紫煙の果て
紫煙を裂き、紫はなおも剣を振るっていた。
喉を焼く咳を押し殺し、血走った瞳に紫光を宿し――傀儡を次々となぎ倒していく。
壁に叩きつけられた傀儡の身体が砕け、糸が火花を散らしながら弾け飛んだ。
「……ッァアアアアアア!」
咆哮は獣のそれ。
刀が閃き、最後の傀儡が床を裂いて崩れ落ちる。
そのまま紫はよろめきながら制御装置の前に立ち、全身の力を込めて剣を振り下ろした。
轟音。石が砕け、濁流のように噴き出していた紫煙の流れが途切れる。
毒を生み出していた中枢が断たれたのだ。
――そして。
紫は、崩れ落ちた。
壁に背を預けるように座り込み、刃を手から落とす。血に濡れた指先が震え、荒い息が途切れ途切れに響く。
その光景を、闇の奥から誰かが見ていた。
崩れた傀儡たちの残骸の向こう――久遠の姿。
細い糸がなおも揺れており、彼が操っていたことを示していた。
久遠の唇が緩やかに歪む。
「……いい」
まるで実験を終えた研究者のように、静かに呟いた。
「紫……今回はここまでだ」
傀儡の瞳越しに、久遠は紫を見据えていた。
血と毒にまみれ、哀れな怪物のように倒れ伏すその姿を、恍惚とした眼差しで。
「……俺たちは、いい関係がまた築けそうだよ」
それは甘美な囁きであり、呪縛のような言葉だった。
久遠は踵を返す。
糸がするすると音もなく収束し、闇に溶ける。
遊郭を覆っていた異様な圧が、嘘のように消え去っていった。
残されたのは――毒を止め、しかし力尽きた紫の姿だけだった。
***
傀儡たちの群れを打ち払いながら、アサヒの光が閃き、兆の鎖が唸りを上げ、キサラギの弾丸が闇を裂いた。
その只中、紙袋の男は荒い呼吸を繰り返しながら、なおも黒い触手を振るっていた。
その耳に――囁く声。
耳元に寄せられた傀儡の無機質な声が、ただ一言を落とした。
「……撤退」
その瞬間、紙袋の男の動きがわずかに緩む。
迷いもなく、後方へと身を引いた。
だが――その背を守るため、盾にしていた遊女と不意に目が合う。
血を流し、膝を折り、今にも息絶えようとしている遊女。
その濁った瞳が、最後の瞬間に男を見上げる。
何を言っているのかはもうわからない。
言葉は声にならず、血に溶けて地に落ちた。
だが、その視線だけは――はっきりと、彼を射抜いていた。
「……っ」
紙袋の男は顔をそらした。
その目から逃げるように、振り返りもせず闇へと退いていく。
***
森の奥。
荒い息を吐きながら、紙袋の男は幹にもたれ込んだ。
震える手で頭を抱え、額を壁に打ちつけるように押し付ける。
「……ごめん……ほんと、ごめん……」
嗄れた声が夜に滲む。
「痛かったよなぁ……でも、そうしなきゃ……俺が痛いし……仕方なかったし……」
言い訳のような言葉が途切れ途切れにこぼれる。
「そもそも……あいつのことなんて、そんな……知らねぇし……だって……だってさ……」
だが、閉じても閉じても、まぶたの裏に焼き付いている。
あの女の、最期の視線。
責めるでもなく、ただ哀れむような、寂しい瞳。
「……んな目で……みんなよ……」
声が震え、嗚咽に変わる。
男は震える手で瓶を探り、白い粒を一粒、舌に乗せた。
ごくりと嚥下する。
次の瞬間、頭がすっと澄んでいく。
胸の奥を掻き乱していた視線が、嘘のように消えた。
紙袋の奥の目が、また虚ろな焦点を取り戻す。
***
刃を構えたまま、レイは息を荒げていた。
――そのとき、空気の流れが変わった。
重く淀んでいた空気が、少しずつ澄みはじめる。
鼻を刺す甘ったるい匂いが薄れ、皮膚を焼くようだった感覚が和らいでいく。
「……止まった……?」
レイははっと顔を上げた。
揺らめいていた紫煙が次第に消え、地下からの吹き上げも収束していく。
その変化に呼応するように、周囲の遊女たちが次々と糸から解き放たれた。
操られていた刃が手から滑り落ち、虚ろな瞳が閉じられていく。
ひとり、またひとりと、床に崩れ落ちていった。
その顔には涙と疲労だけが残り――ただ人間の姿に戻っていた。
レイは剣を下ろし、荒く息を吐いた。
視線を下へ。
石の床に開いた地下への扉。その奥はまだ薄く紫煙が漂っている。
近づいた瞬間、目の奥が焼け付くように痛み、呼吸が詰まった。
「……まだ……濃い……」
その場所で何があったのか――想像するのも怖かった。
紫が、そこへ飛び込んだのだ。
そのとき――膝に抱える焔羅の指先が、かすかに動いた。




