宮廷画家の遺品
通されたのは、重厚な扉の奥にある“収蔵室”――
その壁一面に、数多の額装がずらりと並び、煌びやかなライトに照らされていた。
額の下には、それぞれの才能の石。
名だたる歴代の宮廷画家たちの“遺品”だ。
「これはレーヴェル。あれはセイナ。……そしてこれが、ノアの作品と、彼の石だよ」
貴族はまるで宝石を見せるかのように、興奮した声で語った。
ニアは、そのひとつを見つめた。
あの父の、かつて見たことのない絵。
そして、その下に飾られた“才能の石”――琥珀色に近い、鈍く揺らめく輝き。
「……さっきも言ったけどね」
貴族はやや得意げに続ける。
「私はこの石を使って絵を描いたり、細工したりするつもりはない。そんなのは無粋というものさ。芸術ってのは、ただ在るだけで意味があるんだろ?」
ニアは、わずかに眉を動かした。
その“無粋”を避けていると言いながら、壁に飾られた石たちは、まるで“封じられた命”のように並んでいる。
まなざしは敬意を帯びているようで、どこか異様な熱を孕んでいた。
「……そもそも宮廷画家はね、契約の段階で死後の石の譲渡について取り決めがあるんだ。だからこうして、国の認可のもと、正規の手続きを経て我々の手元に来る。貴族だけに許された、特権というやつさ」
淡々と語られるその仕組みに、ニアは言葉を失った。
それが“当然”としてまかり通る世界。
人の才を、命のかけらを、嗜好品として所有することが。
それでも、周囲は笑っていた。
微笑みながら、“文化”を語るように。
「そうそう、君の姉の石も、どこかにあったはずだ」
貴族は棚の奥をごそごそと探り始める。
「メア、だったかな。彼女は宮廷画家ではなかったけど、バレリーナとして名を残した。幸運にも、譲ってもらえてね……ああ、あったあった」
差し出された小さな石。
だが――ニアの目には、すぐにそれが“本物ではない”とわかった。
(これは……違う。これが、あの時の――)
サーカス団で使われていた“あの石”。
それは、本来ここにあったものだ。
誰かが偽物とすり替え、本物を裏へと流した。
「……君も、ぜひ宮廷画家を目指してみないか」
貴族は優しく、しかし押しつけがましく言った。
「父の血を引く君なら、すばらしい画家になれる。きっとこの部屋にも、君の石が並ぶ日が来るよ」
崇められているはずなのに――
ニアは、内側をどろりと汚されたような感覚に包まれていた。
褒め言葉も、栄誉の話も、どこか遠く感じる。
(……この気持ちは、わがままなんだろうか)
黙って微笑むしかなかった。
でもその胸の奥には、言葉にならない違和が、静かに澱のように沈んでいった。
***
深夜。
煌びやかな舞踏会の喧騒はすっかり遠ざかり、宿の裏通りには夜露と静けさだけが残っていた。
部屋の扉が、きぃ、と静かに開く。
先に戻っていたニアが顔を上げると、いつもの姿のノノが立っていた。
「……おかえり」
ニアの声は低く、でもどこか安心を含んでいた。
ノノは無言で頷き、扉を閉める。
部屋の中には、木の軋む音と、小さな蝋燭の灯りだけ。
「父さんの絵があった。……石も、あったよ」
ぽつりと呟くように言葉を落とす。
ノノは瞬きもせずに、ニアの顔を見ていた。
何かを察しているような、でもあえて問わないような、そんな目。
「……姉さんの石もあった。けど、偽物だった」
それを言ったとき、自分の喉が詰まるのを感じた。
ノノはわずかに目を伏せる。
「誰かがすり替えた。誰かが――裏に流してる」
静かな間が落ちた。
壁の灯りが、2人の影を静かに揺らす。
「絵を描いたあとに、ある貴族が“収蔵室”に連れて行ってくれてね。
……あそこ、石でいっぱいだった。死んだ画家の。全部、壁に並べて、宝物みたいに……」
語るうちに、ニアの声にかすかな熱がにじむ。
『きっとこの部屋にも、君の石が並ぶ日が来るよ』
貴族の声が頭に過ぎった。
小さな笑いが漏れる。それは、嘲りにも、悲しみにも似ていた。
ノノは何も言わなかった。
ただ一歩、ニアに近づいて、そっと隣に座る。
それだけで、ニアの肩から力が抜けていく。
「……ニアが連れてかれるの見て、後を追ってた」
ノノの声は、静かに落ち着いていた。
「解除はあの貴族の指輪とキーコードだと思う。内部の犯行の可能性も高い。だから、しばらくあの屋敷に潜る」
「……僕は明日、父さんのアトリエを探してみる。王宮を出入りしてた人だから、何か残してるかもしれない」
ノノはゆっくりと頷いた。
父のことは、ほとんど記憶にない。ただ、僕に似ていたと聞いた。
――あの場所で、父さんは、どう生きていたんだろう。
そんな思いが胸に広がっていくと、ノノがふいに言った。
「私は芸術家のことはよくわからないけど……ニアの絵は好き。あと、ずっと今みたいな感じで描き続けられたらって思う」
その声には、確かな温度があった。
ニアは思わず目を伏せた。頬が少し熱い。
「……“楽しく描き続ける”じゃないとこが、ノノらしいね」
少し自分を言い当てられた気がして、ニアはポツリと言い返す。
「だって、ニアはたまに百面相しながら絵描いてる時あるじゃない」
ノノがふっと笑った。
その顔が、やけに近く感じられて、ニアは思わず目をそらす。
胸の奥がくすぐったくて、落ち着かない。
「すごいなって思うの。いろんなこと考えてるんだなあって」
蝋燭の灯が、ノノの髪と頬にやわらかい影を落とす。
その輪郭が、今夜はどうしてだか、ずっと目に残っていた。
鼓動の速さがいつもと違う。
けれど、これが不安や緊張から来るものじゃないことだけは、ニアにもわかった。




