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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十二章 前勇者ととある少年のお話
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残骸に射す光

 湿った空気の中、呻き声だけが響いていた。

 檻の奥に横たわるのは、もはや人とも獣ともつかない姿。

 痩せこけた腕が、こちらに向けてかすかに伸びてくる。

 レイは立ち止まり、唇をかみしめた。

 これまでにも、数えきれない修羅場をくぐってきた。

 見習いといえど、もう子供扱いされるような日々ではなかった。

 だが――今までは、まだ“間に合う”と思える現場ばかりだった。

 全力を尽くして、それでもどうにもならなかった。

 それは納得できる痛みだった。

 だが、ここにあるのは違う。

 もう二度と戻れない者たちの、ただの残骸。

 その事実が、胃の奥を重く沈ませた。

 その一瞬の迷いを、すぐ横でキサラギが見逃すはずもない。

 乾いた舌打ちが闇に響く。

「……だから連れてきたくなかったんだ」

 吐き捨てるような声音。

 レイは、視線を落とす。

「お前に何ができるんだ? 弟みたいに癒しの力で救えんのか? 何もできねぇくせに、中途半端なことすんなよ」

 その言葉は冷たく鋭い。

 だが、同時に逃げ場を与えない“現実”そのものでもあった。

 レイは反論しなかった。

 喉が詰まり、言葉が出ない。

 ただ、ほんのわずかに拳を握りしめ――ゆっくりと前に進む。

 呻き続ける実験体の前に立ち、剣を抜く。

 震える手を必死に抑え込み、刃を構えた。

(……これが、俺にできることだ)

 静かに息を吐き、剣を振りかぶる。

 背後でキサラギが、一瞬だけ目を細めた。

 そして、レイが剣を振り抜くより先に弾丸を打ち込む。

「お前は、向こうで残った資料の整理でもしてろ」

***

 どうしようもないやるせなさに、レイは静かにため息をついた。

 今まで、いろんな任務に連れて行ってもらい、いろんなものをみて、時には認めてもらえる場面もあった。

 だが、ほんの少しのことで、また昔のような自分になる。

 レイは自己嫌悪に陥りながらも、資料の整理をした。

 すると、廃墟の奥で、かすかな物音がした。

 足音――子供のものだ。

 レイが振り返った瞬間、小柄な影が走り込んでくる。

「兄ちゃん……!兄ちゃんいるんだろ!」

 掠れた声が、湿った空気を震わせた。

「……子供?」

 レイは思わず目を見張る。

 ボロボロの服に泥だらけの顔。震える膝で、それでも奥へ進もうとする。

「待て!」

 レイが呼び止めるが、少年は聞かずに鉄格子の向こうへ駆け寄った。

 そこで――凍り付いた。

 そこにあったのは、もはや人ではない。

 痩せた四肢は不自然に膨らみ、皮膚の下で管のようなものが蠢いている。

 血走った瞳がぎょろりと子供を捉え、口の端から濁った呻きが漏れた。

「……にい、ちゃん……?」

 少年の声が震える。

 怪物のような兄は、一瞬だけ苦しげに顔を歪めた。

 だが次の瞬間、反射のように腕を振り上げ、細い喉を狙って伸ばす。

「――っ!」

 レイは即座に飛び込み、少年を抱き寄せた。

「下がれ!」

 必死に庇い、背を向ける。

 銃声が響いたのは同時だった。

 短く、乾いた破裂音。

 怪物は崩れ落ちた。

 その頭部には、迷いのない弾丸の穴。

 レイが振り返る。

 銃口を向けていたのは、キサラギだった。

 冷たい目で、すでに煙の消えた銃を下ろす。

「……どこから入ってきたんだ」

 その声に、子供は泣き声も出せず、ただ呆然と兄の亡骸を見つめる。

 レイの胸に、鋭い痛みが走った。

 子供の絶望の顔と、亡骸の無惨な姿――そして銃を構えていたキサラギ。

 全てが一度に焼き付いて、子供の感情が爆ぜる。

「どうして……!」

 衝動的に子供は振り返り、キサラギを睨みつける。まるで恨む対象を探すように。

 だがその瞬間、崩れ落ちたはずの少年の兄だった体から、奇妙な光が滲み出した。

 眩い閃光が、破れた皮膚と管の隙間からあふれ出す。

 光は形を持たず、ただ荒れ狂うように膨れ上がり――。

 次の瞬間、爆ぜるように辺り一帯を包み込んだ。

 光の奔流に呑まれる直前、崩れた肉体の奥から掠れた声が零れた。

「……たす…け…なきゃ」

 レイも子供も、キサラギも。

 全員が光の奔流に呑まれ、視界が真っ白に塗り潰されていった。

***

 暗闇の中で、キサラギは意識を取り戻した。

 地面に手をつくと、冷たい感触が指先を刺す。

 見渡しても、誰もいない。音も匂いも消え失せ、ただ自分の呼吸だけが虚空に響いていた。

「……クソ、油断したな」

 低く吐き捨て、周囲を睨む。

 幻影系の力――。

 残滓のようなものだろうと侮っていたが、どうやら違うらしい。

 重苦しい圧が頭蓋を締め付け、思考が鈍る。

「……チッ。残り香みたいなもんかと思ったが……」

 額に手を当てた瞬間、鋭い痛みが走った。

 焼けつくような痛みが、脳髄の奥から這い上がってくる。

「――っ……!」

 視界が揺らぎ、暗闇に亀裂が走る。

 光とも闇ともつかぬ断片が、次々に割れては流れ込む。

 気づけば、湿った石の廊下に立っていた。

 あの日の匂い。薬品と鉄と、冷たい空気。

 ――前勇者に初めて連れて行かれた、あの施設の光景。

 キサラギは眉をひそめる。

「……くそ」

 だが、頭の奥底で声が囁く。

 これはただの幻じゃない。

 忘れたくても、染み付いて離れない記憶。

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