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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第六章 打たれ、歪み、熱されて
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鍋の中のスープ

 扉をたたく音にカジは答えることはなかった。しかし、少しの物音を感じた。

 家の窓の閉められたカーテンの間から、ほんの少しカジの目が光った。

 そして、カーテンは閉められたまま、ほんの少しだけ窓が空いたのにニアは気づいた。


 アカリと顔を見合わせ、窓の近くによる。


「…ごめんね、今、入れる状態じゃ、ないんだ」

 開けられることのないカーテンごしに、カジの声が聞こえた。そして、少し漂う腐った匂い。


「…夢で、みたんだ。カジさんとクロガネさんも星鉄、探したんでしょ」

 カジは少しだけ目を上げるのがカーテンの隙間から見える。

「…歌が、また聞こえた気がしてさ」

 カジはニアに答えようと言葉を紡ぐ。主語もない言葉に何とかニアは話しをくみ取る。

 きっと夢で見た、星鉄を探すための要素。朝日と子守唄。

「でも……メロディーが、思い出せないんだよな。どんな曲だったっけ……」

 少し沈黙が流れる。

 そのとき、アカリがぽつりと口を開く。

「……私、知ってるよ」

 二人の視線が彼女に向く。

「母ちゃんが、よく歌うから。いっつも、小さな声で……料理しながら、掃除しながら……」

 歌は、なくなったんじゃなかった。別の場所で、ちゃんと生きていた。


***

 暗い夜道の中、ニアが宿屋に戻ると、アサヒはすでに部屋にいた。

  灯りは落ちていたが、アサヒは起きていたようで、ベッドの上でぼんやり天井を見ていた。

「クロガネさん、どうだった?」

 アサヒは少し迷ってから、答えた。

「……ちょっと、いつもよりは落ち込んでたよ」

「そっか……カジさんも」

 会話がそこで途切れそうになったところで、アサヒが続ける。

「明日も、夢で探索するの?」

 ニアは、窓の外を一度見てから、小さく笑った。

「ううん。明日は、歌の練習する」

「……え?」

 アサヒの不思議そうな顔が暗い部屋に残った。


***


「光と音に反応して、星鉄は光るんだね」

 アサヒが呟くように言うと、ニアは頷いた。

「そう。ここの村の民謡らしいけど……もう、ほとんどの人が歌えないみたいで」

 その言葉に、アサヒの顔がすっと陰る。まるで、何か大切なものが置き去りにされてしまったような、そんな表情だった。

「でも、歌える人がいたんだ。……クロガネさんの娘さん、アカリちゃんが」

 その名を出すと、アサヒは少しだけ目を見開いた。

「お母さんがよく歌ってたんだって。台所で、小さな声で…」

 静かな間が流れる。アサヒは何かを思い出すように遠くを見つめた。

「……でも、一つ、問題があるんだ」

 ニアが声を低くして続ける。

「朝日を待つには、夜に、あの滝の裏へ行かなきゃならない。……魔物が出る、あの場所に」

 アサヒの顔色が変わった。無言のまま、黙ってうなずく。

「アカリは連れて行けない。危険すぎるから」

「それじゃ……」と、アサヒが言いかけたところで、

「だから、僕が覚えるよ」

 ニアの声が静かに部屋を満たした。

  その瞳はまっすぐアサヒに向けられている。まるで「どうせ行くんでしょ」と言いたげに。


***

 その夜、街の外れの家で、女は薪ストーブの火を見つめながら、静かにため息をついていた。

  鍋の中では豆のスープが、ことことと静かに湯気を立てている。

「……もう、こんな時間」

 そう呟きながらも、心のどこかでわかっていた。アカリがどこへ行ったのか、何を気にしているのか。

(あの子は、放っておけないのよね。あの人に、似て)

 立ち上がって扉の前に歩き、静かな夜の道を何度目かのぞく。

この村の夜はあまりに静かで、あまりに暗い。それは昔から変わらない。だからこそ、不安がよぎる。

 と、草を踏むかすかな音。

「……ただいま」

 小さな声とともに、アカリが戻ってきた。

「もう。遅くなるなら出るときに言っていきなさいって、何度言ったらわかるの」

 声はとがっていたが、その奥ににじむのは怒りではなく、心配と安堵。

「ごめんなさい……カジが心配で」

 アカリのうつむいた頭に、そっと手を置く。

「……そう。あなた、ほんとにカジが好きね」

 くすっと笑ってから、ふと真顔に戻る。

「でもね、目上の人には“さん”をつけるの」

「……はい」

 小さくうなずくアカリに、シノは少しだけ視線を外した。

 かつての夫とのやりとりが、ふとよみがえる。

  クロガネのことは今もよく知っている。彼の優しさも、劣等感も。

  すべてを理解した上で、それでも当時は、あの人の傍にいるには自分が壊れてしまいそうだった。

 けれど今は、こうして娘と共に、静かに暮らしている。 あの頃より少しだけ、まっすぐな心で。

「母ちゃんは、まだ、父ちゃんのこと……許せないの?」

 アカリは少し目を伏せて言った。そんなアカリの肩に手を置き、シノは静かに言った。

「母ちゃんはあの人がやさしいことも、わかってる。……そういうところも、好きだったから。でもね、あの人と母ちゃんは、一緒にはいられないの」

 アカリは、服の端をきゅっと握りしめる。

「あなたができて、母ちゃんは幸せよ。アカリの父ちゃんは、あの人だけ。母ちゃんも、私だけ。でもね、一緒にはいられないの。あの人とは」

 シノはそっとアカリの頬をなでる。

「でも変わらないのは……私たちは二人とも、アカリが世界で一番大切ってこと」

 アカリの目を見て、シノは目を細め、言った。

「…ごめんね、アカリ」

 その静かな声に、アカリは小さく首を振った。

「さ、ごはんにしよう。あったかいうちに食べなきゃ、豆がしょんぼりしちゃうわ」

 笑うシノの声は、どこかふわりとやわらかく、けれど芯のある、母の声だった。


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