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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十一 久遠の影
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糸と毒

 大きな火花をあげ、焔羅が崩れ落ちた。

 一瞬、遊女たちの足取りが鈍る。その隙を逃さず、レイは駆け寄った。


 荒い呼吸。胸がわずかに上下しているのを確認し、懐から応急処置用のアンプルを取り出し、焔羅に腕に刺す。そして、先ほどまで血鎖が出ていた掌を布を巻き止血する。

 だが悠長に構えている時間はない。刃を握らされた遊女たちが、涙を流しながらじりじりと迫ってくる。

 剣を構え直すが、片手は焔羅を庇わなければならない。

 ただでさえ未熟な自分が、この状況で持ちこたえられるはずが――。

「……考えろ、考えろ……!」

 心臓が喉を叩く。必死に周囲へと視線を巡らせた。

 彼女らの関節、腕の軌道。その奥で光を反射する――黒い糸。

 あれが、動きの異常の原因。

(糸を切れば……力は落ちる)

 だが、糸を狙うには隙を作らねばならない。下手に斬れば遊女の身体ごと切り裂いてしまう。

 最小限の動きで、多数を止める方法……。

(合気道の理屈だ。力を正面から受けず、流す。投げ、崩し……)

 一人の体勢を崩し、次の相手の進路に投げ出す。

 円を描くように回転を繋げ、二人、三人と重ねていく。

 壁を作り、流れを作り、崩しの連鎖を仕掛ける。

 完璧な必殺の技じゃない。何度でも立ち上がられるだろう。

 だが――いまはそれで十分だ。

(……少しややこしい方法だけど、やるしかない)

 レイは深く息を吸い込み、焔羅の前に立った。

 迫り来る遊女の手首を払い、身体を滑らせて円を描く。崩れた身体を次の相手へと投げ込み――。

 糸が一瞬、きしむ音を立てた。


***

 焔羅のもとへ向かおうとした紫の足を、細い糸が阻んだ。

 闇の中から、ねっとりとした声が絡みつく。

「……ああ、紫。そんなに急ぐなよ」

 白い指がわざとらしく宙をなぞり、糸をぴんと引いた。

 紫の瞳がわずかに細まる。その仕草が何を意味するか、幼いころの記憶で嫌というほど刻み込まれていた。

「今から毒を流す。お前との再会の記念に、な」

 愉快そうに笑う久遠の声が、瓦礫に反響する。

「どうせここもお前らに割れちまった。別の拠点に移るのも悪くない……だから、遊女たちもろとも壊そうかと思ってよ」

 糸が震えると同時に、石造りの壁が低く唸った。

 視界に淡い幻が広がり、旧寺院の地下室の映像が浮かび上がる。管に繋がれた制御装置、その奥で濁流のように渦巻く紫煙。

「ちゃんと最大濃度にしておいた。お前でも耐えられるか分からない濃度だ。……普通の人間なら、息をした瞬間に死ぬだろうな」

 紫の表情は動かない。

 ただ、刀を握る指先がわずかに震えた。

 映像の地下は、焔羅とレイのいる区画の下層――そこから毒が流れ出している。即座に理解した紫は、ためらいなく久遠を弾き飛ばした。

 土壁に叩きつけられても、久遠は薄く笑う。

 そして、紫は遊郭から旧寺院へ通じる抜け道へと駆け出した。

「……お前が、人間らしく育ってくれて嬉しいよ」

 その声音は、愛おしい玩具を前にした子供のようだった。


***

 次々と襲い来る遊女たちの刃。

 だがレイは真正面から受け止めず、身体を半歩ひねって流す。

 腕を取る。重心を崩す。

 流れるように背を反らせ、力を逃がす。

 刃を振り下ろした遊女の身体は、円を描くように回転し、別の遊女の進路を塞いだ。

「……っ」

 歯を食いしばる。

 女性の身体は柔らかい。極めてもすぐに逃げてしまう。

 だからあえて、途中で止める。壁に叩きつけて逃げ道を奪う。

 ――一人を壁に押し込む。そこを「障害」として利用する。

 その隙に、別の一人を円の流れで崩す。崩した身体がもう一人の足を払う。

 三人目が倒れかける瞬間、剣を滑らせて手首の刃だけを叩き落とす。致命傷は避ける。

 糸が切れ、力の奔流が弱まる。

「……やっぱり、糸だ」

 見極めは確信に変わった。

 だが制御装置がある限り、彼女たちは何度でも立ち上がる。

 崩しても、倒しても、すぐに糸に引かれて無理やり立ち直る。

 キリがない。

(……いつも以上に集中しないと、技がかけれない)

 頭の中で位置取りを描き、円を重ね、投げを連鎖させる。

 合気道の「流れ」を戦場に組み込み、糸に絡むように彼女たちをまとめて制御する。

 呼吸を忘れるほどの集中。

 見習いの剣士の動きが、研ぎ澄まされた術理となって場を支配していった。

***

 鎖の棘がうなり、弾丸が火花を散らす。

 だが、紙袋の男は止まらなかった。

 虚ろな瞳のまま、黒い触手を幾本も伸ばし、兆とキサラギを押し返す。

「……っ、こいつ……!」

 兆の鎖が唸りを上げるが、触手に絡め取られ、地面を裂くだけに終わる。

 銃弾は確かに貫くはずなのに、よろめくだけで立ち直ってしまう。

 ケイの呼吸は荒く、袋越しに湿った音が響く。

 震える手で再び小瓶を探り、錠剤をかき込んでいく。

 焦点の合わない目は、もはや敵を見ているのかすら怪しい。

「……っはあ……ああ……まだだ…まだ、大丈夫……」

 不自然に昂ぶる声。

 それは強さではなく、ただ壊れかけた歯車が回り続ける音だった。

 その隙を突くように、アサヒが一歩前へ出る。

 掌に淡い光が宿り、紙袋の男を覆う。

「……止まって」

 癒しの力。

 それは治すものではなく、いま彼を動かしている異常な「質」を正す力へと変換されていく。

 薬で無理やり塗り潰された痛覚と記憶。

 本来ならもう感じないはずの痛みが、じわりと蘇る。

「…………っ!」

 紙袋の男の声が震え、足元が崩れた。

 薬で得た昂ぶりと、思い出したくない現実の狭間。

 その歪みが綻びとなり、触手の動きに一瞬の遅滞が生まれる。

 兆の鎖がその隙を打ち据え、キサラギの弾丸が腕をかすめ飛んだ。

 確実に、戦い方が乱れていく。

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