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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第五章 フィーネの祈り
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妖精の呪い

 シャンデリアが、琥珀色の光を天井からゆるやかに降らせていた。床を鳴らすハイヒールの音も、笑いさざめく声も、セレナにはまるで水の底から聞こえてくるようだった。

 「姫は仮面をお忘れで?」

 誰かの軽口に、セレナは小さく笑みを返す。言葉ではなく、ただ頬の筋肉を動かすだけの仮面のような微笑。――ひそひそと、小さな悪意が耳に突き刺さる。


「あのお顔で“姫”だなんて」 

「王女様とは天と地ね」 

「妖精を引き寄せるお顔じゃないのにね」 

「姫の癖に、あれじゃ男も寄ってこないだろ」


 社交界において、セレナは常に笑われる側だった。姫でありながら、誰かを言葉で叱ることも、立場を使って黙らせることもしなかった。ただ静かに、じっと悪意を受け止めていた。

 アルヴァンが拳を握り、ひときわ鋭い視線を向けて前に出ようとする。

 「お兄様、やめて」

 袖を引きとめるセレナの声は、どこまでも穏やかだった。

 「わたしは、大丈夫。いつか、花の姿を知らなくても……香りで好きだと言ってくれる人がいるかもしれないから」

 セレナは、そういう子だった。人の悪意を返さず、痛みにも怒らず、ただ静かに祈るように優しさを持ち続ける。アルヴァンにとっては、それがこの世界でいちばん尊く、美しい妹だった。


***

 「お前と私は、別行動をしたほうがいいだろ」

 紫は不満そうな言葉を焔羅にむける。

 「アサヒとレイは見習いだ、しかもニアは戦闘力はない。記録役だ。前と同じ編成に戻すのが妥当だろ」

 「えー、紫ちゃんひどい、見習いの誰かとこんな危なっかしいとこ行けってこと?」

 焔羅はいつもの調子でへらへらと笑いながら、辺りを見渡す。

 ここは、ユルザ下町の外れ――ごろつきが溜まり、闇取引と内紛の企みが渦巻く、荒れた飲み屋だった。空気は濁って重い。油と血の匂いが、壁に染みついている。

 焔羅の言葉に、紫は言い返そうとして――少しだけ、言葉を詰まらせた。

 焔羅が口を開いたまさにそのとき、隣の卓から、低くざらついた声が漏れ聞こえた。

 「また“石の女”が出たってよ」 

「美しくなれると思って妖精を煎じて飲んだらしいが、笑ったまま石になったってな」

 紫と焔羅は、自然と耳を傾ける。

 「面白そうな話、してるじゃん」

 焔羅が身を乗り出して声をかけると、隣の男たちがちらりとこちらを見る。

 「なに? お姉さんたちも気になっちゃう感じ? もしかしてそれ目的の観光だったりする?」

 男は、紫を見て言う。

 「…そうだな、すごく気になる話だ」

 紫はグラスを傾けたまま、静かに男の目を見据えた。その紫水晶のような瞳に、男は一瞬息を飲む。焔羅がわざとらしく咳払いをすると、男はわずかに首をすくめて言葉を継ぐ。

 「この辺には、妖精がたくさんいるのは知ってるよな。奴らを体に取り込むと、老けないとか、肌がきれいになるとか……でっかい力が手に入るって、まことしやかに囁かれててさ。ここは、そういう話に詳しい連中が集まる場所なんだよ」

 「おーい、お嬢さんたち。こっちの旅人さんが話したがってるぞ」

 男が奥へ声をかけると、濃密な香水の香りをまとった女たちが何人も姿を現した。

 「そうなの? いまなら翡翠色の子が手に入るらしいのよ。前のは全然効かなかったけど」 

「ね、味も酷かったわよね。あの子、たぶん不良品だったんじゃない?」

 女たちはまるで新作のコスメを語るように、妖精の“使用感”を話していた。その華やかな衣装のきらめきに、紫は一瞬目を細める。

 「……ものにもよるけど、あなたの望むものも、きっと得られると思うわ」

 そう言って、女の一人がにこりと笑いながら、紫の胸元に視線を滑らせた。それに倣うように、ほかの女たちもそっと視線を向ける。

 その意味に気づき、紫の肩が小さく震えた。

 「紫ちゃん、落ち着いて……落ち着いてっ!」

 焔羅が小声で必死に宥める。

 「紫ちゃんは今のままでも十分可愛くて、きれいだよ、胸なんて些細なことだよ!」


 とりあえず、紫は焔羅を殴っておくことにした。


***

 階段を下りるたび、空気がひやりと冷たくなっていく。湿気を含んだ空気に、金属と土、そしてどこか甘ったるい腐臭が混じっていた。

 先ほどの女たちに勧められ、黒服の男に案内された先──通路の奥に広がっていたのは、まるで倉庫のような薄暗い広間だった。

 そこには、無数のガラス製の檻が並んでいた。その一つひとつに、小さな生きものたち――妖精たちが閉じ込められていた。

 羽をもがれ、光を失い、身体を小さく折りたたむようにしてうずくまる妖精たち。中には、まばたきひとつせず、ただこちらを見つめ続ける者もいる。

 「さっきの女たち、ここで仕入れてたのか……」

 焔羅がぽつりと呟く。

 光を持たぬ妖精の瞳が、ひとつ、紫を見上げた。その目の奥に、はっきりとした「意志」があった。紫は咄嗟に手を伸ばそうとして――止めた。


 『…妖精は悪いものには、悪い物を返す。君たち2人のどちらがかは――わからないけどね』


 アルヴァンの言葉が頭をよぎる。

 彼らはただの「素材」ではない。ただ黙っているだけで、すべてを見て、覚えている。


 「――――あああああああっ!!」

 突如、隣の部屋から閃光とともに響く、女の悲鳴。紫と焔羅は、同時に走り出した。

 扉を開けた瞬間、鼻をつく焦げたような匂い。床の中央に、石の中に埋め込まれた女がいた。

 その身体を包んでいたはずの石は、何かに耐え切れなかったように砕け、女ごと無残に崩れ落ちていた。砕けた石の破片と、血の混じった肉片が床を汚している。

 「……こんなことも、ありますが、ごく稀なことでして」

 背後から、黒服の男が淡々とした声で言った。すぐに別の黒服たちが現れ、何事もなかったかのように破片を掃き集め、塵取りに収めていく。


 「……石になるまで“美しさ”にしがみつくなんて、もはや病だな」

 焔羅が低く、呟いた。


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