取り戻していた。
その光が、一つの鉱石と一直線に結ばれていた。
***
シンと静まりかえった放課後の校舎。
「特殊クラス」と書かれた教室の前で、幼いクロガネは両手にバケツを持たされ、ひとり立っていた。
誰も通らない廊下。時間だけが、冷たく流れていく。
「クロガネ、先生たちもう帰っちゃったよ。立たせてること、忘れてるみたい」
終わりを知らせに来てくれるのは、いつも決まってシノだった。
ショートボブの、あどけない顔。けれど目は、どこか大人びていた。
「……俺は、忘れられてなんかない」
こぼれそうな涙をぐっとこらえて、クロガネは言った。
「そうだね。じゃあ、こっちから忘れてやろう」
シノはそう言って、バケツを持つクロガネの手を取る。
その手は、あたたかかった。クロガネは、シノが振り返らないようにと願った。
涙がこぼれてしまっていたから。たぶん、シノは気づいていた。
「先生が……砂鉄を探せって言ったんだ。だから俺はずっと探してて……。時間なんて、何も言われなかったのに」
「うん」
ぽつり、ぽつりとこぼれる言葉に、シノは歩きながら静かにうなずいた。
「チャイムが鳴ったら戻るのが普通だろって怒られて、でも……もう一人、同じように探してたやつがいたんだ。カジってやつ。そいつも怒られて……」
「うん」
「先生が、そいつの足を踏んだんだ。だから俺は言った。“お前が悪い。時間も言われなかった”って。踏み返してやったら……“できそこないは廊下に立ってろ”って」
その言葉に、シノはクロガネの手をぎゅっと強く握った。
「クロガネはできそこないなんかじゃないよ。私がいじめられたとき、助けてくれたのはクロガネだけだった。ちゃんと見てくれる人には、わかってもらえる」
そして、校舎の門にたどり着いたときだった。
門のそばには、ひとりの少年が立っていた。カジだった。彼は申し訳なさそうに、うつむいていた。
「ほら、待ってくれてる人がいる」




