表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第五章 フィーネの祈り
54/174

むかしむかしの物語


 「しあわせって、なに?」


 幼い頃、母が絵本を読んでくれていたときに、アルヴァンはそう尋ねたことがある。

 城に溢れる“しあわせな御伽噺”は、当時の彼にはどこか不思議に思えた。

 たいていの結末は、

 「結婚して幸せに暮らしました」

 「平和に暮らしました」

 ……そんな言葉で締めくくられていた。

 問いを投げかけたとき、母はほんの少し眉をひそめてから、やさしく答えた。 「“ずっと一緒にいられること”よ」

 その物語が、誰の口から始まったのかは、誰も知らない。

 けれど最初はきっと、もっと素朴で、やさしくて、ほんとうに“しあわせ”な物語だったのだと思う。

 そして、それはいつしか「しあわせのための手段」に変わっていった。

 本質は形式にすり替わり、「これが“しあわせ”なのだ」と繰り返し教え込まれた。繰り返し、繰り返し。何が本当なのか、もう誰にもわからなくなっていた。


 幼い二人には大きすぎる図書室には、夢のような物語ばかりが並んでいた。

 セレナは青い背表紙の本に、小さな青い花びらを挟む。

 「また作ってるのか? 押し花」

 「うん、もう飽きちゃったし。ここにある話も、全部」

 床に寝転がったセレナの声は、どこか乾いていた。

 「……たしかに」

 アルヴァンはそう返して、それ以上は言葉を続けなかった。

 「ここの本は、とても嘘ばかりだわ」

 アルヴァンはそんなセレナの言葉を返さなかった。

 「本当のことを、本当のまま伝えられたらいいのに。伝えて、笑って。泣きたいときには泣いて。……それができたら、父上も母上も、かなしくないのに」

 セレナがぽつりと俯いたとき。上から、青い花弁がふわりと舞い落ちる。

 「そんなところで寝転がるな、行儀が悪いぞ」

 いつの間にか花のかごを抱えたアルヴァンが、いたずらっぽく微笑んでいた。 「ひどい、兄様」

 頭の上に花びらをのせて、セレナはころころと笑った。


***

 社交界のある夜。

 城の大広間は、宝石のようなドレスと金糸の装飾で満ちていた。

 若い貴族たちの笑い声が跳ね、香水とシャンパンの匂いが空気を飽和させる。 舞踏の輪の中で、微笑みを浮かべたセレナ。

 フィーネの光が彼女のまわりに淡く散り、誰もがその妖精を"祝福の証"のように見上げていた。そんな美しい妖精を隣におく、セレナは嫉妬の格好の的であった。 アルヴァンの背後では、祝福の音楽が響き続けていた。

 誰もが“王家の物語”を見守っていたが、その視線はアルヴァンを素通りしていく。

 (俺には……舞踏も、うわべの会話も、やっぱり向いてないな)

 そう思いながら、夜風にあたりたくて、ひとり庭に出た。

 ふと視線を上げると、バルコニーに二人の姿が見えた。

 セレナとフェリクス。

 彼らの周りには、小さな妖精フィーネの光が漂っている。 

(あいつら、やっぱり……)

 うすうす気づいてはいた。

 セレナがフェリクスに向ける眼差し。セレナに何かあるとすぐ報告にくるフェリクス。

 取り残されたのは自分だけ。二人だけで完結する御伽噺を、外から眺めているようだった。けれど、アルヴァンは目を細めて、静かに笑った。 

(でも、フェリクスなら)

 その微笑みは、兄としての寂しさと祝福が混ざった、ほんの少しだけ大人のものだった。

***

 「……フィーネ。周りがなんと言おうと、セレナは俺にとってかわいい妹なんだ」   

 アルヴァンは、何かを諦めるような、でも静かに確かな声で言った。

 フィーネは小さく揺れながらアルヴァンの前に降りてきて、そっと頬に触れる。その手は、ひんやりとしていて、とても軽かった。

 アルヴァンの手が自然と伸び、フィーネをそっと抱き寄せる。

 フィーネは何も言わず、両手を広げて身を委ねる。少し首を右にかたむける。さらりと揺れる銀の髪。その目は、まっすぐにアルヴァンを見つめていた。そして、ゆっくりと目を細め、息を飲むほど美しい顔で微笑む。

 まるですべてを受け入れているかのように。

 アルヴァンは、小さなその存在を、泣きながら静かに抱きしめた。

 「……ごめん、ごめん……ごめんな……」


 そして、王子は妖精を口に運んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ