置き土産
「センパイって、どこまでも頭が悪いんですね」
任務演習が終わった直後、光の冷ややかな声が場を切った。
「……あれ? どっちにしろ怒られてる?」
兆が自分なりに理解し、首を傾げる。
しかしながら、兆と戦ってみて、三人がかりでも勝てる気がしなかった。頭が緩くなければ、あの端末には到底たどり着けなかっただろう。
「キサラギ、途中で……あの、影のようなものが現れた」
レイが静かに言葉を切り出す。
すると、意外にも先に口を開いたのは光だった。
「――あれは私が出した幻影です」
「……あれが、幻影……?」
ノノが思わず聞き返す。
「今までの任務で遭遇した、そこそこ強かった異形たちを、まとめて再現しました」
光はさらりと言ってのける。
三人は呆気にとられたまま、しばし沈黙する。
「……信じらんねぇ……」
シンがぽつりと呟いた。
空気を変えるように、ノノが声を上げる。
「でも、まぁ。端末はちゃんと回収できたわけだし。……ね?」
だがその直後――
「まあ、でも。お前ら、今回の演習、失格だからな」
キサラギの一言が、空気を一瞬で凍らせた。
「……は!? なんでだよ!!」
最初に食ってかかったのはシンだった。
「俺は、無傷でって言ったよな?」
そう言いながら、キサラギは淡々とレイの手元を指差す。
そこにはレイの手に巻かれた包帯があった。
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キサラギは、小さな小瓶を指先でくるりと2、3度回し、静かに見つめていた。
「……これが、アウローラで見たという薬か?」
声に応じて呼び出された焔羅が、気の抜けた調子で答える。
「見た目は似てるねぇ。……飲んでみる?」
その軽口に、紫が容赦なく焔羅の頭を小突いた。
「冗談でも言うな、バカ」
場が静まり返る。レイが、ぽつりと口を開いた。
「シンの話じゃ、紙袋の男から受け取ったらしい」
その一言で、空気がわずかに引き締まる。
沈黙を切り裂くように、キサラギが言った。
「光。この薬の成分、解析してくれ」
「了解しました」
光は、即答する。
それを聞きながら、焔羅がぼそりと呟いた。
「……でもさぁ。俺たちの縄張りで、こんなモンばら撒かれるの、さすがにナメられてんじゃない?」
その声には、いつになく低い熱がにじんでいた。
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夕暮れ時、アサヒは小さな路地裏で、ケイと話をするのが日課になっていた。
今日あったこと、お互いの家族のこと、どうでもいい冗談――話題はいつも、ゆるやかに流れていく。
「ケイって、妹と弟がいるんだね」
アサヒが笑いながら聞くと、ケイは肩をすくめる。
「まあ、全然しゃべんねぇけどな」
「……そうなんだ。うちの兄は、言いたいことあるくせに黙ってるとこあるよ」
風が一度だけ、路地の奥をすり抜けていく。道端の空き缶が、カランと乾いた音を立てた。
「双子ってことは、顔もそっくりなんだろ?」
ケイの問いに、アサヒは頷いた。
「一卵性だからね。鏡みたいって、よく言われるよ」
「そっか。……うちは、妹とも弟とも似てないな」
一拍置いて、アサヒがふと問いかける。
「そういえば、最近ずっと話してるけど、家の人は心配しないの?」
その言葉に、ケイは少しだけ間を置き、静かに笑った。
その笑みは、夕焼けの影に溶けるように淡く、どこかとても遠かった。
「……あー、大丈夫。俺のとこは、だいたい平気だから」
ケイの笑みに、アサヒは小さく首を傾げたが、それ以上は何も聞かなかった。
「僕そろそろ帰んなきゃ。レイが心配するから」
そういいアサヒは立ち上がる。
「…おー、またな」
そう言って立ち上がる。
「……おー、またな」
アサヒが手を振り、路地を抜けていく。
背中に夕日が差し、長い影が石畳に伸びた。ケイは、アサヒが見えなくなるまで、手を振り続ける。
翳り始める影に、ポツリとひとり残される。しばらく無言で路地裏に座り込み、辺りが完全に真っ暗になったとき、ようやく立ち上がり、アサヒとは反対側の道へ歩き出す。
街のざわめきから離れるにつれ、足音だけが響く。
灯りのついていない家にたどり着き、玄関の扉を開ける。返事はない。
靴音も、声も、誰かの気配も、どこにもなかった。
ケイは部屋の中を見渡し、明かりをつけずにそのまま奥へと進んでいった。
まるで、何かを確かめるまでもないというように。