夢を埋められた子ども
練習が終わると、団員たちは明日の公演に備え、会場のある校舎へと体を休めに向かっていった。
レイとニアもその流れに続こうとした、その時――
「レイ、ニア。少しいいかしら?」
声をかけてきたのはクララだった。彼女はいつものように穏やかな微笑を浮かべている。
「初公演を迎える子にはね、前日に“おまじない”が必要なの」
その言葉に、レイとニアは静かに目を見合わせる。すでに他の団員たちは全員校舎内に入り、周囲に人影はなかった。
「どこへ行くつもりだ?」 レイが訊ねた。
「団長のもとよ。“おまじない”は、団長自ら行ってくださるの、お揃いの石をつけてくれるわ」
その名を聞いた瞬間、ニアの表情がさっと曇る。彼の奥歯がきしむ音が、レイの鼓膜に届いた。
レイは一歩、クララへと踏み出す。
「クララ、一つだけ聞かせて」
「何かしら?」
「額のその石のせいで――クララは、この場所から出られないのか?」
クララは一瞬、黙った。
「今から、クララは…俺たちに同じようになってほしいのか?」
クララの笑みが、ひっそりと崩れ落ちる。
紙のように無音で剥がれ、次の瞬間、その手が鞭のようにしなり、レイの頬を裂いた。
「…レイ、私あなたのそういうところ嫌いよ」
クララは少し悲しそうな顔をした。
「ニア、下がれ!」
レイの声と同時に、クララの背後から鋼線のようなワイヤーが唸りを上げて振るわれる。
二人は素早く校舎の壁を背にし、構えを取った。
***
(ケイ、どこにいっちゃったんだろう)
同時刻、倉庫裏のテントのあたり。
アサヒは一人、明日の舞台に備えて備品の整理をしていた。
大事な公演の前日だというのに、ケイは姿を見せない。
サボりかもしれない――だとしても、よりによって今日とは。
そんなことを思いながら、彼は備品を抱え、倉庫用のテントへと向かった。
ふと、いつも閉じられているはずのそのテントが、半端に開いているのに気づく。
(……なんだ?)
アサヒは不審に思いながら、そっと中へ足を踏み入れた。
獣のにおい。鉄錆のような血のにおい。
散らばるアンプルのガラス片。
中央にいたのは、紙袋をかぶった男と、その隣に立つテオだった。
紙袋の男が、ゆっくりとこちらを振り返る。
覗く赤い目はゆらりとアサヒを捉える。
しかしそれは一瞬だけで紙袋の男はすぐに目をそらした。
「…やれ」
彼は目配せをすると、無言のままテオは鉄格子の錠を外す。
テントの奥――閉じ込められていた猛獣が、紙袋の男と同じように赤く目を光らせ、唸り声をあげた。
「まって、やめ――!」
アサヒが叫ぶ間もなく、猛獣は地を蹴った。
***
その頃、クララと対峙していたレイとニアのもとへ、地鳴りのような音が迫ってきていた。
「……あれは……アサヒ!?」
校舎の前に現れたのは、必死の形相で駆けてくるアサヒ。
そしてその背後には、暴走する猛獣が迫っていた。
四つ脚の獣が土煙を巻き上げ、赤く光る瞳がアサヒを狙っている。
「――中に入る!」
「いいから、早く!」
ニアの言葉に背中を押されるように、三人は開け放たれた窓から校舎内へ飛び込んだ。
次の瞬間、猛獣が正面の扉を破壊し、凄まじい勢いで突入してくる。
その衝撃で、ニアの足がふらついた。すると、クララが一瞬にして間合いを詰める。
「させるか!」
レイがクララの腕を掴み、力任せに引き倒す。
よろめくニアを素早く支えたアサヒのほうを猛獣の赤い瞳が次の標的を定めるように追った。
「来る……!」
逃げるしかない。レイたちに背を向け、アサヒとニアは走った。
その後を追おうとしたクララに、レイは迷わず剣を振るい、足を止めた。
「アサヒ、こっち!」
数回角を曲がったところで、ニアが小声で指示する。
アサヒは無言で頷き、近くの教室へと滑り込んだ。
幸か不幸か、そこは――明日公演を控えたバレリーナたちの控室だった。




