その目に映るもの
人の形を失った黒い物体が、クラリッサをその体内に取り込んだ。
次の瞬間、展示室の窓ガラスが鋭く砕ける音とともに、そいつは外へと飛び出す。
それを追うように、紫は点検口の蓋を内側から叩き破った。
音に気づいたアサヒとニアが、あわてて扉を開けて部屋に入ってくる。
直後――展示室の警報が甲高く鳴り響いた。
紫は警報音と同時に動き出し、迷いなく展示室へと向かう。
アサヒとニアも、その背を追う。
扉を開けると、そこには沈黙する巨大な黒い塊――
その中心に埋め込まれるように、意識を失ったクラリッサの姿があった。
塊の表面には、大きな一つの目のような丸い核が脈打っている。
黒い塊――ヨシュアの暴走体は、展示物をなぎ払うように動き出した。
紫は一歩も引かず、その前に立ちはだかる。
背中に背負っていた巨大な武器を片手で振り下ろす。
鈍く低い風切り音とともに床が砕け、黒い体が弾かれた。
だがヨシュアの身体は液状にも似た性質を持ち、すぐに形を戻して体勢を立て直す。
アサヒが一歩踏み出し、剣を握る。
「今は切るな。まだ――タイミングが違う」
紫の言葉にアサヒは剣を構えながらも、踏み込まず目を凝らす。
ヨシュアの動き、その流れ、呼吸のような波――クラリッサの意識は未だ黒い塊の中心で揺らいでいた。
紫は、武器よりも素手の方が脅威だった。
体術を織り交ぜ、重い蹴りを叩き込む。
だが、ヨシュアの身体はその足を飲み込み、紫の全身を吊り上げた。
「紫ッ!」
アサヒの叫びを背に、紫は素早く反転し、飲み込まれた部分を切り裂いて、着地する。
その瞬間、切り離されたヨシュアの一部は粘性を失い、どろりと崩れ落ちた。
「…なるほどね」
呟いた紫は、手にしていた大剣を捨て、腰の細身の刃へと手を伸ばす。
そうして重心を下げ、一気に踏み込んだ。
目にもとまらぬ速さでヨシュアの身体に無数の斬撃が走る。
そして、切り離された塊を次々と壁に向かって蹴り飛ばす。
飛び散った粘液は壁に当たると音もなく蒸発し、ただの水へと変わっていく。
削られていく黒い塊。
その中から、脈打つ核があらわになっていく。
追い詰められたヨシュアは、最後の力を振り絞り、彫刻に向けて触手を伸ばした。
「いまだ!アサヒ」
紫の声と同時に、アサヒは吹き抜けの上階から跳び、剣を振りかぶる。
核を狙ったその一撃が届くと同時に、彫刻へ振り下ろされた触手も炸裂する。
激しい衝撃音。
クラリッサの代表作が音を立てて崩れ落ちる。
砕けた中心から、黒い光の粒が舞い上がるように散っていった。
同時に、塊から解き放たれたクラリッサの身体が宙に浮かび、床へと落ちる。
その包帯がふわりと解け、露わになった細い腕には、ごっそりとえぐれた痕――
そこには本来、クラリッサの黒い「才能の石」が埋まっていたはずだった。
その光景が、黒い塊に残された巨大な「目」に映り込んでいた。
クラリッサは、作品に自身の石を埋め込んでいた。
***
パレードの喧騒が遠くから微かに響く裏路地に、焔羅の声が低く漏れた。
「ちょうどいいし、薬のありかも一緒に聞いちゃう?」
だが、紙袋の男はその言葉に反応を見せず、黙って黒い影をすっと伸ばす。
焔羅は即座に懐から拳銃を抜き、乾いた発砲音を響かせた。
その動きを見た紙袋の男は、影の形を変化させ、今度は弾丸の形を模してこちらに向けてきた。
「え、俺いろんな武器使うタイプだけど……そこんとこ大丈夫そ?」
焔羅は軽くひきつった笑いを浮かべた。
「……言ってる場合じゃないと思う」
レイの声が冷静に響いた直後、無数の銃弾の形をした影が彼らに向かって放たれた。
だが、影の弾丸は命中する直前、煙のように崩れた。
紙袋の男の体から赤い光がふっと消え、彼は膝をついて崩れ落ちる。
焦ったようにポケットからアンプルを取り出すが、それを口に運ぶことはできなかった。
焔羅の銃声が再び鳴り、アンプルごと撃ち抜いた。
「時間切れってやつ?」
焔羅がもう一度引き金に指をかけた、そのとき――
遠くから、展示会場の方向で大きな破砕音が鳴り響いた。
「……え、何事?」
二人が同時に音の方向に目をやる。
緊迫した気持ちのまま、焔羅が視線を戻すと――
すでに、紙袋の男の姿は影も形もなかった。