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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第三章 奪われたプリマ
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プリマのいない二つの終焉

 崩れたバレエ教室の天井から、熱風とともに火の粉が舞い上がる。焼け落ちた天幕の隙間から夕暮れの赤が差し込み、かつてのサーカス団の中心――もう誰も踊ることのない舞台を、静かに染めていく。

 ピエロの仮面を被った少年、テオは、動けなくなったクララの身体を抱き寄せていた。テオは最期の墓場を人生のほとんどを過ごした場所に決めた。腕から肩にかけては焼けただれ、衣服はすすにまみれている。それでも彼の仮面だけは、なぜか無傷のままだった。


「……私たちは、もう手遅れだわ」


 クララの言葉は、炎よりも静かだった。石の力に蝕まれた身体も、この団の未来も、最初はただ巻き込まれただけだったはずの自分たちも――すべてが、もう取り返しのつかない場所にいる。それでも彼女の瞳には、どこか安らぎがあった。


「……生まれ変わったら、また……一緒に、生まれてね」


 彼女は頷く。炎がすぐそばまで迫っているのに、もう怖くなかった。

「そしたら、普通に……公園で遊んだり、学校に通ったり…たまには喧嘩したり…誕生日にはケーキなんか食べたりして…」

 自分たちの叶わなかった未来を、テオはぽつりぽつりと呟いた。

「……そうね。わたしも、それがいいわ」

 その言葉を最後に、天井が崩れ、赤い火の粉がふたりを包んだ。炎の中で、ただひとつの抱擁が、まるで舞台のラストシーンのように静かに終わりを迎えた。

 誰もその最期を見届ける者はいない。ただ、空へと昇る赤い煙の中に、笑い声にも似たピエロの鈴の音が、かすかに響いた。


***

 薄暗いテントの一室。焼けただれた顔をした団長が皮肉げに笑う。

「また、あのときみたいに火でもつけに来たのかい?」

 キサラギの目が細くなる。その奥にあるのは怒りではない。憐れみだった。そこには過去の面影が微塵も感じられない、プリマに囚われた怪物が佇んでいた。

「……あんたは、自分がなんで火をつけられたかも覚えてねぇのか」

 団長は椅子をくるりと回し、焼けただれた顔を正面から晒した。皮膚が溶け、歪んだその表情は、かつての威厳をかろうじて留めていた。

「忘れるわけがないさ。私は、メアに焼かれたんだ。彼女はまぶしすぎた。誰にも従わず、あまりにも孤高に踊り続けるあの子に」

「……あんたに焼けたのは顔じゃない。性根が腐ってたんだ」

 キサラギが静かに呟くと、団長は手にしていたガラスのグラスを壁に投げつけた。音が割れ、部屋に一瞬沈黙が落ちる。

「プリマは来ねえ」

 キサラギは静かに告げる。

「あいつは、自分の足でベッドから飛び降りた。お前の舞台なんかに、もう戻ってこねぇ」

 男の口元がわなわなと震えた。

「……嘘だ……あの子は、私の……私は……こんなはずじゃなかった……」

 初めて、人間の弱さを晒すように、団長の身体が崩れる。

 キサラギは振り返らない。そっと背を向け、ひとつだけ言葉を落とす。

「それはあんたがそう思いたかっただけだ。あいつはただの、バレエが好きな子供だった」

 天井が割れ、かつての舞台背景――天に昇る白鳥の絵に火が移る。それが赤く、黒く崩れていくとき、サーカス団の最後の幕が、静かに降りた。

 外では誰も、その終演を目撃しなかった。ただ、遠くで鈴の音だけが、風に乗って、長く長く響いていた。


どんな状態で育っても、大人になったら、自分の毒は自分で飲まなきゃいけない

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