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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第六章 打たれ、歪み、熱されて
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火の中の声

「…ねぇ、あなたって私の話ちゃんと聞いてる?」

 ――聞いてる、当たり前だ。いつも通り、ちゃんと答えてるだろ? 俺はお前が一番大事なんだから。

 「…大事?」

 ――そうだ、足りないのか? じゃあ今度、いい飯でも食いに行こう。それにプレゼントも久しくしてなかったな。カバンかネックレスか、好きなもん選べ。俺はな、お前が大事だから。

 「…そう、そうね、ごめんなさい」

 そう言って笑ったあのときの顔は、もう思い出せない。浮かぶのは、黒い靄のかかった沈んだ目と、あの夜、扉を閉めて出ていった後ろ姿だけだった。

***

 「おい! さっさと素材持ってこい、水も足りねぇ!」

 鍛冶場にまた怒鳴り声が響く。火と鉄の匂いに包まれたこの場所では、誰もが無言で動き、クロガネの怒気に触れないようにしていた。

 その中で、白髪まじりの細身の男――カジが静かに声をかけた。

 「昨日の子たち……一応、お得意様の調査隊のとこから来たひとだよ」

 カジが慎重に声をかける。

 「知らねえよ」

 クロガネは鉄槌を振り下ろしたまま、鼻を鳴らす。

 「どうせ今ごろ泣きながら帰ってるだろ。ガキが甘いんだよ。剣が大事だぁ? だったら折るなって話だ」

 「でも、素材集めに行くって……谷底は危険だし」

 「そんなもん掘れると思ってんのかよ、あんな覚悟でよ! いいか、カジ。剣ってのはな、命張って初めて戻ってくる。ちょっと頼まれたくらいで動くほど、俺は優しくねぇんだよ」

 カジが何か言いかけた瞬間、クロガネの手が彼の胸倉をつかんだ。

 「……てめぇも、大したもん打てねぇんだから、黙って俺の言うこと聞いてろや」

 言い放つと同時に、つかんだ手でカジを乱暴に突き飛ばす。何も言わずに立ち上がるカジの背に、誰も声はかけなかった。

***

 「……また空振りか」

 滝の裏側でずぶ濡れになりながら、アサヒは岩肌を叩いた。冷たい水が髪を伝い、シャツの襟元にしみこんでくる。

 それは、あまりにも途方にくれる作業だった。クロガネから渡された、資料に示された谷底の滝の裏には、考えられないほど多くの黒い石がこびりついていた。その石は土の壁の中まであった。

 この中にある鉄の塊の中で星鉄をあてる確率は何万分の一だといわれている。

 「観察眼は合ってた。でも岩盤が厚すぎた。別の層を探すしかない」

 ニアの声も、疲れでかすれていた。もう三度目の探索だった。

 「日が暮れるよ。ここは、暗くなると魔物が出る……帰ろう?」

 二人とも戦闘向きでない上に、アサヒは今剣を使えない状態だ。ニアの瞳には、無理を重ねる仲間への心配が滲んでいる。

***

 四度目の夜、アサヒはひとりで工房に足を運んだ。火の灯る鍛冶場の奥から、金属を打つ音がひとつだけ響いていた。

 明かりの漏れる隙間から覗くと、そこにいたのはクロガネだった。ぶ厚い背中が、火に照らされて黙々と動いている。

 「……まだ、いたのかよ」

 「…場所、なんとなく分かってきました」

 アサヒはわずかに強がった。実際は、まだ手がかりすら掴めていない。

 「ふん、そりゃ良かったな。で?」

 アサヒは黙って座り込み、クロガネの作業を見つめた。打撃の音が規則正しく続く。

 「…俺んとこの子供とそう大差ないガキに何ができるんだよ」

 ふいに、クロガネが呟く。視線は火に落としたままだった。

 「って言ってもな……お前なんかより、俺の娘のほうが可愛げがあるがな。すぐ“父ちゃん父ちゃん”って言ってきて、あれ作って、これ作ってってな。作ってやると、すごいって喜んでさ……」

 クロガネの口調がわずかに緩む。アサヒは黙って耳を傾けていた。

 「……何でもやってやったよ。嫁が出ていくって言った時も、“父ちゃんのほうがいい”って言ってくれたっけな……」

 少しの沈黙が落ちる。火花の弾ける音だけが、空間に残った。

 「……俺の何が、そんなに気に入らなかったんだろうな」

 クロガネがぼそりと呟く。火花の音が再び満ちる。

 アサヒは少し考えてから、ぽつりと漏らした。

 「……横暴すぎたんじゃないですか」

 クロガネの手が止まった。打撃の音がぴたりと消える。

 「……は?」

 「いや、だって……。鍛冶場の人たちもみんな、クロガネさんの目を見ないし、カジさんも……毎日怒鳴られてる。俺たちにもそうだったし……。奥さんも、ずっとそんなふうにされてたら……」

 アサヒは途中で口を噤んだ。言いすぎたと、自分でもわかっていた。

 だが、クロガネの目がすでに炎のように赤くなっていた。

 「――お前、何様だ」

 声が低く、刺すように響く。

 「ガキが……何を知ってる。何も背負ってねぇ奴が、わかった風な口聞くんじゃねえ!」

 クロガネが鉄槌を床に叩きつけた音が、鍛冶場に響き渡った。

 アサヒは一歩も引かなかった。怖かった。でも、間違ったとは思わなかった。

 「……じゃあ聞きますけど。クロガネさんは、誰かに“ちゃんと”話を聞いたこと、あるんですか?」

 火花がぱち、と弾けた。

 沈黙が落ちる。

 クロガネは何も言わず、工具を拾い上げると、黙ってまた鉄を打ち始めた。

 その背中からはもう、声も、怒気も、何も返ってこなかった。


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