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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第三章 奪われたプリマ
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プリマは来ない

 とある早朝のことだった。

 バレエ教室が休みの日でも、キサラギには掃除の仕事があった。

 ふと更衣室の前を通ると、扉がわずかに開いているのが見えた。鍵の閉め忘れかと思い、何気なく近づくと――中には、憔悴しきったメアが座り込んでいた。

 乱れた髪、散らばったトゥシューズ。床に崩れ落ちた彼女の足首には、あの“石”がきらりと光っていた。

「…ねえ、私って、かわいい?」

 キサラギは息をのんだ。その言葉の意味はわからなかった。ただ、今にも壊れそうなメアを前にして、答えはひとつしかなかった。

「かわいいよ」

 するとメアは、ふるふると首を振った。

「うそ……うそよ。かわいくなんかない。みんな、うそつき……」

 俯いたまま、声を震わせる。

「本当にかわいかったら……こんな…」

 どうしてやればいいのか、キサラギにはわからなかった。

 だが、ふとある記憶がよみがえる。 昔いた孤児院で、小さな女の子が、髪を結んでもらって嬉しそうに笑ったことがあった。

 キサラギは、そっとメアの髪留めを拾い上げた。

「……メア。後ろ、向いて」

 慣れた手つきで、彼女の髪を二つに結う。

「ほら、かわいい」

 そう言って鏡を見せると、メアは小さな子供のように――はにかんだ。

 それからも、メアは時折取り乱すことがあった。

 そのたびにキサラギは、「かわいいよ」とおまじないのように繰り返し、髪を結ってやった。

 そしてメアは、何事もなかったかのように、舞台の上で笑って踊った。

 ――今思えば。 なぜもっと早く、気づいてやれなかったのだろう。

 プリマの真実に。

***

 あの夜のことを、キサラギは夢で繰り返し見る。まるで、忘れることなど許されないかのように。

 少女の嗚咽。乱れた白い衣装。無数の痣に、砕けた足元の“石”。倒れ伏したメアの傍らには、膝をつく男がいた。

静かに、彼女を見下ろしていた――あの、怪物が。

 キサラギは、器具室の棚からアルコール缶を取り出し、忘れられたままのライターを、ポケットに忍ばせた。何をしようとしているのかは、あまりにも明白だった。

 火は、あっという間だった。男が、燃える。叫ぶ。目の前で、あの怪物が――ただの“人間”のように、のたうち回っていた。


 キサラギは、壊れてしまったプリマをただ強く、強く抱きしめた。


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