屋上の再会
銃声と怒号が甲板を満たし、船体は戦場そのものになっていた。
兆が前に出て敵を殴り倒す間、アサヒは車いすを押し、ニアがその背後を守るように走る。
「こっちだ!」
兆の声に従い、狭い通路を抜けた先に、鉄扉が半ば開いた部屋があった。
中は、使われているのかいないのかもわからない。
古びた配電盤と油の匂い、裸電球が一つぶら下がるだけの暗い空間。
船員の作業部屋か倉庫のようだった。
扉を閉めると、外の喧騒が少し遠のいた。
アサヒは息を荒げ、タカセを壁際に寄せる。
「ここなら……一瞬は隠れられる」
タカセは姿勢を保とうとしたが、 短く咳き込み、胸を押さえて苦しげに息を吸い込む。
白髪に滲む汗が、まるで海霧のように光を帯びて落ちた。
「動かないでください!」
ニアが持っていたボトルを差し出す。タカセはわずかに頷き、水を口に含んでから、小さく息を吐いた。
「……すまない」
その声は掠れていたが、笑みが混じっていた。
「いまさらですけど、こういうの……正直、あまりおすすめしません」
アサヒの声は震え、苛立ちを押し殺していた。
タカセは薄く目を細め、ふっと笑う。
「死んだら、俺の資産は全部お前ら調査隊に寄付する。だから、な?」
アサヒは顔をしかめる。
「……そういうことじゃありません」
タカセは目を閉じたまま、穏やかな調子で言葉を継いだ。
「最期くらい、じじぃのわがままに付き合ってくれよ、お医者さん」
アサヒは言葉を失い、ただ強く唇を噛む。
代わりに兆が肩をすくめるようにして口を開いた。
「……よくわからんが、もらえるもんはもらうし、式には連れていくすよ」
その時、部屋の奥の配電盤が破裂した。火花と煙が弾け、電球が砕け散る。
「……っ、発電機を狙ってる!」
視界が白煙に覆われ、息が苦しい。兆は嗅覚を頼りに壁際に身を寄せ、唸るように言った。
ニアは慌ててスケッチブックを開き、壁に描いた目の絵を貼りつける。煙の中、絵の瞳が赤く光り、敵の動きを映し出す。
「……右から来る!」
兆が振り返りざまに一人を殴り飛ばす。狭い配電室はもう安全ではなかった。
「ここじゃ持たねぇ、移動だ!」
兆の叫びに、アサヒがタカセの車椅子を再び押し出す。
混乱の中、狭い通路を駆け抜ける。足元でニアの描いた波紋が敵の足を滑らせる。
だが次の瞬間――
甲板へ抜ける扉を越えた瞬間、鋭い銃声が響いた。
「――っ!」
アサヒの耳を切り裂く風切り音。
タカセの肩口をかすめた弾丸が、血の代わりに淡い幻光を散らす。
アサヒが振り返ったとき、タカセの目はすでに焦点を失っていた。
「タカセさん!」
彼は椅子ごと崩れ落ち、虚ろな瞳で遠いものを見つめる。
「……固定弾」
ニアが青ざめた声で言う。
「幻影系の石を粉砕して混ぜてる。致命傷じゃないけど――魂ごと過去に縫い止められる」
兆が歯噛みし、アサヒは必死にタカセの体を押さえる。
「戻ってきてください! タカセさん!」
だがその意識はもう、遠い過去へと沈んでいった。
***
遠ざかる現実の喧噪。銃声も、血の匂いも、潮風さえも消えて――
次にタカセが気づいた時、目の前に広がっていたのは灰色のフェンスと青空だった。
学校の屋上。
風に吹かれた制服の袖口も、階下から聞こえてくる部活の掛け声も、あまりに鮮明すぎて息を呑む。
そして――胸の奥に常にあった痛みが、どこにもない。
「間抜け面じゃん」
茶化すような声に振り向く。そこには端正な顔立ちの青年が立っていた。
明るい髪が風をはじき、喉元で光る石が太陽に反射して煌めいている。
「……ヤナギ」
その笑顔を見た瞬間、タカセは悟った。
――これは現実じゃない。自分の過去だ。
理解していながらも、どうしようもなく胸が熱くなる。
伸ばした手先に、無意識の震えが混じっていた。
愛おしさに駆られてヤナギの肩に触れようとした瞬間、彼の表情が揺れる。
嬉しそうで、戸惑ったようで、どこか呆れている――そんな複雑な笑み。
「……ほんとお前、嫌な男だな。このたらし」
あぁ、そうだ。
――自分はこんな人間だった。
タカセは、深く目を閉じる。
胸に刺さるその一言を、甘んじて受け止めながら。




