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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第六章 打たれ、歪み、熱されて
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虚な目

 滝の近くの岩陰。ニアは水筒をカジに差し出しながら、静かに口を開いた。

「魔物も出るし……心配で」

 少し怯えた口調のカジに、ニアは穏やかに笑う。

「カジさんが教えてくれた通り、日が落ちる前にはちゃんと戻ってるから、大丈夫」

 カジは小さくうなずくと、空を見上げる。

「……昔はさ、あいつ、もっと丸かったんだよ。面倒見が良くてよ。部下からも“話しやすい人”って評判だった。ガネちゃん、って俺は呼んでたけどさ」

 ニアは、ぽつりぽつりと落ちるようなカジの声に、静かに耳を傾ける。

「奥さんが出てってから、変わっちまった。まるで……昔のあいつに逆戻りしたみたいに」

「昔みたい?」

 ニアが問い返すと、カジは水筒を手の中でくるくる回しながら、どこか遠い目をした。

「……ガキの頃さ、いろいろあってガネちゃんも荒れてた。でも今と違って、荒れてたけど、優しかったんだよ。人には優しいタイプでさ」

 しばらく沈黙が落ちる。カジはふっと息を吐きながら、ぽつりと呟いた。

「……ごめんな、こんな話、子どもに聞かせるもんじゃなかったな」

 その言葉にニアが口を開こうとした時だった。

「ニア……どうしよう……」

 二人が振り返ると、そこには青い顔をしたアサヒの顔があった。

「…クロガネさん……怒らせちゃった……」

 その呟きのあと、やけに大きく滝の音だけが響いた。


***

 太陽が登って数時間、鍛冶屋には作業員たちが出勤しはじめていた。

「星鉄取りに行けってよ。ひでぇよな、ほんと」

「しかも谷底のやべーとこ。命あっても骨折れそうだ」

 若い作業員たちが、煙草をくゆらせながら小声で話している。

「俺この仕事ついて3年目だけど、一回も見たことねぇぞ。星鉄なんて……」

「そもそもプロの探掘家でも難しいって言うしな。マジで何考えてんだか――」

「遊んでねえで働け!」

 クロガネの怒声が飛ぶと、全員が一斉に動き出す。

「……あれ? 今日カジさん、来てなくね?」

 誰かの声に、いつもより苛立っているクロガネが眉をひそめた。

「……あ? 寝坊か? カジのくせして?」

 クロガネのその言葉に、誰も返事ができなかった。


***

「アサヒ、僕は寝るよ」

 今日も滝の裏へ向かおうとしたとき、ニアがそう言った。アサヒは絶望的な顔をした。

「あ…あ…ごめん、僕が剣を壊したばっかりに、こんなとこに…付き合わせて…あ、呆れたよね…」

「いや、違くて」

 昨日のこともあってか、ものすごく消極的なアサヒにニアは告げた。

「僕は、僕のやり方で星鉄を探そうと思って」

 ニアは静かな声色でそう告げた。

「僕って予言が得意だからさ」


***


 次の日も、カジは現れなかった。

「クロガネさん、さすがに変ですよ…真面目なカジさんが」

 若い作業員のひとりが、不安そうに声をあげる。クロガネは舌打ちをして立ち上がった。

「……仕方ねぇ、見に行くぞ」

 鍛冶場から近いカジの家へ、数人の作業員とともに向かう。

「おい!!カジ!!何してやがる!!」

 扉を叩いても、返事はない。古い木の扉が少し開いていたので、そっと中を覗く。

 かすかに開いた古い木の扉を押し開けると、中からは重く淀んだ空気が流れてきた。

 埃にまみれた床、転がる空きボトル、カビの生えた皿。食べかけのまま腐ったパンが顔をのぞかせている――。何ヶ月も手がつけられていないような有様だった。中は人が住んでいるのかも、怪しい状態に、クロガネたちは顔をしかめた。

「……あいつ、掃除くらいしろよ」

 呟きながら、中へと足を踏み入れる。寝室の奥、黒い影のように布団を被ったままのカジが、かすかに動いていた。

「お前、無断欠勤してわかってんだろうな!」

 クロガネは怒鳴りながら布団をはごうとするが、手が止まった。布団の隙間から覗くカジの目――虚ろな光のない目に、言葉が失われた。

 あのときと、同じだった。

「……やめてくれ。そんな目をするな」

 クロガネの中で、忘れようとしていた記憶が再び蘇った。

あの夜、妻が最後に見せた目と、同じだった。


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