Eclipseの夜明け前
※ヤナギのバンド時代の全盛期の話です。
テーブルにはピザの箱と散らかった缶ビール。
人気バンド「Eclipse」の打ち上げは、いつも限られたメンバーとスタッフだけの閉ざされた空間で行われる。
「女に本気じゃないから、俺にもワンチャンあるかもって思うじゃん? なのにさぁ、絶対こっち見てるのに! 思わせぶりな態度とってきやがってよ! クズだろあいつ!」
その理由はというと赤い顔で缶を握りしめ、涙声でわめくヤナギ――今や「レオ」と呼ばれる人気バンドのボーカルのせいだった。彼は観客の大歓声を浴びたあとだというのに、すっかり泣き上戸になっていた。
隣のギタリストのヨルが苦笑して肩をすくめる。
「出たよ、”タカセ”の話」
「また始まったな……」
マネージャーは顔を覆って頭を抱える。
「レオさん!ほんとやめてくださいって!週刊誌にすっぱ抜かれたらどうするんですか!」
「うるせぇ!知ったことかよ!全部あいつが悪い!」
豪快に泣き笑いしながら、空の缶をテーブルに叩きつける。
会場が混沌と化す中、新入りのドラムが恐る恐る口を開く。
「……つーか、その“タカセ”って誰なんすか?」
彼の言葉にヨルは少し考え込み、あーと声を漏らしながら答える。
「……レオが青春を捧げた男の話?」
説明はしたつもりだったが、余計に分からなくさせた気がした。
ヨルの脳裏に、あの朝の光景が蘇る。
ライブの翌日の早朝。
まるで世界が終わったかのような顔をしたレオが、突然ヨルの部屋を訪ねてきた。
「ついてきてほしい」――その一言を、必死に噛みしめるように。
その時のことを今でも鮮明に覚えている。
ヤナギ――いや、レオとは幼いころからの親友だった。
家庭の事情も、男に惹かれることも、誰より知っていた。
音楽にのめり込むことで繋がり続けてきた二人だからこそ、理解できる部分も多かった。
ヨルにとっての彼は、いつも影を抱えながらも、太陽のように輝こうとする男だった。
そのレオが、海の向こうで「一緒にバンドを」と懇願してきたのだ。
父親がしきりに呼び戻そうとしていたことも、答えを出せずに先延ばしにしていたことも、ヨルは知っていた。
最近のレオは、やけにその男の話をした。
声の端々に、羨望も、悔恨も、執着も、複雑に絡みついているのが伝わった。
恋や愛といった単純な言葉では片づけられない。もっと深い棘が、レオの心臓に突き刺さっているように思えた。
それでもヨルは迷わなかった。
外の世界への興味もあったし、何より親友に必要とされたことが嬉しかったから。
レオの誘いを、素直に受け入れたのだ。
(――あーあ、もったいな)
そんな感想をレオとタカセとやらに抱いたのを覚えている。
「……なるほど?」
新入りが曖昧に返す声に、ヨルは現実へと引き戻される。
視線の先、机に突っ伏したレオがぐずぐずと泣き続けていた。
ヨルはため息をつき、親友の頭をかき回す。
「おい、メンヘラ野郎。いつまでぐずってんだよ」
「……だってよぉ」
レオの声は、子どものように情けなかった。
「……あんとき言っただろ、ちゃんと話せって」
ヨルの言葉に、レオは一瞬、言葉を詰まらせた。
やがて、かすれた声で吐き出す。
「……俺は……やっちゃいけないことしちまったから、一緒にいられねぇよ」
その言葉に、ヨルはジトっとした目をする。
「……なんだよ」
「いやぁ?べつに?」
何か言いたげなヨルの視線にレオは聞き返すが、それもまたかわされてしまう。
「……あ?言えよ、気持ち悪ぃ」
レオが苛立ち気味に食ってかかるが、ヨルはそれ以上は言わない。
数分後にはまた「タカセ、タカセ」と泣き言を繰り返すレオ。
その姿を見ながら、ヨルは静かに呟いた。
「……自己肯定感の低いやつって、無意識に他人もを傷つけるんだな」
誰も拾えなかったその小さな言葉は、空調の音にかき消されて消えていった。




