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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十章 空と額縁
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宮廷画家の遺品

 通されたのは、重厚な扉の奥にある“収蔵室”――

 その壁一面に、数多の額装がずらりと並び、煌びやかなライトに照らされていた。

 額の下には、それぞれの才能の石。

 名だたる歴代の宮廷画家たちの“遺品”だ。

「これはレーヴェル。あれはセイナ。……そしてこれが、ノアの作品と、彼の石だよ」

 貴族はまるで宝石を見せるかのように、興奮した声で語った。

 ニアは、そのひとつを見つめた。

 あの父の、かつて見たことのない絵。

 そして、その下に飾られた“才能の石”――琥珀色に近い、鈍く揺らめく輝き。

「……さっきも言ったけどね」

 貴族はやや得意げに続ける。

「私はこの石を使って絵を描いたり、細工したりするつもりはない。そんなのは無粋というものさ。芸術ってのは、ただ在るだけで意味があるんだろ?」

 ニアは、わずかに眉を動かした。

 その“無粋”を避けていると言いながら、壁に飾られた石たちは、まるで“封じられた命”のように並んでいる。

 まなざしは敬意を帯びているようで、どこか異様な熱を孕んでいた。

「……そもそも宮廷画家はね、契約の段階で死後の石の譲渡について取り決めがあるんだ。だからこうして、国の認可のもと、正規の手続きを経て我々の手元に来る。貴族だけに許された、特権というやつさ」

 淡々と語られるその仕組みに、ニアは言葉を失った。

 それが“当然”としてまかり通る世界。

 人の才を、命のかけらを、嗜好品として所有することが。

 それでも、周囲は笑っていた。

 微笑みながら、“文化”を語るように。

「そうそう、君の姉の石も、どこかにあったはずだ」

 貴族は棚の奥をごそごそと探り始める。

「メア、だったかな。彼女は宮廷画家ではなかったけど、バレリーナとして名を残した。幸運にも、譲ってもらえてね……ああ、あったあった」

 差し出された小さな石。

 だが――ニアの目には、すぐにそれが“本物ではない”とわかった。

(これは……違う。これが、あの時の――)

 サーカス団で使われていた“あの石”。

 それは、本来ここにあったものだ。

 誰かが偽物とすり替え、本物を裏へと流した。

「……君も、ぜひ宮廷画家を目指してみないか」

 貴族は優しく、しかし押しつけがましく言った。

「父の血を引く君なら、すばらしい画家になれる。きっとこの部屋にも、君の石が並ぶ日が来るよ」

 崇められているはずなのに――

 ニアは、内側をどろりと汚されたような感覚に包まれていた。

 褒め言葉も、栄誉の話も、どこか遠く感じる。

(……この気持ちは、わがままなんだろうか)

 黙って微笑むしかなかった。

 でもその胸の奥には、言葉にならない違和が、静かに澱のように沈んでいった。


***

 深夜。

 煌びやかな舞踏会の喧騒はすっかり遠ざかり、宿の裏通りには夜露と静けさだけが残っていた。

 部屋の扉が、きぃ、と静かに開く。

 先に戻っていたニアが顔を上げると、いつもの姿のノノが立っていた。

「……おかえり」

 ニアの声は低く、でもどこか安心を含んでいた。

 ノノは無言で頷き、扉を閉める。

 部屋の中には、木の軋む音と、小さな蝋燭の灯りだけ。

「父さんの絵があった。……石も、あったよ」

 ぽつりと呟くように言葉を落とす。

 ノノは瞬きもせずに、ニアの顔を見ていた。

 何かを察しているような、でもあえて問わないような、そんな目。

「……姉さんの石もあった。けど、偽物だった」

 それを言ったとき、自分の喉が詰まるのを感じた。

 ノノはわずかに目を伏せる。

「誰かがすり替えた。誰かが――裏に流してる」

 静かな間が落ちた。

 壁の灯りが、2人の影を静かに揺らす。

「絵を描いたあとに、ある貴族が“収蔵室”に連れて行ってくれてね。

 ……あそこ、石でいっぱいだった。死んだ画家の。全部、壁に並べて、宝物みたいに……」

 語るうちに、ニアの声にかすかな熱がにじむ。

『きっとこの部屋にも、君の石が並ぶ日が来るよ』

 貴族の声が頭に過ぎった。

 小さな笑いが漏れる。それは、嘲りにも、悲しみにも似ていた。

 ノノは何も言わなかった。

 ただ一歩、ニアに近づいて、そっと隣に座る。

 それだけで、ニアの肩から力が抜けていく。

「……ニアが連れてかれるの見て、後を追ってた」

 ノノの声は、静かに落ち着いていた。

「解除はあの貴族の指輪とキーコードだと思う。内部の犯行の可能性も高い。だから、しばらくあの屋敷に潜る」

「……僕は明日、父さんのアトリエを探してみる。王宮を出入りしてた人だから、何か残してるかもしれない」

 ノノはゆっくりと頷いた。

 父のことは、ほとんど記憶にない。ただ、僕に似ていたと聞いた。

 ――あの場所で、父さんは、どう生きていたんだろう。

 そんな思いが胸に広がっていくと、ノノがふいに言った。

「私は芸術家のことはよくわからないけど……ニアの絵は好き。あと、ずっと今みたいな感じで描き続けられたらって思う」

 その声には、確かな温度があった。

 ニアは思わず目を伏せた。頬が少し熱い。

「……“楽しく描き続ける”じゃないとこが、ノノらしいね」

 少し自分を言い当てられた気がして、ニアはポツリと言い返す。

「だって、ニアはたまに百面相しながら絵描いてる時あるじゃない」

 ノノがふっと笑った。

 その顔が、やけに近く感じられて、ニアは思わず目をそらす。

 胸の奥がくすぐったくて、落ち着かない。

「すごいなって思うの。いろんなこと考えてるんだなあって」

 蝋燭の灯が、ノノの髪と頬にやわらかい影を落とす。

 その輪郭が、今夜はどうしてだか、ずっと目に残っていた。

 鼓動の速さがいつもと違う。

 けれど、これが不安や緊張から来るものじゃないことだけは、ニアにもわかった。


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