祈りは剣とともに
風が、焦げた鉄の匂いを運んできた。 焼け落ちた建物の瓦礫を踏みしめながら、レイは兵舎へと急いでいた。無線は途切れがちだったが、断片的に聞こえた紫たちの声から、フェリクスの名が上がっていたことはわかった。
「レイ!」
角を曲がろうとしたとき、聞き慣れた声が響いた。振り返ると、そこには自分によく似た顔――アサヒの姿があった。無事な姿を目にして、レイはわずかに安堵の息をついた。
「どうなってるの、これ」
地下にいたアサヒには、外の混乱はまるで別世界だった。無線も通じず、何が起きているのかもわからないままだった。
「今、妖精の力のせいで、石つきが暴走してる。対抗するために、無事な兵士を集めに行ってる最中だ、おそらくこれは…」
「フェリクスの仕業だよね」
アサヒは夢で見たセレナの記憶をたどる。そんなアサヒにレイはあえて言葉を返さなかった。
「……行くぞ。まだ間に合うかもしれない」
***
兵舎に着くと、怒号と叫び声が飛び交っていた。
「落ち着け!出るな、外はもう——!」「でも街が燃えてるんだぞ!このままじゃ民間人が……!」「どうするつもりだよ、妖精相手に!?こっちは誰一人、動ける指示が来てないんだぞ!」
数人の兵が武器を手に言い争い、別の者は扉に背を預けて嗚咽していた。誰もが、命令と責任を誰かが与えてくれるのを待っていた。
「やめろッ!」
レイの声が場を裂いた。するとその場の空気を一瞬で凍らせる。
「お前たちが今やるべきことは、言い争いじゃない。目の前の命を守ることだ」
レイの言葉に一人の兵士が叫ぶように返した。
「お前ら子どもに何がわかる!こんなことになる前に、こっちが妖精の力を持ってさえいれば……中尉の言葉どおりだったんだ!これは罰だ、小さなほころびを見ないふりして、黙って見逃してきた俺たちへの——人を傷つけたくないから、剣を持たなかった、俺たちの!」
「そんなの知らないよ」
張り詰めた空気を切り裂くように、言葉を発したのはアサヒだった。
「人を傷つけたくない?違うよ。自分が傷つきたくないだけだよ」
いつもの声、いつもの顔。その平坦な言葉に、兵たちの表情が揺れた。
「誰がどう思ってるかなんて、誰にもわからない。ただ、今が痛いなら……僕は、痛くない方法を探す」
アサヒは静かに、しかし確かな熱を帯びた目で言葉を続けた。
「今の状況は、“誰か”を、確実に傷つける。だから止めたい。セレナのためじゃない。僕が、傷つけたくないんだ」
その手には、勇者の剣があった。
「――僕が、治したいんだ」
レイは、そんな弟の横顔を見て、少しだけ微笑んだ。
「……俺の弟の願いだ。聞いてやってくれないか」
兵舎に、深い沈黙が落ちた。 誰かの喉が、ごくりと鳴った音が、やけに大きく響いた。
***
「半分の兵士は街の救助に回ってくれ!もう半分は俺たちと一緒に、暴走の鎮圧に向かってほしい!」
レイの指示に合わせて、兵士たちが兵舎から動き出す。さきほどまでの混乱が嘘のように、誰もが自分の足で立ち、武器を構え、今すべきことに向かっていた。
「負傷者の搬送は後続班に任せる。俺たちは先に動くぞ!」「了解!」
掛け声が次々と重なり、兵舎が“軍”へと戻っていく。
「アサヒ、行けるか」
レイが短く確認すると、アサヒは黙ってうなずき、剣を握り直した。
二人はそのまま兵舎を出て、夜の火に照らされた街へと走り出す。地鳴りのような何かが、遠くで響いている。
「届くかわからないけど」
アサヒは剣を地に突き立て、手の甲の緑の石を光らせた。
癒しの力よ、どうか、より遠くへ――
その祈りのような願いとともに、剣先から地を這うように光が広がっていく。 遠くの戦場で暴れていた石つきたちが、次々と崩れ落ちていった。
***
その光景を、戦場の隅からキサラギが目にする。
「やればできるじゃないか、クソガキども」
その横で石つきを薙ぎ払っていたアルヴァンが、唇を噛みながら言う。
「……いや、まだ届いていない。城の奥までは」
抑えきれない現実に、彼は自分の中でずっと浮かび続けていた“最悪の方法”を飲み込む。 キサラギの声が、頭の奥で鳴り響く。
『これからどの血に手を伸ばすか、どこまで目を背けるか――選べよ、“王子様”』
その時だった。ふわり、と。 見知った妖精が、光の粒をまとってアルヴァンの傍に舞い降りる。
(……ずっと、わかっていたんだ)
嫌になるくらい、最初から。どうして自分がここに立っているのかも。どうすれば終わるかも。 アルヴァンの目が、すうっと閉じられた。




