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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第二章 彫刻家の孤独
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黒い霧

 国際展の前夜祭で町が浮き足立つ中、クラリッサの心は静まらなかった。展示の前になると、いつも「まだ作り続けたい」という衝動に駆られる。その焦燥が、彼女を自然と作業場へ向かわせた。

 扉を開けた瞬間、そこに立つ人物に気づき、一瞬だけ足が止まる。

「…ここは私以外の立ち入りは禁止している場所だよ。助手であってもね」

 クラリッサはそう告げながら、ふと眉をひそめた。ヨシュアの体から、微かに酒の匂いが立ちのぼっている。目が合う。赤くにじむ彼の瞳――眠れていないことがわかった。

「…でも、まあ。ちょうどいいね。少しだけ話そうか」

 クラリッサは工具を置き、腕に巻かれた包帯をそっと撫でた。石は、その下に隠されている。

***

 夜の街は、まるで何も起きていないような顔をして、静かに息をひそめていた。

 焔羅とレイは、人通りの途絶えた裏通りを歩いていた。祭の熱気で賑わう表通りとは対照的に、静かな一角は石の光すら届かず、湿り気を帯びた空気が満ちている。

「こうも落差がありすぎると、いやーなにおいがプンプンするね」

「……ああ。静かすぎる」

 焔羅がポケットに手を突っ込んだまま、ふと立ち止まる。レイも一歩遅れて、その視線の先を追った。

 石畳の向こう、路地裏の影に、ひとつの人影がある。フードを深くかぶり、まるで壁に溶け込むように立ち尽くすその姿。

「誰だ……?」

 フードの奥、目だけが闇に浮かぶように赤く光る。そしてフードの奥の赤い光がゆっくりとこちらに向いた。焔羅が低く息を呑む。

「……紙袋じゃねえな。いや、でも――あれ、やばいヤツだね」

 フードの人影が、一歩、足を踏み出す。その足元に、黒い影のようなものが揺れている気がした。

 ぞわり、と警鐘のような感覚がレイの胸を走る。次の瞬間、黒い煙が、ぬるりとまとわりつくようにレイの視界を覆った。焔羅の声がどこか遠くで聞こえた気がしたが、それもすぐにかき消える。

「レイ」

 優しくて、けれど冷たい――聞き覚えのある声。視界の中心に、アサヒがいた。ボロボロの衣服。血に濡れた手。光を失った目。

「レイ、僕はもっと、もっと助けなきゃいけないんだ」

「……アサヒ……」

 剣を持つ手に力が入る。だがレイの足は動かない。喉も、声も凍ったように動かなかった。アサヒが近づくたび、胸の奥に沈めたはずの後悔が疼く。

「みんなが、求めるから。レイにはできない、僕だけが逃げられない」

「……違う……やめろ……」

 アサヒの声が響くたび、黒い煙が首元に絡みつく。それは手元にまで這い寄り、剣を握る指を締め上げた。剣は無力にレイの手から滑り落ち、遠くへ飛んでいく。

「レイはよく、母さんは簡単に間違えるっていうけど――」

 煙はゆっくりと、だが確実に首を絞め上げてくる。意識が、遠のいていく。

「ーーレイも間違えちゃったね」

「レイッ!そいつを切れ!!!」

 焔羅の叫びとともに、一本の剣が闇を裂いて飛来した。父の形見の剣――レイの本当の武器。

 手に触れた瞬間、黒い煙がざわりと怯んだ。

 “違う。これはアサヒじゃない”

 その理解が胸を貫いたとき、幻影に言葉を喋らせた存在への怒りが湧き上がった。だが、頭は冷静だった。剣の柄を握り、レイはゆっくりと幻影へ歩み寄る。さっきまでとは逆の構図。今度は、レイが「追う」側だった。レイは浅く息を吸い込み、先ほどまで震えていた手を振り上げる。

「……アサヒは、そんなに饒舌じゃない」

 レイの剣が、黒い煙を真っ二つに裂いた。

 その瞳は、静かに燃えていた。アサヒの幻影は表情ひとつなく、崩れるように霧散した。音もなく、気配もなく。残ったのは、蒸発した水のような残り香と、確かな剣の重みだけ。煙が晴れた後、あのフードの男の姿は消えていた。

「…胸糞悪いもん見せるやつだったねえ」

 焔羅の声は軽かったが、その目の奥には微かな哀しみが滲んでいた。

「でも、まぁ。紫ちゃん的に言えば――’’上出来’’ってやつかな」

 無造作にレイの頭を撫でる焔羅。レイは静かに、その手を振り払った。束の間の静寂。

 ふと、裏路地の奥――薬のテナントの扉がきぃっと音を立てて開いた。警戒しつつ、二人はゆっくりと扉に近づく。

「……これは、やられちゃった、ってやつ?」

 テナントの薬たちは、棚ごと、きれいに姿を消していた。


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