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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第五章 フィーネの祈り

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フィーネの祈り

 あたりはすでに、妖精の光と魔力の残響で歪んでいた。

 爆ぜた空気、軋む大地。剣がピキリと音が鳴る。アサヒの放つ力は、その細い体にはあまりに過剰で、今にも崩れそうに見えた。

「くそ……!」 石つきをなぎ倒しながら、レイは歯噛みする。アサヒの放つ光の筋は揺らぎ、もはや限界は近い。

 そんなとき、世界が反転した。

 宇宙の芯に触れたような圧倒的な衝撃――その中から現れたのは、力をまとったアルヴァンだった。

 アルヴァンはそっと、アサヒの剣を持つ手に自らの手を重ねる。光の糸がひと筋、二筋とアサヒの背中を這い、剣の根元で渦を巻いた。

「もう、御伽噺は終わりにしよう」

 アルヴァンの中にいた何かが、フィーネの声と重なって流れ込んでくる。驚くほど強大な力をまとう彼の顔は、どこまでも痛ましかった。その痛みは、王になるということの代償だとアサヒは察した。

 アサヒはそんなアルヴァンに何も返さず見つめた。ゆっくりと二人は力をこめていく。

 アルヴァンの放つ光が、アサヒに繋がれた“力の回路”を強く照らす。

 フィーネの力とアルヴァンの意志が導線となり、アサヒの内に流れ込む。

 剣を中心に国全体が光に包まれた。

 その遥か向こうで、セレナの石が静かに解けはじめていた。まるで夢から覚めるように。

***

 フィーネは、セレナの優しさを知っていた。

 自然を慈しみ、全てを包むような、どこか人間離れした優しさ。

 そして、その裏にある傲慢さも、知っていた。

 大きすぎる望みは叶わないと分かっていて、それでもセレナは祈った。

 大きすぎる祈りは、呪いになって自分に返ってくる。

 セレナの優しいのぞみに、誰もがやさしく返してくれるわけではない。

 セレナの自傷行為のようなその優しい望みを、フィーネはただ見守った。

 代わりに、フィーネは世界とか、自然とかではなく、ただセレナのために祈りを捧げた。

 優しいセレナが傷つくのは、許せなかった。


 痛みもすべて、もっていくから、どうか私ごと――


***

 長く響いていた警鐘は、もう鳴っていなかった。

 ユルザの城は、静けさを取り戻しつつあった。けれどその静けさは、ほんの少しだけ、ひどく空虚だった。

 どこかで見慣れていたはずの風景が、わずかにずれている。執務室の壁に掛かっていた肖像画が一枚、跡形もなく失われていた。

 誰のものだったのか――思い出せない。

 庭に向かう廊下には、花瓶が並んでいたはずだ。青い花が挿されていた。そんな気がするのに、今は空のまま、いくつもの器が等間隔に並ぶだけだった。


「……祈り、か」


 執務室に独り座るアルヴァンは、ぽつりと呟いた。その言葉に、胸のどこかがかすかに疼いた。

 けれどそれが何に対する痛みだったのか、もう、思い出せなかった。


***

「すべては、フィーネが望んだことだったのかもしれない」

 セレナが礼を言いたいと、アサヒたちは呼び出された。部屋に向かう際にアサヒたちは静かにつぶやいた。

 妖精は、礼には礼を、悪意には悪意を返す。優しいセレナを閉じ込めたのは、彼女が傷つかないようにするため。

 そして、悪意をもつ人間たちに反乱を起こしたのかもしれない。


 扉の前で一度、足を止める。誰からともなく、視線を交わす。ゆっくりと、扉を開けた。

 光が差し込む窓辺で、セレナは静かに青い本を閉じた。

 表紙には見覚えがある。けれど、そこに書かれていたのは、どこか知らない物語だった。

「助けてくれてありがとう」

 セレナはそう言って、ふわりと微笑んだ。その笑顔は穏やかで、どこか遠くを見ているようでもあった。

「お身体は大丈夫ですか?」

 キサラギが尋ねると、セレナは小さくうなずいた。

「ええ、大丈夫。少し、眠っていたみたい」

 けれどアサヒは、そっと言葉を探すように口を開いた。

「……本当に? フィーネのこととか、フェリクスのこととか……いろいろ大変だったし」

 一瞬の沈黙。

 風がカーテンを揺らし、逆光の中でセレナの髪がなびいた。彼女はゆっくりとこちらを見つめ、首をかしげる。

「……どなたのことかしら」

 彼女の声は、まるで深い湖の底から届くような、遠い響きだった。

 庭に咲いていた青い花は、もう散っていた。

 だが、図書室の一冊――青い本の間にだけ、誰かの小さな祈りのように、押し花が一輪、そっと挟まれている。


 まだ誰も、そのことに気づいていなかった。



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