熱の中の言葉
帰還した彼らを待っていたのは、安堵よりも冷徹な報告の場だった。
薄暗い部屋の奥、文机に腰かけた上層部の使いの影が問いを投げる。
「……搬入経路は?」
キサラギが答える。
「破壊しました。以後、同経路からの侵入や毒の流入は不可能です」
「ふむ……で、肝心の大元は?」
キサラギは一瞬言葉を飲み込み、唇を結んだ。
「……取り逃がしました。紙袋を被った男も」
静寂が落ちる。
上層部の使いは机を軽く叩いた。
「成果は認めよう。しかし“首”を挙げられなかったのは痛手だ」
キサラギの視線が鋭く揺れる。
「……あの紙袋の男、ただの駒ではありません。毒に浸された状態でも、我々を押し返す力を持っていた。
しかも、あの戦い方――人間離れしているのに、どこか“生々しい”。異質です。久遠の傀儡にしては、あまりにも……」
使いは興味なさそうに片眉を動かす。
「あの存在を見逃すのは危険です」
キサラギは冷徹に言い切った。
あの目に焼き付いたのは、怪物の力ではなく――壊れかけた人間の歪んだ苦悶だった。
***
焔羅はレイの応急処置も効いてか、数日のうちに動けるまでに回復していた。
だが紫は違った。毒の影響は深く、全身に熱を宿し、布団から起き上がることすらできない。
扉を開けて入ってきたのは、アサヒだった。
水の入った桶を手に持ち、静かに紫の枕元に腰を下ろす。
「……ある程度は毒、抜けたと思うけど」
濡らした布を固く絞り、額に乗せながらアサヒが言った。
「しばらくは安静にしないとね」
紫はその仕草をぼんやりと見つめていた。
光を受けて淡く輝くアサヒの手の甲――そこに埋め込まれた石。
自分の石とは正反対の人を癒し、救うための石だった。
「……たまに、私は……お前が羨ましい」
聞き取れるか聞き取れないかわからないくらいのかすかな声だった。
微笑むように、けれどどこか自嘲めいた表情。
アサヒは一瞬、言葉を失った。
紫の笑みに潜む痛みを読み取ってしまったからだ。
「……困るよな。分かってる、分かってるよ……ごめん」
紫は目を閉じ、吐息のように言った。
――人を殺してきた自分が、弱音を吐いてはいけない。
そう自分に言い聞かせるように。
アサヒはしばらく布を替える手を止め、黙り込んだ。
だがやがて、唇を震わせながら言葉を探した。
「……紫は……紫の石は、周りが勝手にそう名付けただけで……本当は――」
そこまで言って、視線が重なった。
紫が、悲しそうに笑っていた。
その笑みに、アサヒの言葉は掻き消された。
「……ありがとう。もう大丈夫だから」
紫は静かにそう告げ、アサヒに部屋を出るよう促す。
言い返すべきか迷った。
けれど――何を言っても不正解のような気がして。
アサヒはただ頷き、布を桶に戻し、立ち上がった。
襖が閉じられ、残された紫は目を伏せる。
熱に浮かされたまま、小さく息を吐いた。
――羨望も、弱音も、誰に向けても届かない。
アサヒが部屋を出て行った直後。
扉が、音もなく開いた。
「――ねぇ、なにあれ」
焔羅だった。
険しい眼差しのまま、部屋に足を踏み入れる。
重たい身体を布団から起こそうとする紫。
だが焔羅は一歩で距離を詰め、容赦なくその腕を掴んだ。
ベッドの縁に膝をかけ、そのまま紫を壁際へ押し込める。
壁に追い詰められた紫。
「随分な子供に、そんなこと言ってさ……」
焔羅の声は低く震えていた。
「いくつ下だと思ってんの。今回だって、勝手に危ないことばっかして……大人でしょ?そういうの、ちゃんと分かんないの?」
掴む手に力がこもる。
紫の顔が、ほんのわずかに歪んだ。
「……離せ。痛い」
「痛い?」
焔羅が笑うように吐き捨てる。
「痛いわけないでしょ。紫ちゃんが」
「……痛いんだ」
その一言に、焔羅の動きが止まった。
はっとして、握りしめていた手を放す。
謝ろうとした焔羅より先に、紫がかすれ声を漏らした。
「……ごめん」
熱に浮かされ、意識が朦朧としている。
目を閉じかけながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「……ほんとに……ごめ……おいてかないから……お前も……」
最後まで言い切ることなく、紫はそのまま意識を手放した。
焔羅は呆然と、眠りに沈む紫を見下ろした。
拳を握りしめ、うなだれる。
「……俺には、あんなこと言わないくせに」
アサヒに弱音を吐いた紫への憤り。
そして、自分には決して向けられない言葉への寂しさ。
紫は閉じた瞼の奥、微睡みの中でつぶやいていた。
――お前も、私を置いていくな。




