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絶対手放さないのに


 保守室の赤い非常灯が点滅し、煙と火花が絶え間なく散っていた。

 アサヒは床に横たえられたタカセの肩を押さえ、必死に応急処置を続ける。

「……止血はできる。でも」

 額の汗を拭いながら、アサヒは低く吐き出す。

「夢側で引き金になった感情を一段落させないと、現実の治療値が上限に張り付いて動かない……!」

 先ほどからから回る癒しの力。いくら流し込んでも、現状維持にしかならない状況。

 兆は背を壁に預け、煙の中で敵を薙ぎ倒していた。

「理屈はわからんが……こっちは時間稼ぐしかねぇってことか」

 敵と対峙しながらもアサヒの声に答える兆。

 その瞬間――タカセの唇が微かに震え、かすれ声が零れる。

「……ヤナギ」

 アサヒとニアは同時に顔を上げた。

 ニアは躊躇なく両手を伸ばし、アサヒの石の力を補助するように干渉を重ねる。

 次の瞬間、光が弾け、アサヒとニアの頭に映像が流れ込んだ。

 ――制服姿のタカセ。

 ――屋上に立つ、若いころのヤナギの姿。

「これは……」

 目を見合わせるアサヒとニア。

 タカセの過去、その深層記憶が、鮮明に二人へと流れ込んでいた。


***

 昼休みの屋上。

 タカセはいつものようにフェンスにもたれて煙草を回していた。

 その隣ではクラスの友人が同じくタバコを吸いながら話しかけてくる。

「タカセ、今日空いてる? 遊び行こうぜ」

「パス」

「またかよ。最近ノリ悪くね?」

 友人の軽口に、タカセは肩をすくめる。

「俺はお前らと違って忙しーの」

「……だとしても、仕事か? だとしても最近やりすぎじゃね?」

 友人の声には、どこか心配の色が混じっていた。タカセが裏の稼業に足を突っ込んでいることを知っているからだ。

「それもあるけど、今日は違う」

「……もう彼女できた?」

「違うって」

「は?遊び?ふしだらな」

「……ちげぇって」

 タカセは言いかけて、言葉を飲み込む。

 本当は、ヤナギのことを話しそうになった。だが、妙に胸の奥でつっかえがあった。

 かわりに口をついて出たのは――

「……猫、飼い始めたんだよ」

「は?」

 友人が怪訝そうに眉を上げた、その時。

 屋上の扉がきしみ、風に髪を揺らしながらヤナギが顔を出した。

「わり、友達と一緒か。邪魔しちゃ悪いし出直すわ」

 そう言いかけて踵を返そうとする。

 タカセは片手を振り、口パクで「また後で」と返す。

 そのやり取りを見て、友人は一瞬だけ目を細めた。

「……俺、他のツレ待たせてるんで。大丈夫すよ」

 そうヤナギに声をかける。

「まじか。わりぃ」

 にこっと笑うヤナギ。強面のヤンキーに囲まれても態度を変えない。

 屋上の扉が閉まったあと、友人は小さく独り言を漏らした。


「……猫、ねぇ……」


***

 風が巻き上がる屋上。フェンスにもたれてタカセとヤナギはいつものように言葉を交わしていた。

「お前の友達、礼儀正しいな。お前と違って敬語使えるし」

「僕だって礼儀正しいですー」

「きもちわる」

 顔をしかめながらも笑っている。その横顔を何の気なしに見て、タカセは思う。

 ――こんなきれいな顔立ちをしていたら、さぞ女にモテるだろうに。

 現にタカセのクラスでも女の子がヤナセの話をしているところを聞いたことがある。

 けれど、実際に誰かと付き合った話は聞いたことがなかった。

 告白した女の子も『歌の練習があるから』の一言で終わらされてしまうとも聞いたことがある。明るい髪の毛や人の目を引くような見た目の割に案外まじめなんだなと思う。


「そういえば今週末、ライブがあるから。帰り遅くなる。明日も練習あるかも」

「了解ー」

 他愛ない会話が、もう自然に日常の一部になっていた。

 歌の練習があっても構ってもらえるのは、今の異質な状況のおかげかもしれない。

「……あとこれ」

 ヤナギが制服のポケットからチケットを一枚取り出す。

「気が向いたら、来てよ」

「……気が向いたら行く」

「はは、絶対来ないじゃん」

 ふと、ヤナギが視線を横に向けて尋ねる。

「タカセはなんで下宿してるの?家と遠いの?」

「別に」

「ふーん?」

 ヤナギは、タカセのこういう軽い調子の時に、同じように返してくれる時がある。

 それはタカセの性質を察してのことなのかは分からないが、はじめのうちは心地の良い距離感だと思っていた。だが最近は妙に後ろめたさが胸に残る。

 その違和感に押され、タカセは言葉を吐き出した。

「……物心つく頃から父親はいない。母親はさ、昔一か月くらい帰ってこなかったりして。帰ってきたと思えばまた出て行く。その繰り返し。振り回されるくらいなら出て行こうって思って“出てく”って言ったら……“いいよ”って、あっさり」

 屋上の風に混じって、しばし沈黙が落ちた。

 ヤナギは真剣な顔で聞いていたが、やがて小さく笑う。

「悪いけど、俺その母親には感謝だわ」

「転がり込める後輩の家ができて?」

「はは、近いけど違う」

 ヤナギはフェンスを軽く蹴ってから、真っ直ぐに言った。

「お前と一緒にいられるじゃん?」

 唐突に向けられた真っ直ぐな言葉に、タカセは視線をそらす。

 けれどその直後、ヤナギは続けた。

「でも馬鹿だよなぁ。お前の母親も、お前の元カノたちも」

「……なんで」

 風の音が一瞬だけ遠のいた気がした。


「俺だったら、お前のこと絶対手放さないもん」


 タカセは煙草を指の間で転がしながら、返す言葉を見つけられなかった。


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