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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十一 久遠の影
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あとは、頼んだ

 鋭い息を吐きながら、レイは焔羅の前に立ちはだかっていた。

 剣を振るい、迫る遊女を受け流す。だが片腕は焔羅を庇うように伸ばしたまま。防御は後手に回り、じわじわと追い詰められていく。

 そのときだった。

 ――ごうん、ごうん、と地鳴りのような音が地下から響いた。

 鈍い機械の稼働音が、石畳を震わせる。鼻を刺すような、甘ったるい匂いがわずかに漂った。

「……っ、なに……?」

 レイの視線が下方へと泳ぐ。

 視界の端で、壊れかけた久遠の傀儡が震えていた。胸を貫かれ、折れた関節をカタカタと打ち鳴らしながら、それでもなお口を開く。

「……タ、イムリミット……まで……じかん……が、ない……」

 声は途切れ、金属がこすれるように掠れていた。

「……どく……につつまれて……みんな……いっしょ……」

 ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。

 レイは直感した。――毒。

 このままでは、地下から一気に充満する。焔羅どころか、自分も含めて皆、呑まれる。

「……!」

 思考が一瞬、空白になる。

 その刹那。

 操られた遊女が振り下ろした刃が、レイの肩口を狙った。

 反応が遅れる――。

 しかし鋼が肉を裂くよりも早く、影が割り込んだ。

 火花が散り、刀身が弾かれる。

「……紫!」

 振り返ったレイの目に映ったのは、黒衣を翻した紫の背だった。

「なんでここに……!」

 問いかけに、紫は短く答える。

「この町は、みんな繋がっている。……遊郭からの抜け道を使った」

 その声音に無駄はなく、状況を一瞬で説明しきっていた。

 紫は嗅覚を刺す甘い匂いと、地下から響く異様な振動に視線を落とす。

 久遠が仕掛けたもの――毒の流出。

 傀儡の群れを倒し、機械中枢までたどり着く。それが唯一の手段だ。

 だが、あの濃度。普通の人間なら一呼吸で死ぬ。自分でも戻ってこれる保証はない。

 ふと、倒れている焔羅の顔が目に映った。

 荒い呼吸を繰り返し、意識のない横顔。

 その瞬間――胸の奥に沈んでいた記憶が、不意に呼び覚まされる。

 幼いころ。

 焔羅に、自分が囁いた言葉。

『……私がお前を殺してやる』

『誰でもない、私が殺す。だから――勝手に死ぬな』

 それは歪んだ絆でありながらも、唯一確かな約束だった。

 世界に二人しかいなかったはずなのに。

 今、その焔羅を、レイが必死に守っている。

 剣を振るう小さな背中。

 自分とは違う形で焔羅を思い、命を賭ける姿。

 焔羅が彼を気に入っていることも知っている。

 複雑で、危うい心を抱えた焔羅のそばに、この少年がいれば――もしかしたら、焔羅は一人じゃなくて済むのかもしれない。

(……私がいなくても、大丈夫だ)

 静かな確信が芽生える。

 紫はわずかに目を伏せ、口元に穏やかな笑みを浮かべた。

 その変化を、レイは見逃さなかった。

「……だめだ……紫……やめてくれ……」

 声が震えていた。

 紫は焔羅の横顔に一瞬だけ手を伸ばしかけ、止める。

 代わりに振り返り、レイへと穏やかに微笑んだ。

 焔羅を一人残そうとする自分勝手さを自覚しながら、それでも――小さな希望を託す。

「……あとは、頼んだ」

 低く、しかし優しい響き。

 その一言に、レイの胸が締めつけられる。

 次の瞬間、紫は迫り来る遊女を掴み、力強くレイの方へと投げ飛ばした。

「――っ!」

 咄嗟に受け止め、剣で糸を断ち切るレイ。

 視線を戻したときには、紫の背中はすでに地下への扉を押し開いていた。

 甘い匂いが濃くなる。

 それは致死量の毒の証。

 紫は一瞬だけ深呼吸し、目を閉じた。

「……良かった本当に」

 レイがいて。

 そう呟くと、迷いなく毒煙の渦へと身を投じた。


***

 幼い紫の身体に、紫煙が無理やり流し込まれていた。

 喉を焼き、肺を掻き毟るような毒。視界が白く濁り、意識が遠のいていく。

「……あぁ、いい顔だ。もっと覚え込め。これがお前の役割だ」

 久遠の手が糸を操り、紫の細い体を机に縫い付ける。黒い糸が脈のように脈打ち、体中を締め上げていた。

 その時だった。

「……おい」

 低い声。

 戸口から姿を現したのは、遊郭帰りの霞だった。額には汗が光り、目は烈火のように鋭い。

「……何してやがる」

 霞の声に、紫は朦朧とした視界の中で顔を向けた。自分とよく似た顔――血の繋がった叔母の姿がそこにあった。

 久遠は薄く笑い、肩を竦める。

「……はは。遊郭から戻ってくるなんて珍しいな。予定より早かったか?」

「……こんなガキに何してんだって聞いてんだよ」

 霞の低い声が震えた。

「ガキ?」

 久遠の目が笑う。

「違うな、化け物の間違いだろ」

 その言葉に、霞の瞳に怒りの炎が宿った。

 腰に隠していた短刀に手を伸ばす。

 しかし、その瞬間。

 シュルリと黒い糸が伸び、霞の手首を絡め取った。

「……っ!」

 糸が締め上げ、霞の肌に赤い痕が浮かぶ。

「おいおい……出来損ないが吠えるなよ」

 久遠の声は愉快そうに震えていた。

「お前には跡継ぎを産めねぇんだからよぉ」

 霞の顔が歪む。

「まぁ……お前の姉も、こんなバケモンしか産めなかったわけだがな」

 楽しげに告げる言葉は、毒よりも鋭く突き刺さる。

「だから仕方ねぇんだよ。毎回、化け物を制御する側の本家から生まれちまったんだからよ」

 ぐっと糸を引き締めながら、久遠は薄ら笑いを浮かべる。

「俺に感謝しろよ。飼いならしやすくしてやってんだからよぉ」

 霞は歯を食いしばり、怒りで顔を歪める。

 だが、その場で糸を断ち切る力はなかった。

「……まぁ、いい」

 久遠は嘲るように吐き捨てる。

「精々、傷の舐め合いでもしてろよ」

 そう言い残し、糸を解いて部屋を出ていった。

 糸が外れ、霞は荒く息を吐き出す。

 すぐさま紫のもとへ駆け寄った。

「……大丈夫か……!」

 霞の声を聞きながら、紫の意識は闇に呑まれていった。


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