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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第五章 フィーネの祈り
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祈りは剣とともに

 風が、焦げた鉄の匂いを運んできた。 焼け落ちた建物の瓦礫を踏みしめながら、レイは兵舎へと急いでいた。無線は途切れがちだったが、断片的に聞こえた紫たちの声から、フェリクスの名が上がっていたことはわかった。

「レイ!」

 角を曲がろうとしたとき、聞き慣れた声が響いた。振り返ると、そこには自分によく似た顔――アサヒの姿があった。無事な姿を目にして、レイはわずかに安堵の息をついた。

「どうなってるの、これ」

 地下にいたアサヒには、外の混乱はまるで別世界だった。無線も通じず、何が起きているのかもわからないままだった。

「今、妖精の力のせいで、石つきが暴走してる。対抗するために、無事な兵士を集めに行ってる最中だ、おそらくこれは…」

「フェリクスの仕業だよね」

 アサヒは夢で見たセレナの記憶をたどる。そんなアサヒにレイはあえて言葉を返さなかった。

「……行くぞ。まだ間に合うかもしれない」

***

 兵舎に着くと、怒号と叫び声が飛び交っていた。

「落ち着け!出るな、外はもう——!」「でも街が燃えてるんだぞ!このままじゃ民間人が……!」「どうするつもりだよ、妖精相手に!?こっちは誰一人、動ける指示が来てないんだぞ!」

 数人の兵が武器を手に言い争い、別の者は扉に背を預けて嗚咽していた。誰もが、命令と責任を誰かが与えてくれるのを待っていた。

「やめろッ!」

 レイの声が場を裂いた。するとその場の空気を一瞬で凍らせる。

「お前たちが今やるべきことは、言い争いじゃない。目の前の命を守ることだ」

 レイの言葉に一人の兵士が叫ぶように返した。

「お前ら子どもに何がわかる!こんなことになる前に、こっちが妖精の力を持ってさえいれば……中尉の言葉どおりだったんだ!これは罰だ、小さなほころびを見ないふりして、黙って見逃してきた俺たちへの——人を傷つけたくないから、剣を持たなかった、俺たちの!」

「そんなの知らないよ」

 張り詰めた空気を切り裂くように、言葉を発したのはアサヒだった。

「人を傷つけたくない?違うよ。自分が傷つきたくないだけだよ」

 いつもの声、いつもの顔。その平坦な言葉に、兵たちの表情が揺れた。

「誰がどう思ってるかなんて、誰にもわからない。ただ、今が痛いなら……僕は、痛くない方法を探す」

 アサヒは静かに、しかし確かな熱を帯びた目で言葉を続けた。

「今の状況は、“誰か”を、確実に傷つける。だから止めたい。セレナのためじゃない。僕が、傷つけたくないんだ」

 その手には、勇者の剣があった。

「――僕が、治したいんだ」

 レイは、そんな弟の横顔を見て、少しだけ微笑んだ。

「……俺の弟の願いだ。聞いてやってくれないか」

 兵舎に、深い沈黙が落ちた。 誰かの喉が、ごくりと鳴った音が、やけに大きく響いた。

***

「半分の兵士は街の救助に回ってくれ!もう半分は俺たちと一緒に、暴走の鎮圧に向かってほしい!」

 レイの指示に合わせて、兵士たちが兵舎から動き出す。さきほどまでの混乱が嘘のように、誰もが自分の足で立ち、武器を構え、今すべきことに向かっていた。

「負傷者の搬送は後続班に任せる。俺たちは先に動くぞ!」「了解!」

 掛け声が次々と重なり、兵舎が“軍”へと戻っていく。

「アサヒ、行けるか」

 レイが短く確認すると、アサヒは黙ってうなずき、剣を握り直した。

 二人はそのまま兵舎を出て、夜の火に照らされた街へと走り出す。地鳴りのような何かが、遠くで響いている。

「届くかわからないけど」

 アサヒは剣を地に突き立て、手の甲の緑の石を光らせた。

 癒しの力よ、どうか、より遠くへ――

 その祈りのような願いとともに、剣先から地を這うように光が広がっていく。 遠くの戦場で暴れていた石つきたちが、次々と崩れ落ちていった。

***

 その光景を、戦場の隅からキサラギが目にする。

「やればできるじゃないか、クソガキども」

 その横で石つきを薙ぎ払っていたアルヴァンが、唇を噛みながら言う。

「……いや、まだ届いていない。城の奥までは」

 抑えきれない現実に、彼は自分の中でずっと浮かび続けていた“最悪の方法”を飲み込む。 キサラギの声が、頭の奥で鳴り響く。

『これからどの血に手を伸ばすか、どこまで目を背けるか――選べよ、“王子様”』

 その時だった。ふわり、と。 見知った妖精が、光の粒をまとってアルヴァンの傍に舞い降りる。

(……ずっと、わかっていたんだ)

 嫌になるくらい、最初から。どうして自分がここに立っているのかも。どうすれば終わるかも。 アルヴァンの目が、すうっと閉じられた。


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