プリマのいない二つの終焉
崩れたバレエ教室の天井から、熱風とともに火の粉が舞い上がる。焼け落ちた天幕の隙間から夕暮れの赤が差し込み、かつてのサーカス団の中心――もう誰も踊ることのない舞台を、静かに染めていく。
ピエロの仮面を被った少年、テオは、動けなくなったクララの身体を抱き寄せていた。テオは最期の墓場を人生のほとんどを過ごした場所に決めた。腕から肩にかけては焼けただれ、衣服はすすにまみれている。それでも彼の仮面だけは、なぜか無傷のままだった。
「……私たちは、もう手遅れだわ」
クララの言葉は、炎よりも静かだった。石の力に蝕まれた身体も、この団の未来も、最初はただ巻き込まれただけだったはずの自分たちも――すべてが、もう取り返しのつかない場所にいる。それでも彼女の瞳には、どこか安らぎがあった。
「……生まれ変わったら、また……一緒に、生まれてね」
彼女は頷く。炎がすぐそばまで迫っているのに、もう怖くなかった。
「そしたら、普通に……公園で遊んだり、学校に通ったり…たまには喧嘩したり…誕生日にはケーキなんか食べたりして…」
自分たちの叶わなかった未来を、テオはぽつりぽつりと呟いた。
「……そうね。わたしも、それがいいわ」
その言葉を最後に、天井が崩れ、赤い火の粉がふたりを包んだ。炎の中で、ただひとつの抱擁が、まるで舞台のラストシーンのように静かに終わりを迎えた。
誰もその最期を見届ける者はいない。ただ、空へと昇る赤い煙の中に、笑い声にも似たピエロの鈴の音が、かすかに響いた。
***
薄暗いテントの一室。焼けただれた顔をした団長が皮肉げに笑う。
「また、あのときみたいに火でもつけに来たのかい?」
キサラギの目が細くなる。その奥にあるのは怒りではない。憐れみだった。そこには過去の面影が微塵も感じられない、プリマに囚われた怪物が佇んでいた。
「……あんたは、自分がなんで火をつけられたかも覚えてねぇのか」
団長は椅子をくるりと回し、焼けただれた顔を正面から晒した。皮膚が溶け、歪んだその表情は、かつての威厳をかろうじて留めていた。
「忘れるわけがないさ。私は、メアに焼かれたんだ。彼女はまぶしすぎた。誰にも従わず、あまりにも孤高に踊り続けるあの子に」
「……あんたに焼けたのは顔じゃない。性根が腐ってたんだ」
キサラギが静かに呟くと、団長は手にしていたガラスのグラスを壁に投げつけた。音が割れ、部屋に一瞬沈黙が落ちる。
「プリマは来ねえ」
キサラギは静かに告げる。
「あいつは、自分の足でベッドから飛び降りた。お前の舞台なんかに、もう戻ってこねぇ」
男の口元がわなわなと震えた。
「……嘘だ……あの子は、私の……私は……こんなはずじゃなかった……」
初めて、人間の弱さを晒すように、団長の身体が崩れる。
キサラギは振り返らない。そっと背を向け、ひとつだけ言葉を落とす。
「それはあんたがそう思いたかっただけだ。あいつはただの、バレエが好きな子供だった」
天井が割れ、かつての舞台背景――天に昇る白鳥の絵に火が移る。それが赤く、黒く崩れていくとき、サーカス団の最後の幕が、静かに降りた。
外では誰も、その終演を目撃しなかった。ただ、遠くで鈴の音だけが、風に乗って、長く長く響いていた。
どんな状態で育っても、大人になったら、自分の毒は自分で飲まなきゃいけない




