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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第三章 奪われたプリマ
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夢と檻ときょうだいの影

 夜の路地裏、看板の灯りすらまばらなバー。カウンターの奥、照明の届かない席にキサラギは座っていた。グラスを指で軽く回すと、隣にある男が姿を現す。脂の浮いた顔に無精ひげ、袖のほつれたコート。にやついた笑みに、獣の匂いが混じる。

「……噂はかねがね。あんた、子どもに関しちゃ、ちょっとした有名人だってな」

 キサラギは、普段の彼からは想像もつかないような、作られた笑みを浮かべる。

「ありがたい話です。――私の運営する孤児院には、いろんな子がいましてね」

 男は下品な笑みを崩さず、「ほう」と一言漏らす。

「有名な舞台女優の娘とか、世界的ダンサーの血を引いた子とか……もちろん、“あちら”のマニアが喉から手が出るほど欲しがるような子も」

 キサラギは笑顔を崩さず、声だけをひそめて続ける。

「世間じゃ“保護”なんて言いますけど。……手放したがる親って、案外多いんですよ」

 ブローカーは喉の奥でくぐもったように笑った。

「そいつはいい話だ。……で、どんな子だ? 少しくらい味見しても、構わねぇよな」

 キサラギは軽く首をすくめ、グラスの氷を見つめる。

「それは“あちら”の判断です。こちらも商売ですので」

「慈善団体ってのは、よくできた看板だな」

 それでもキサラギは笑みを崩さない。ただ一言、芝居のセリフのように言う。

「私はただ、彼らが望む形で“夢”を見せるだけですから」

 ――瞳の奥に潜む軽蔑だけは、微塵も消えないまま。


***

 先ほどまでの騒がしさが嘘のように、練習室は静まり返っていた。

 驚くほど正確に時間で区切られるレッスン。それもそのはず、大切な“商品”である身体を壊しては元も子もない。その広い練習室に、今はクララとレイのふたりだけが残っていた。

 クララは椅子に座ったレイの足元に膝をつき、丁寧にマッサージをしていた。

「ちゃんと、メンテナンスしないと、うまくなるものもならないしね」

 指の腹でツボを押さえながら、自然にそう言うクララを、レイはじっと見つめた。クララの額には石のかけらが埋め込まれていた。才能の石とも言えない小さな欠片が。それは輝きも不確かで、むしろ傷跡のようにすら見えた。教室の子どもたちにも、同じような石があった。

 そして、手首にくっきりと残る、手かせの痕。それらが何を意味するのか、レイはもう理解していた。

「…クララは、ここは長いのか」

 ぽつりと尋ねると、クララは手を止めずに答えた。

「…そうね、ずっといるわ。幼いころから、ずっと」

 短い言葉だったが、その“ずっと”の重さに、レイの胸がひそかに沈む。

「団員にピエロの男が、いたでしょ?」

 クララが話題を変えるように言う。

 レイは頷いた。そういえば、あのアサヒたちによく構う陽気なピエロの姿を何度か見かけた。

「あれ、私の弟なの。テオっていうの。身体は大きいけど、私にはいつまでも子どもみたいで」

 クララは笑ったが、その笑みはどこか寂しさを帯びていた。

「あの子と一緒にここへ来てから、私たちはずっとこのテントの中なの」

 レイは静かに話を聞いていた。その意味を、なんとなく察してしまったからだ。クララはレイの表情を見て、少し悲しそうに微笑んだ。

「あなたには、きょうだいはいるの?」

 少し間を置いて、レイは答える。

「いる、あんたと同じ、弟」

 クララの手が、少しだけ優しくなった。

「へぇ、どんな子なの?」

 レイは答えを探すように、言葉を選ぶ。

「…できるやつだよ、だから人に祈られやすくて、責任を問われやすい」

 クララはゆっくりと足に手をすべらしながら、レイの言葉を待った。

「…だから…ほっとけないやつだよ」

 クララは目を細め、レイの足の裏にぐっと力を込めた。レイは思わず顔をしかめ、椅子のひじ掛けを強く握る。

「…あなたは、とても賢い子ね」

 クララの指の力は抜けることなく、むしろじわじわと深く食い込んでくる。

「それでいて、本当にとても優しい子ね」

 レイは身体を前に傾け、息を吐いた。

「…あなたはかわいそうな子ね」

 その言葉と同時に、クララの手がふっと緩んだ。重たい沈黙が、レイの内側に静かに染みこんでいく。クララは、声を落として言った。

「私とテオは、ここで生きて、ここで死ぬんだわ」


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