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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十章 空と額縁
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ニアと母

「……また見られてる」

 ぽつりと、ニアが呟く。

 癖のある長い睫毛に、整った顔立ち。お人形のようなその姿は、周囲の目を引くには十分すぎた。

 だが、本人はそれを誇らしく思うどころか、肩をすくめるように少しうつむいていた。

(目立ちすぎる……)

 ノノは心の中で小さく溜息をついた。

 これでは尾行どころか、監視対象がこちらに気づく方が早い。

 そもそもこのペア編成、誰が決めたのか。キサラギの顔が脳裏をよぎり、ノノは小さく唇を尖らせた。

 ニアはといえば、自分が見られている理由が分かっていないらしく、落ち着かない様子で時折服の裾をいじっていた。

(なんで、そんな顔してるんだろ。別に、変でもないのに)

 ノノは横目でニアを見た。

 あの服も、髪も、言葉の柔らかさも、全部“似合っている”のに。

 それでも、本人の中では「見られる=おかしい」になってしまっているのだろう。ノノには、その不安の形がどこか身に覚えのあるものに思えた。

 その日、ニアとノノに与えられたのは、二重の任務だった。

 一つは「メアの才能の石」の回収報告──正式には“返還完了の報告と、記録の整合確認”。

 もう一つは、過去に救出されたサーカス団の子どもたちの追跡調査。そして、才の石の流通ルートを探るための現地聞き取りだった。

 行き先は、ニアの実家がある旧王国領。

 かつて貴族文化が栄え、芸術と礼儀が価値とされていた古い街並みが残る場所。

 その土壌の一部には、ニアの家も深く根を下ろしていた。

 通りに並ぶ建物の屋根はどこも傾いていて、陽の傾きと同じように影を引いていた。

 人通りはさほど多くないが、それでもすれ違う者たちは、一度ニアに目を留める。

 やがて、目的の通りへと差し掛かったとき、ニアがふと立ち止まる。

「……僕の家、なんだけど。少し、見苦しいところ見せるかもしれない」

 ノノが立ち止まる前に、先にその言葉が飛んできた。

 振り返ったニアの表情には、いつものような緊張と、それ以上にどこか痛みのような色があった。

「嫌だったら、外にいてもいいからね」

 それは気遣いでもあり、遠ざけたいという無意識の自己防衛にも見えた。

 ノノは少しだけ目を細めた。

「……うん、わかった」

 ノノは、それ以上のことは言えなかった。

 ニアはうなずくと、小さく息を吐いて門を押した。

 重たい鉄製の門扉が、軋むような音を立てて開く。

 屋敷は、手入れはされているものの、どこか静謐すぎる空気を纏っていた。

 敷石の隙間にまで意匠が刻まれ、足元を歩くたびに、その“格式”が音もなく主張してくる。

(家っていうより、美術館みたい……)

 ノノはそう思ったが、口には出さなかった。


***

 ニアの家は、かつて宮廷付きの画家として名を馳せた父の一族が代々住んできた屋敷だった。

 芸術と格式の街。そのなかでも、いっそう“古い香り”が染みついている場所だった。


 応接室の空気は冷たく静かで、絵筆を握る手が止まったまま時を忘れたような空間だった。

 壁に飾られた大作──かつて父が描いたとされる王家の肖像画。その顔は、何故か薄くぼかされていた。


「……そう、メアの石が」


 母が淡々と告げたニアの報告に、視線も合わせず応じた。


「今は、調査隊の管理下にあるよ」


 ニアが静かに答えると、母はふぅとため息をつきながら、テーブルのカップをゆっくりと回した。


「……あんなもの、破棄してくれても構わないわ」


 ノノは言葉を飲み込んだ。

 ニアの隣で、何も言えないまま背筋だけをまっすぐに保っていた。

 いつもと違うニアの目の色に、ふと息を呑む。


「……そう簡単にはいかないよ」


 言葉は抑えていたが、その響きは明らかに冷たかった。


「あなたも絵を描くなら、他に方法があるでしょ? よく分からない、危ないところばかり行って……」


 母の声には、苛立ちとも、嘆きともつかない響きが混ざっていた。


「……」


 ニアは答えなかった。ノノにはその沈黙の意味が、はっきりと伝わった。


「……お父さんとお姉ちゃんみたいになってほしくないのよ。あの人たちは弱かったから」


 その言葉に、ニアの肩がピクリと揺れた。


「……弱くなんかない。ずっと、強かった。ただ、耐荷重が――越えてしまっただけなんだ」


 その瞬間、テーブルに置かれていたカップが転げ落ち、鈍い音を立てて床に転がった。


 母の目が細められる。


「……あなたたちみたいな“石つき”は、いつもそういう目をするのね。分かったような、同情するような目をして」


 ノノの胸が少し痛んだ。

 彼女は目を伏せ、指先に力をこめる。


「……」


「何もできないくせに」


 その言葉だけが、ゆっくりと沈殿していく。


 ニアは椅子を押して、静かに立ち上がった。


「……それだけ。僕ら、今日はもう行くよ」


 母は視線を上げないまま、少し唇を歪めた。


「泊まろうとも思ってないのね。実家なのに」


「……そうだね。思いもしなかったよ」


 ニアはノノに目配せをし、入り口に向かう。

 ノノも無言のままそれに従った。


 そして背後から──


「……当て付けか、わからないけど。そんな恥ずかしい格好、そろそろ卒業しなさいね」


 まるで、針のように鋭い言葉が飛んできた。


 ニアの足が一瞬だけ止まりかけて、それからゆっくりと歩を進めた。

 ノノはその背中を見ながら、何も言えないまま、ただ続く廊下を歩いた。




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