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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十章 空と額縁
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武具とスケッチブック

 屋敷を出た途端、ひんやりとした石畳の空気が二人を包んだ。

 秋の風が通り抜けるたび、背後の古びた扉から、まだ母の視線が追ってくるような気がして、ニアはそっと肩を落とす。

 しばらく並んで歩いたあと、ニアがふと立ち止まった。

 うつむき加減に、小さく言葉をこぼす。

「……ごめんね、ノノ。付き合わせて」

 その横顔には、拭いきれない気まずさと、うっすらとした罪悪感がにじんでいた。

 ノノは少しだけ首をかしげて、軽く肩をすくめる。

「……そういえばさ、キサラギさんが言ってたの。“新しい武具でも揃えてこい”って」

 唐突に切り替えた話題に、ニアは一瞬ぽかんとし、次いで目をぱちぱちと瞬かせた。

「え?」

「もう半端な時間だし。任務は明日からでいいでしょ。……付き合ってくれる?」

 ノノの声音はいつもと変わらない、淡々としたものだったが、そこには確かにやさしさが滲んでいた。

「ぼ、僕、武具とかあまり詳しくないけど……いいの?」

 おずおずと聞くニアに、ノノは続ける。

「じゃあ、そのあとスケッチブックも見に行こう。これでおあいこ」

 その一言に、ニアの頬がぱっと緩んだ。

「……確かに。じゃあ、行こっか」

 笑顔を浮かべるニアに、ノノはわずかに視線を外す。

 ──目立ちすぎて困るけど、こうやって笑うときだけは……まあ、悪くない。

 二人は肩を並べて、夕暮れの通りへと歩き出した。


***


 武具の点検を兼ねて立ち寄った店は、通りの角にある年季の入った鍛冶屋だった。

 棚にずらりと並ぶ剣や槍は、どれも使い込まれた気配がある。だが、店主の視線は、入ってきた二人に興味を持っていない様子だった。

「女二人で武器の見物かい。……ま、見るのはタダだ」

 無精ひげの男は椅子に腰かけたまま、手に持った布で刀身をぬぐっている。

 視線すらこちらに寄越さず、ぞんざいな言葉を投げる。

「ねえ、ノノ。あれ……どう?」

 ニアが目を向けたのは、ガラスの奥に並んでいた小ぶりの刃──だが、刀身は厚みがあり、ただの装飾用ではない重みを持っていた。

 ノノが指さすと、店主がようやく顔を上げる。

「あー、それな。ちょっと重いよ。お嬢ちゃんには無理じゃねぇかな。もっと軽くて華奢なやつのが似合うぜ?」

 ノノは少しだけ口を開きかけたが、何も言わず視線をそらす。

 代わりに、ニアが一歩前に出た。

「……ノノ、その重さの方が慣れてるんだよね?」

 ノノは静かにうなずく。

 ニアはその様子を見て、店主に向き直った。

「試させてもらえますか?」

「は? 冗談じゃねえ。刃物を女子供に握らせて、怪我でもされたらこっちの責任だ。買う気があるなら話は別だが……」

 言い終わる前に、店主の身体がわずかに揺れた。

 気づけばノノが、いつの間にか目の前に立っていた。

 まるで音もなく、空気を切るように間合いを詰めていた。

 店主の目が見開かれる。

 ノノは棚から小刀を抜き、重みを確かめるように手の中でバランスをとる。

「……もらっていきますね」

 その声は、静かで、淡々としていた。

 ノノは懐から金貨を数枚取り出して、カウンターに置くと、何事もなかったかのように刀を懐にしまった。

 店主は何も言えずに、ただ目で二人の背中を追った。

 扉が開き、夕暮れの空気が差し込む中、ニアは小さく笑って言った。

「ね、やっぱり似合ってるよ」

 ノノはわずかに頬を赤くして、そっと目をそらした。


***

 武具屋を出た二人は、通りを少し歩いて路地裏の古い画材店へと足を運んだ。

 木製の看板に色あせた文字が浮かび、ガラス越しに見える店内には、整然と並んだスケッチブックや絵の具たちが独特の静けさを湛えていた。

 ニアがドアを開けて中に入ると、奥の棚から現れた店主がふと顔を上げ、目を見開いた。

「あれ……?」

 年配の男は目を細め、戸惑うように笑った。

「帰ってきてたのかい、メアちゃん? ずいぶん久しぶりじゃないか」

 ニアの足がふと止まる。

「……」

 隣でノノが小さく振り返る。店主は気づかず続けた。

「っていうか、絵を描くのは弟のほうじゃなかった? 君、海外に留学してたんじゃ──」

 言いながら、ようやくニアの表情に違和感を覚えたのか、店主は言葉を切った。

「……ああ、すまない。違ったか……でも、よく似てるもんで」

 ニアは薄く笑ってみせた。

「いえ。……似てるって、よく言われます」

 声は静かだったが、その奥に何かを閉じ込めるような響きがあった。

 ノノがすっと一歩、ニアの隣に立つ。何も言わず、ただそれだけの動きで。

 店主はバツが悪そうに頭をかきながら、棚の方を指差した。

「ええと、スケブだったよな。ちょうど新しい紙質のが入ったとこでね。良ければ見てってくれ」

「……ありがとう」

 ニアは少しだけ目を伏せて、歩き出した。

 ノノも何も言わず、ぴたりとその隣を歩いた。

 ──母がついた嘘は、こうして街に根づいている。

 自分は今、亡き姉の亡霊としてここに立っているのかもしれない。

 そう思いながら、ニアは一冊のスケッチブックに指を伸ばした。


***

 宿に着いたのは、日が西に傾きはじめた頃だった。

 石造りの中規模な旅籠の受付には、やや気取った雰囲気の中年男が立っている。

 ニアがスケッチブックを脇に抱えてカウンターに立つと、受付の男はすぐに顔を上げ、丁寧な笑みを浮かべた。

「ようこそ。当宿をご利用いただきありがとうございます。ええと、お連れ様の分も含めて……二部屋、二泊でよろしいですね?」

 受付は、隣に立つノノには一瞥もくれず、書類とペンをすっとニアに差し出した。

 ノノは黙って立ったまま、そのやりとりを眺めていた。

「こちらにサインを──」

「……彼女本人の確認もしたほうがいいと思いますけど」

 ニアがやんわりと、けれどはっきりと言った。笑みはそのままだが、瞳には微かな違和感がにじんでいた。

 受付の男は一瞬戸惑い、視線を横へずらした。

「あ、ああ……その……」

 ノノの顔をチラリと見る男。その表情対応にノノはいつものことだとため息をつく。

 平凡な顔立ち、気の弱そうな幼い見た目。

 ノノは初対面の相手に大抵軽んじられる。

「本人の名前、聞かないんですか?」

 にこやかな口調のまま、ニアがそう重ねた瞬間、ノノは少しだけ目を見開いた。

 ──言われなければ気にも留めなかった、それくらい“さりげない無視”だった。

 受付はようやく気まずそうに目を泳がせ、咳払いを一つしてから形だけの確認をした。

「……そ、そうですね。お名前、伺っても?」

「ノノ・マルコス」

 無表情でそう答えたノノの横顔を、ニアは一瞬だけ見て、それからまた受付に向き直って微笑んだ。

 やがて鍵が二つ手渡され、二人は階段を上がっていく。

 廊下に出ると、ノノがふと口を開いた。

「……同じ部屋だと思ってた」

 ニアの肩がびくりと跳ねた。

「は……!? な、な、なっ……!」

 顔を真っ赤に染め、わたわたと身振りだけで言葉にならない。

「……え? なに?」

「なにじゃないよ! だって……女の子と男が、同じ部屋なんてありえないでしょ!?」

 完全にゆでだこ色になったニアは、荷物を抱え直すと、「もう!」と叫んでそそくさと自室に入っていった。

 ぽつんと残されたノノは、その背中を見送りながら、ぽつりとつぶやいた。

「……あ、そか。男の子か」

 その言葉にこめられた悪気のなさが、静かな廊下にふわりと溶けていった。



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