石つき
夜が明けきらない村の一角、くすぶる煙とともに、ロングコートの男は礼拝堂の壁にもたれ、口元から煙草の煙を吐き出していた。
「この村はな、“観察対象”になってる」
僕は言葉の意味を理解しきれずにいた。
男の隣では、ゴスロリ姿の少女が膝を抱えながら、スケッチブックに視線を落としていた。剣が放った閃光、その瞬間を描いていた。
「……それ、俺の……?」
絵描きの少女は、すぐに顔を赤らめ、目をそらした。
「お前の剣、“反応した”んだ。誰でもああなるわけじゃねぇ」
そう言った男の目の奥に探るような警戒があった。
***
「……来る」
絵描きの少女が、素早くスケッチブックに何かを描き始めた。
遠くから地響きが近づいてくる。木々をなぎ倒すような重く湿った音。
「厄介なのがまだいたみたいだな」
ロングコートの男が拳銃を構える。
あわせるように、アサヒも剣を構えた。
「待て、無理すんなって言っただろ!」
「でも……」
その瞬間、剣が再び光り出す。
構造物の影から現れた異形は、体の一部が石化していた。絵描きの少女がスケッチを見せる。
それをみた瞬間に先に動いたのはレイだった。
レイは印が打たれていた部分を剣で貫いた。悲鳴のような音とともに、異形は崩れた。
ロングコートの男は煙草を踏み消し、言った。
「そいつを倒したところで大元をたおさねぇと意味ねぇ」
絵描きの少女が、スケッチブックをこちらに向けた。
そこには村の森の奥の絵が描かれていた。
***
夜明け前、僕たちは森の奥へと向かっていた。
背中の剣が、じんわりと熱を持ち始めている。まるで、これから向かう場所を知っているかのように。
先頭を歩く少女が、立ち止まってスケッチブックを開いた。
鉛筆を走らせ、描いた地図をロングコートの男に見せる。
「いちいち伝えなくても、お前が先頭に行けば済む話じゃねぇ」
ぶっきらぼうな声が響いて、少女は困ったようにうつむいた。
そんな空気を払うように、レイが口を開いた。
「……お前は、あれがなんなのか知ってるのか?」
ロングコートの男は、ちらりと僕らを見て、すぐに前を向き直した。
「てめぇの片割れの手の甲にある石はもちろん何か知ってるよな」
質問に質問で返され、レイはさらに眉間のシワが濃くなる。
「“才能の石”、だろ」
そう、アサヒの右手にあるらしい、緑色の石。
生まれたときから。
でも、アサヒに何か特別な力があるとは思えなかった。
レイの方がずっと頭が良くて、一緒にはじめた合気道もレイの方が上手い。
石がついていないレイの方が、“才能がある”ように思えてならなかった。
石なんてものはないようなものだ。
「元々“才能の石”ってのはな、個体に一つずつ宿るもんだった。けど、それを抜き取って、他人に入れる連中が出てきた」
男の声のトーンが下がるのがわかる。
ロングコートのポケットをまさぐり、煙草を取り出し火をつけた。
「……そいつらは、より強い“力”を求めて、他人の才能をコレクションし始めた」
レイが顔を歪めた。
強い嫌悪の色を浮かべたその顔は、一瞬だけで、すぐにいつもの無表情へと戻る。
「石ってのはな、“記録媒体”だ。
心も、記憶も、願いも、ぜんぶ詰め込まれてんだよ」
焚き火のようにくすぶる煙の匂いが、空気をさらに重くする。
「……で、わかるか? 何人分も無理やり詰め込まれた石が、どうなるか」
「…それがさっきのやつらってことか?」
レイがそう訊くと、男はかぶりを振った。
「違ぇよ。あいつらは“取られた側”だ。これから会いに行くのが、“取った側”だ」
***
話しながら、僕たちは村の外れにある洞窟の前にたどり着いた。
空気が一気に変わる。ぬるい霧が、肌にまとわりつく。
「…ニア、ここにいるんだな」
スケッチブックをもつ少女がコクリと頷く。
そのときだった。
洞窟の奥から、何かがゆっくりと這い出してくる音がした。
「レイ...あれ...」
黒い塊のようなものが、ぬらぬらと動く。
輪郭が定まらず、腕や顔のようなものが次々と形を変えては、崩れていく。
「……何人分も無理やり詰め込まれた石が、どうなるか」
それはもう、人の形ではなかった。
無理に寄せ集められた“何か”が、限界を越えて、膨れ上がっている。
「……アレが、“根っこ”だ」
アサヒの背中の剣が、びくりと震えた。
まるでそれが、アサヒを呼んでいるかのように。
洞窟の奥から現れた“それ”は、ずるり、ずるりと這い出しながらアサヒたちの前に姿を現した。
いびつに歪んだ肉の塊。その中に、幾つもの目、口、腕、顔……誰かの“痕跡”が浮かんでは消えていく。
まるで悲鳴のように。
アサヒの背中の剣が、灼けるような熱を放ち始めた。
胸がざわつく。怖い。けれど、それ以上に――呼ばれている気がした。
「来るぞ!」
レイの声と同時に、根っこが動いた。
うねるように腕のようなものが伸び、地を叩きながらアサヒたちに襲いかかってくる。
レイが前に出て、鋭い足さばきでかわす。
触れるように、流すように。重たい腕を受け流し、隙を突いて肘で打ち込む。
「アサヒ、剣!」
その声に反応するように、剣が背中から手に滑り込んできた。
熱い。けれど、不思議と痛くない。
すると根っこは少女に標的を変えた。
「あぶない!」
僕が叫ぶと、少女はすでにスケッチブックをめくっていた。
素早く描いた“鎖”の絵――すると、その絵が淡く光り、闇の中に実体化する。
根っこの一部に絡みつき、動きを封じようとする。
「今だ、剣のガキ!」
ロングコートの男が、アサヒに叫ぶ。
「その剣、お前にしか刺せねぇんだよ!」
アサヒは根っこに向かって、無我夢中で走り出した。
あのとき、村を包んだ異変。
アサヒを見て泣いた人、アサヒの手を取って「ありがとう」と言ってくれた人。
――僕に、何ができる?
「ーーーもう何もできないのは嫌だ!」
叫びながら、剣を振り下ろす。
手ごたえは、思っていたよりも柔らかく、生ぬるかった。
だが、その瞬間――世界が、裏返った。
目の前に、断片的な“記憶”が溢れ出す。
誰かの夢。
誰かの恐怖。
誰かの絵。
誰かの旋律。
誰かの“願い”。
「……ッ!」
アサヒの中に、何かが流れ込んでくる。
痛みでもなく、悲しみでもなく――ただ、膨大な“情報”だ。
「アサヒ! 離れろ!」
レイがアサヒを引き戻した。その腕の中で、僕は気づいた。
この剣は、“斬る”ためじゃない。
“受け取る”ための剣なんだと。
根っこは断末魔のように叫びながら、崩れ始める。
絡めとっていた才能の断片が、ばらばらと光になって霧散していく。
洞窟に、静寂が戻った。
しばらくの沈黙のあと、男が煙草を吸いながらつぶやいた。
「……あれは、“限界”だったんだよ。才能の石を詰め込みすぎた、“人間のなれの果て”だ」
アサヒはうなずけなかった。ただ、地面に膝をついて、剣を見つめた。
その刃には、もう何も映っていなかった。