親と子供と
カジは、薄くひび割れた天井を見つめたまま、動けなかった。
目を閉じても、あの怒鳴り声が耳の奥で何度も反響する。
「どんだけお前のためにしてやったと思ってんだ!」
あれは幻聴か、それとも本当に言われたことだったのか。
記憶は霞んでいるのに、その声だけが異様に鮮明だった。
(俺のため、か……)
そう言ってくれるうちは、まだよかったのかもしれない。
でももう、あの目だ。
見下ろすような、見透かすような、そして自分自身に言い聞かせているような――
まるで、親と重なるようなそんな表情。
「……やめてくれ。そんな目をするな」
思わず漏れた声の先にいたクロガネは、まるで自分を映したような顔をしていた。
なんだ、おまえも同じじゃないか。なのに、なんでそんなことするんだ。
不意に光が瞬いた。
窓の向こうに差し込む朝日が、視界を焦がす。
まぶたを閉じても、赤い残光が残る。
そして、音が聞こえた。
誰かの足音。いや、金属を叩く音……でも違う。
水音。風。光が反射する、あの音。
(──星鉄の音だ)
わけもなく、そう思った。
脳の奥で、遠い昔に聞いた音が甦る。
滝の裏。水に濡れながら笑ってたクロガネの声。それを追うように響いた、あの子の歌声。
(夢か……?)
気づけば、自分は立ち上がっていた。
でも、そこは家じゃない。
光が揺れている。見覚えのない場所。
濡れた石の上、白い靄。
目の前に、子どもの自分とクロガネがいた。
「……見つけて」
自分たちだったはずの子供が急に、あの子供たちにみえた。星鉄を探すニアとアサヒに
「覚えてるでしょ」
言葉は靄に吸い込まれ、景色が崩れ落ちるように溶けていった――
***
--見つけて
その声と共に、夢の世界が崩れていく。
靄が割れるように闇が広がり、世界が静かに沈んだ。
そのとき、ニアは目を覚ました。
汗ばんだ額に手を当てながら、しばらく天井を見つめる。
(見つけて、って……)
あれはカジの夢だったのか。
それとも、自分が見た夢に、カジが出てきたのか。
境界が曖昧で、判断がつかない。
けれど、ひとつだけ確かだったのは――
朝日と、音。
「……光で、見える」
呟いたその言葉に、自分でも驚く。
言葉が降りてくるように浮かぶ。
誰かが自分の中に、古い記憶を流し込んだかのように。
ニアは立ち上がると、窓辺に近づいた。
あたりはすでに真っ暗だった。
***
「…どうせ、今日も見つからなかったんだろ」
今日も鉄をたたきながら、クロガネは言った。
鍛冶場に響く鉄槌の音の合間、クロガネが背中を向けたままぼそりと呟く。
扉を開けたアサヒに、顔を向けることもない。
「毎日ご苦労なこった。調査員見習いってのは、そんなに暇なのかよ」
嫌味めいた言葉にも、アサヒはにこりと笑った。
「僕は医者見習い、だよ」
その返しに、ようやくクロガネがこちらを振り向く。
「医者?医者が、なんで剣なんて持ち歩いてんだ」
まっとうな疑問に、アサヒは肩をすくめて笑う。
「この剣、『勇者の剣』って呼ばれてるんだ。この手の石の力を使う鍵みたいなものなんだ」
頼りなげな表情に、クロガネは鼻で笑う。
「お前みたいなのが勇者?冗談だろ。そんなガキに何ができんだよ」
アサヒは、少しだけ苦い笑みを浮かべる。
「…僕の母さんも同じようなこと言ってたよ、”何かの間違いだ”とか”あなたみたいなのがが頑張ったら、周りに迷惑がかかる”とか」
クロガネの表情が動いた。しばし沈黙の後、ぽつりと訊いた。
「…その剣、なんで折れちまったんだ」
「これはね、すごく大きな病気みたいなのが、石つきを暴走させちゃって。国全体の人を助けたくて、頑張りすぎちゃった。…全員は救えなかったけどね」
アサヒの目を、クロガネはじっと見つめる。
その目に映るのは、痛みと諦めと、それでも消えない意志だった。
「……お前の母ちゃんはな、大事な息子にそんな思い、してほしくなかったんだよ。
実の息子が、赤の他人のために心をすり減らして、辛い目に遭うのを見たくない。
親ってのはな、世界よりも、自分の子どもがいちばん大事なんだ」
アサヒは一瞬ぽかんとし、そのままクロガネを見上げた。
「なんだ、クロガネって案外優しいんだね」
その瞬間、ゴツン――と彼の拳がアサヒの頭を叩いた。
「痛っ……!」
「バカが移るから、黙ってろ」
不器用な優しさだけが、空気の中に残った。




