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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十一 久遠の影
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紫煙の果て

 紫煙を裂き、紫はなおも剣を振るっていた。

 喉を焼く咳を押し殺し、血走った瞳に紫光を宿し――傀儡を次々となぎ倒していく。

 壁に叩きつけられた傀儡の身体が砕け、糸が火花を散らしながら弾け飛んだ。

「……ッァアアアアアア!」

 咆哮は獣のそれ。

 刀が閃き、最後の傀儡が床を裂いて崩れ落ちる。

 そのまま紫はよろめきながら制御装置の前に立ち、全身の力を込めて剣を振り下ろした。

 轟音。石が砕け、濁流のように噴き出していた紫煙の流れが途切れる。

 毒を生み出していた中枢が断たれたのだ。

 ――そして。

 紫は、崩れ落ちた。

 壁に背を預けるように座り込み、刃を手から落とす。血に濡れた指先が震え、荒い息が途切れ途切れに響く。

 その光景を、闇の奥から誰かが見ていた。

 崩れた傀儡たちの残骸の向こう――久遠の姿。

 細い糸がなおも揺れており、彼が操っていたことを示していた。

 久遠の唇が緩やかに歪む。

「……いい」

 まるで実験を終えた研究者のように、静かに呟いた。

「紫……今回はここまでだ」

 傀儡の瞳越しに、久遠は紫を見据えていた。

 血と毒にまみれ、哀れな怪物のように倒れ伏すその姿を、恍惚とした眼差しで。

「……俺たちは、いい関係がまた築けそうだよ」

 それは甘美な囁きであり、呪縛のような言葉だった。

 久遠は踵を返す。

 糸がするすると音もなく収束し、闇に溶ける。

 遊郭を覆っていた異様な圧が、嘘のように消え去っていった。

 残されたのは――毒を止め、しかし力尽きた紫の姿だけだった。


***

 傀儡たちの群れを打ち払いながら、アサヒの光が閃き、兆の鎖が唸りを上げ、キサラギの弾丸が闇を裂いた。

 その只中、紙袋の男は荒い呼吸を繰り返しながら、なおも黒い触手を振るっていた。

 その耳に――囁く声。

 耳元に寄せられた傀儡の無機質な声が、ただ一言を落とした。

「……撤退」

 その瞬間、紙袋の男の動きがわずかに緩む。

 迷いもなく、後方へと身を引いた。

 だが――その背を守るため、盾にしていた遊女と不意に目が合う。

 血を流し、膝を折り、今にも息絶えようとしている遊女。

 その濁った瞳が、最後の瞬間に男を見上げる。

 何を言っているのかはもうわからない。

 言葉は声にならず、血に溶けて地に落ちた。

 だが、その視線だけは――はっきりと、彼を射抜いていた。

「……っ」

 紙袋の男は顔をそらした。

 その目から逃げるように、振り返りもせず闇へと退いていく。

***

 森の奥。

 荒い息を吐きながら、紙袋の男は幹にもたれ込んだ。

 震える手で頭を抱え、額を壁に打ちつけるように押し付ける。

「……ごめん……ほんと、ごめん……」

 嗄れた声が夜に滲む。

「痛かったよなぁ……でも、そうしなきゃ……俺が痛いし……仕方なかったし……」

 言い訳のような言葉が途切れ途切れにこぼれる。

「そもそも……あいつのことなんて、そんな……知らねぇし……だって……だってさ……」

 だが、閉じても閉じても、まぶたの裏に焼き付いている。

 あの女の、最期の視線。

 責めるでもなく、ただ哀れむような、寂しい瞳。

「……んな目で……みんなよ……」

 声が震え、嗚咽に変わる。

 男は震える手で瓶を探り、白い粒を一粒、舌に乗せた。

 ごくりと嚥下する。

 次の瞬間、頭がすっと澄んでいく。

 胸の奥を掻き乱していた視線が、嘘のように消えた。

 紙袋の奥の目が、また虚ろな焦点を取り戻す。


***

 刃を構えたまま、レイは息を荒げていた。

 ――そのとき、空気の流れが変わった。

 重く淀んでいた空気が、少しずつ澄みはじめる。

 鼻を刺す甘ったるい匂いが薄れ、皮膚を焼くようだった感覚が和らいでいく。

「……止まった……?」

 レイははっと顔を上げた。

 揺らめいていた紫煙が次第に消え、地下からの吹き上げも収束していく。

 その変化に呼応するように、周囲の遊女たちが次々と糸から解き放たれた。

 操られていた刃が手から滑り落ち、虚ろな瞳が閉じられていく。

 ひとり、またひとりと、床に崩れ落ちていった。

 その顔には涙と疲労だけが残り――ただ人間の姿に戻っていた。

 レイは剣を下ろし、荒く息を吐いた。

 視線を下へ。

 石の床に開いた地下への扉。その奥はまだ薄く紫煙が漂っている。

 近づいた瞬間、目の奥が焼け付くように痛み、呼吸が詰まった。

「……まだ……濃い……」

 その場所で何があったのか――想像するのも怖かった。

 紫が、そこへ飛び込んだのだ。

 そのとき――膝に抱える焔羅の指先が、かすかに動いた。


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