呪い
※一部、過去の自殺を連想させる描写が含まれています。苦手な方はご留意のうえお読みください。
「おねえちゃんはすごいね、かっこいいね」
その言葉に、小さく微笑んだ姉の顔を、ニアは今でもはっきりと覚えている。
小さな頃から、父と同じように絵を描いていた僕は、周囲から見ると少し変わった子どもだった。一度描き始めると、周囲の音が何も聞こえなくなり、気がつくと誰もいないアトリエの中で独りだった。おずおずと外に出ると、台所で洗い物をしていた母が、深いため息を吐いた。
「…どうして、ちゃんとできないのかしら」
母のつぶやきが、体の芯まで突き刺さる。顔が熱くなった。恥ずかしさで、呼吸が浅くなる。そんなとき、後ろの扉が開く音がした。黒いワンピースを揺らしながら、ツインテールの少女が現れる。
「…ただいま」
姉のメアは赤くなった僕の頭を優しく撫で、にこりと笑う。
「メア、どうだった? バレエ教室」
母の問いかけに、姉は少しだけ興味なさそうに答えた。
「今度の公演で、主人公やることになったよ」
蛇口を止めた母は、しばし沈黙してから言った。
「あなたたちはお父さんみたいになってはだめよ」
「……はーい」
姉は肩をすくめながら、僕の手を引いて部屋に戻っていった。
「おねえちゃんは、やっぱりすごいよ」
僕は、そう言わずにいられなかった。人づきあいが苦手で、好きなことしかできない僕に比べて、姉は何もかもが眩しかった。好きなことをやりながらも人から憧れられ、美人で、カッコいい姉を尊敬していた。
「…そんなことないよ、ニアだってそんな絵、誰でも描けるわけじゃないよ」
姉はそう言って、僕のスケッチブックを指差した。ニアは恥ずかしそうにスケッチブックを隠す。
「おねえちゃんは、かっこいいよ」
今思えば、僕はいつも姉に呪いの言葉をずっと投げかけていた。そう気づいたのは、あまりにも――遅すぎた。
最後に見た姉の姿は、プリマではなかった。
優雅な衣装も笑顔もない、
ただ――天井から、力なくぶら下がる姉の姿だった。
***
額ににじむ脂汗の不快感で、目が覚めた。誰もいない部屋で、荒れた呼吸をゆっくり整える。きっと、レイを待っている間に眠ってしまったのだろう。グラスに入った水に手を伸ばそうとしたそのとき――静かに、扉が開いた。
帰ってきたのは、レイではなかった。
帽子を目深にかぶった男が、部屋に入ってきた。彼はゆっくりと近づくと、ニアの両腕を強く掴んだ。焦げた皮膚、ただれた顔がすぐ目の前に迫る。
「…メア…お前は、メアなのか」
呻くような声に、ニアの喉がひゅっと鳴った。
「ちが…ちがいます、僕は…僕は、メアじゃありません」
かすれた声で必死に否定する。すると男は、悲しげに顔をゆがめ、そっと手を放した。そして何も言わず、静かに部屋を出ていった。ニアはひとり、息を呑んだまま、動けなかった。




