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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第三章 奪われたプリマ
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トゥーシューズの棺

 ーー私がほんとうに、かわいかったら良かったのに。


 目の前の少女が、ぽつりとこぼした。 長い髪、脱ぎ捨てられたトゥーシューズ。純白の衣装に包まれながら、少女は恥ずかしそうに前髪で顔を隠すその姿はとてもプリマに見えなかった。けれど、その隙間からのぞく端正な顔立ちは、確かに美しかった。

 まだ幼かったキサラギは、ただ素直に言葉を返した。

「かわいいよ、本当に」

 その言葉に少女はかたく首を横にふった。

「うそよ、本当にかわいかったら、こんなことされるわけないもの」

 そんな少女にキサラギは繰り返し「かわいいよ」と繰り返すことしかできなかった。


***

 キサラギの寝起きは最悪だった。くだらない――いや、忘れたくても忘れられない昔の夢なんかを見たせいで。原因はわかっている。あの件に触れるからだ。 キサラギは無言で資料の束を、アサヒたちの机に投げた。

「任務だ、今回は、俺も行く」

 最初に手を伸ばしたのはレイだった。

「全国で多発している子どもの誘拐事件の調査…?」

 紙の束には、失踪した子どもたちの顔写真と、発生地域のデータ。そして最後のページには、ある見覚えのある団体の名前が記されていた。

「これ、アウローラの前夜祭で見たサーカス団だね」

 アサヒが小さく声を漏らす。

「そうだ。その町で事件が起きたとき、決まってこのサーカスが来てる。偶然にしちゃ出来すぎてるだろ」

 キサラギは資料の一枚を引き抜いた。

「それとな、そこのサーカス団には――子どもだけのバレリーナ集団がいる」

 レイの指が、紙の上の一枚の写真で止まった。その視線の先にあったのは、トゥーシューズを履いた、まだあどけなさを残した少女たちの写真だった。


***

 天幕の隙間から差し込む光が、白い粉じんと汗の匂いを照らし出す。鉄骨の組まれたテントの中では、少女たちが沈黙のままバレエの練習を繰り返していた。

 キュッ、キュッ――床を擦るトゥーシューズの音。 隊列はひとつとして乱れず、目線も感情もどこか空虚だ。

「はい、もう一度最初から。笑って。微笑みは“商品”でしょ?」

 コーチらしき女の指導は笑顔で、声だけが酷く冷たい。 少女たちは従順に頷く。

 その隅で、モップを手にしたアサヒは静かにその光景を見つめていた。

(……まるで人形だ)

 少女たちの年齢はバラバラに見えるが、みな均一に調律されていた。違和感は拭えない。 アサヒはモップを動かすふりをしながら、視線だけで周囲を探る。控室、倉庫、裏口……そしてカメラ。監視の目は複数あった。

「君、新入りか?」

 急に背後から声がした。振り返ると、サーカス団のピエロ衣装を着た男が屈託なく笑っている。

「よく来たね。“あの子たち”の踊り、綺麗だろ? ねえ、誰が一番タイプ?」

「……掃除の指示、どこかありますか?」

 アサヒはなるべく表情を変えずに切り返す。 ピエロは鼻を鳴らして去っていった。 その後ろでは、また静かに音楽が流れ出す。少女たちは誰一人文句を言わず、再び同じ踊りを繰り返していた。

 練習が一段落したタイミングで、テントの入口ががさりと開いた。

「新入り、連れてきたよ」

 紫の髪をまとめた団員の女性が、2人の“少女”を連れて入ってくる。 一人は栗色の巻き髪ウィッグにリボン、ややおどおどした仕草の小柄な少女。もう一人はすらりとした、ストレートの黒髪にやや無愛想な顔――それぞれ、ニアとレイだった。

(……女装、似合いすぎでは?)

 アサヒはモップを動かす手を止めかけ、思わずレイを二度見してしまった。 レイは表情一つ変えず、淡々とした目で前を見据えている。 ニアはというと、きゅっとスカートの裾をつまんで立ち姿まで完璧に演じているのが逆に不自然だった。

「こっちの子はダンス経験があるらしい。もう一人は付き添いだ」

 そう紹介された瞬間、コーチが少女たちの列の間をすっと歩いてきて、レイ達の前で立ち止まる。 鋭い視線が二人の顔を舐めるように這い、その口元が意味ありげに笑った。

「……二人とも、良い顔をしてるわね、きっと団長も気に入るわ」

 レイは動じることなく軽く会釈だけしてみせた。

「名前は?」

「レイです。よろしくお願いします」

「…ニ、ニアです」

「レイ、ニア、ね」

 コーチの声はどこか底冷えのする声だった。

 一方ニアはというと、ずっと冷や汗をかいていた。 女装はともかく、こういう“人を値踏みする大人”には昔からトラウマがある。

 それでも、二人の潜入はどうにか成功した――今のところは。


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