崩れる塔で
二人は、再び洗脳装置の前に立っていた。
扉の奥から響く脈動音は、ただの機械音ではなかった。
どくん、どくんと、生き物のように脈を打つその低音は――
まるで、苦しむ人々の“叫び”のように、アサヒの耳に届いていた。
「……アギルのくれた、これで」
アサヒの手には、彼から託された制御ユニット。
レイが横から覗き込むと、裏側には細かい記録回路が組み込まれていた。
「これは……構造情報と魔力回路の記録……?」
塔の内部構造と、洗脳装置の中枢システム。その全容が、そこに刻まれていた。
魔力の流れ。装置の制御系。抑制と誘導の構造――
レイの中で、直感が跳ねた。
「……癒しの魔力。もしこれを、“痛みで制御してる回路”に逆流させたら……?」
「やる」アサヒは、即答した。
その答えに、レイはふっと笑って言った。
「じゃあ俺は、道を守る」
それ以上、言葉は必要なかった。
レイが剣を抜き、アサヒは制御ユニットを握りしめた。
重厚な扉を押し開け、ふたりは同時に中へと踏み込む。
***
中央制御室へと続く通路の先――兵士たちが、すでに待ち構えていた。
目に光はなく、顔に表情はない。
機械仕掛けのように一糸乱れぬ動きで、じわじわと距離を詰めてくる。
「……ただでは通してくれないよな」
レイが低く呟いた瞬間、その剣が閃光を放った。
感情を殺した相手に、命は奪わない。
狙うのは武器、関節、意識の急所だけ。
レイの剣は、殺すためではなく――「守るため」に振るわれていた。
「……すごぉ、レイ強くなったね」
アサヒの感嘆の声にレイは少し照れながら怒鳴る。
「……さっさといけ!」
アサヒは、我に返るように駆け出した。
***
塔の最奥――
そこには、魔力で満たされたコアが存在していた。
中央に浮かぶコアは、幾重もの制御回路に包まれ、脈を打っている。
この心臓部こそが、洗脳波長の発信源だった。
「……いける、はず」
アギルから渡されたキーを差し込むと、ターミナルが起動する。
モニターには回路図が展開され、装置の魔力流路が可視化された。
アサヒは剣を握り直した。
「“痛み”で動かされてるなら……“癒し”で、断ち切る!」
剣を構え、アサヒは叫んだ。
次の瞬間――
その刃が、コアの根元へと突き立てられる。
癒しの魔力が、制御回路へ逆流していく。
この世界のどこにも記録されたことのない魔法構造。
本来は“回復”にしか使えないはずの魔力が、
いま、“痛みの命令”に染まった回路を優しく、しかし確実に打ち壊していく。
「……届いて。お願いだから」
魔力波形が乱れ、装置全体が軋むようにうねった。
視界が歪むほどの魔力衝撃。
けれど――確かに、抑圧された何かが「ほどけて」いく気配があった。
***
瓦礫の雨が降り注ぎ、夜空を赤く染める。崩れた棟の隅、炎のゆらめきの中に、黒猫が一匹。
瓦礫の下で動かない、アギルの身体にすがりつくように、猫は何度も仮面を被せようとする。壊れかけた装置が小さく火花を散らしていた。
最悪な未来。一番起きてほしくない未来。
一番の求める人間に殺されるアギルの絶望の顔を、トルクは見たくなかった。
どうにか位置情報がばれぬよう、トルクは、震える前足で必死に仮面の破片を押し戻している。 剥き出しになった頬にそれをかぶせ、なんとか覆い隠そうとする――だが、限界だった。
このままでは、見つかる。
そして、その未来も――見えていた。
煙の向こうから、誰かがやってくる。
(……来る)
あの男が。この子の“父”が。
目を伏せるトルクの横で、アギルはわずかに口を動かした。
「……もう、いい……」
アギルの声がと同時にトルクは悲しそうに瞳を揺らした。
「……父さんに、会いたいなぁ……」
その言葉は、まるで昔を懐かしむような響きだった。
恨みでも、怒りでもない。どこか、諦めと祈りの混ざった――静かな覚悟。
トルクの瞳が涙で光る。そして、前足を止めた。
仮面を戻しきれないその顔を見つめながら、何かを堪えるように、ただそっと寄り添った。
傷つくのに、悲しいのに。でもそれをアギルが選ぶなら、トルクはどこまでもついていこうと思った。
ついに――煙の奥から、ひとりの男が姿を現した。
白衣の裾を引きずり、煤にまみれた顔に、血の跡。
けれどその目だけは、かつてと同じ鋭さを残していた。
ガストン・ファレル。
すべての発端にして、終着点。
彼が、ようやく“息子”の元へと、足を止めた。




