風向きの読み方
風が鳴った。
乾いた土の地面を掠めて吹き抜ける音に、レイはふと立ち止まった。演習も中盤に差し掛かり、自稽古の時間にさしかかった時だった。ふと、思い出したのは以前に言われたキサラギの言葉だった。
『お前は、状況判断が高いのと身体の使い方が上手い。力こそはないが、相手の力を利用するのが得意だ。だがたまにそんな理屈じゃ太刀打ちできない“馬鹿力”ってのがいる。そんな時のためにお前は――風向きを読む練習をしろ』
目を閉じて、レイは耳を澄ます。地形、匂い、鳥の声、そして風。すべてが、状況を知らせる「気配」だった。
「おい、“坊ちゃん”。演習中に居眠りか?」
聞き慣れた声が響く。木剣を担いで現れたのはシンだった。にやりと挑発的な笑みを浮かべている。
「そんな地味なことしてるより、俺と手合わせしたほうが早いだろ」
周囲がざわつく。どうやらまた「始まった」らしい。レイは静かに木剣を手に取り、呟く
「……これも“風向き”だな」
数秒後、打ち合いが始まった。
シンの攻撃は鋭く、そして容赦がない。昔から、奴は力で封じ込めようとしてくる。合気道は、万能ではない。力を利用するとはいえ、相手が圧倒的な“力”を持っていれば通用しない。だからこそ、集中力を要する。レイはキサラギのいうことは十分理解していた。
シンの足が大きく踏み込まれると、ゆるく上がっていく木剣の気配を感じた。それと同時にレイは目を瞑った。
ーーああ、これは俺の得意なやつだ。
レイは静かに木剣を手放す。そして、振りかぶるシンの横へ滑り込み、彼の手に重ねるように触れる。瞬間、シンの身体は中を浮いていた。
「俺の得意な技くらい、知ってただろ」
歓声が上がった。
「すげぇ!」
「素手で倒したぞ!」
レイは周りの対応に申し訳なさそうな顔をし、少し顔を伏せ気味に答える。
「…いや、これはたまたま得意な技で…」
シンの表情は怒りで歪んでいた。
「…くそが!!」
木剣を叩きつけ、レイに背を向けて立ち去った。
***
すっかり暗くなった演習場。
シンはひとり、黙々と木剣を振っていた。昼間の敗北が、身体の奥で燻っていた。
思い出すのは、あの顔。
申し訳なさそうな、卑屈で、それでいて自分よりも遠くにいるような――あのレイの顔が、許せなかった。
「…くそッ…クソがっ…」
苛立ちと共に木剣を地面に叩きつけた。転がった木剣が、誰かの足元で止まる。そこに立っていたのは――紙袋を被った男だった。何も言わず、男は指をすっと“こちらへ”と示す。
「……なんだよ、お前。……ふざけてんのか?」
返事はない。ただ、袋の内側で――目が赤く光った。その瞬間、シンの背筋に、冷たい何かが走る。
(こいつ――)
音もなく、静かに。けれど確実に、シンの中で何かが傾きはじめていた。