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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録
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アギルの決意と冷たい未来

 暗く沈んだ処理室の奥、冷却装置の唸りだけが低く響いていた。

 その中心、拘束台に縛りつけられたアギルの体がわずかに痙攣する。仮面越しに断続的な息遣いが漏れ、端末に接続されたコードが軋んだ。

「命令どおり、供給を遮断しました」

 淡々と報告するゼフェリカの側近たち。その手元で、才能の石に繋がる補助管が切り離される。

 その瞬間、アギルの身体の中で、何かが静かに――だが確実に崩れた。

 仮面内部、視界を司るユニットに《ERROR_供給信号断絶》の赤文字が点滅する。

 呼吸補助装置が断続的に悲鳴を上げ、金属関節がかすかに軋む。

 仮面の奥で、アギルはゆっくりと目を閉じた。

 ――見えない。けれど、感じる。

 身体の奥から、魔力の波が引いていく感覚。

 燃料が枯れていく。もう、戦うどころか、自分を維持することすらできない。

 耳鳴りの中、どこかで聞き慣れた声が残響のように蘇る。


 『……君は、もう充分だったから』


 アサヒの声。あの時の救いの言葉。

 アギルは、乾いた唇をかすかに動かす。

「……これ以上……父さんを、“怪物”にしたくない……」

 誰にも届かない、か細い祈りのような声だった。

「処理完了まであと五分。反応なし、安定化しています」

 ゼフェリカの処理班が無表情に並び、端末にデータを走らせていた。

 モニターには仮面内部の映像。波形は弱く、魔力供給値はゼロ。もはや息をしているのが奇跡のような数値だった。

 だがそのとき、静かに、ひび割れた駆動音が鳴った。

 「……! 動いた!?」

 処理員が反射的に振り向いた直後――ガシャンと金属の拘束具が吹き飛んだ。

 仮面の奥でうっすらと目を開いたアギルが、全身を軋ませながら起き上がっていた。

 脚部はガクガクと揺れ、関節部からは火花が散っている。

 それでも、機械の体を引きずるようにしてアギルは――駆け出した。

「止めろ!そいつはもう機能停止寸前だぞ!」

 側近たちの制止の声を背に、アギルはよろめきながら扉を蹴り開け、闇の通路へと飛び込む。

 その背を追うように、黒猫――トルクが駆け出した。

 ガタガタと外れかけた仮面に、トルクは小さな前足で必死に押し戻す。

 どういうことか、先ほどの衝撃で普段の仮面とは真逆の作用にエラーが起きていた。普段は仮面をつけると、位置情報が送信される。しかし、外れると、アギルの機械の身体から位置情報が送信される。

 見える未来、複数の選択肢。トルクはそれが見えていた。

 「……ありがとう、トルク……」

 アギルの声は、機械の空気穴を抜けた擦れた呼吸だった。

***

 階段。裏路地。整備されていない配線だらけの通風孔。

 アギルの脚がもつれ、崩れるように倒れ込む。

 「ッ……くそ……!」

 拳をついて立ち上がろうとするたび、肩から血と黒い潤滑油が混ざり合って垂れる。

 骨も、筋も、義肢も――限界を超えていた。

 それでも、アギルは進んだ。

 まだ、終わらせるには早い。

 あの装置を止めなければ、父はもう戻れない。

 「……これで、いいんだ……」

 泥と油にまみれた顔を上げて、アギルは呟く。

 「もし……止められたら、それで……」

 息は浅く、目は霞んでいた。

 けれどその声には、確かに“意志”があった。

 そのとき――ふいに足元がぐらついた。

 次の段差に踏み出す前に、視界がぐにゃりと歪む。

 「っ――アギル!」

 倒れかけた身体を、誰かの腕が支えた。

 ふと見上げた視線の先――そこにいたのは、アサヒだった。


***


 地下通路の奥、機械の脈動が響く中を、アサヒとレイは足早に進んでいた。

 空気は重く、肌を焼くような魔力の波が背後から追ってくる。

 「あと少しだ……」

 レイが前を睨みながら呟く。

 そのとき、かすかな――小さな鳴き声がした。

 「……猫?」アサヒが眉をひそめる。

 次の瞬間、曲がり角の先――

 ぬらりと血の跡を引きながら、一人の人影がよろめくように現れた。

 ボロボロの義肢、油と血に濡れた装甲、剥がれかけた仮面。

 崩れ落ちるように膝をついたその人物は――アギルだった。

 トルクが肩に乗り、何度も顔を舐めていた。

 アギルの口元がわずかに開き、掠れるように声が漏れる。

 「……託しても……いいかな……」

 アサヒは、一瞬だけ瞠目し、そしてゆっくりと頷いた。

 アギルの指先が震える。

 それでも、彼は懸命に自らの仮面の側部――制御ユニットに指をかけ、外した。

 カシャン、と小さく乾いた音。

 それを、アサヒに差し出す。

「それが、装置のカギになる。それを差し込めば君の力が流し込めるはず」

 どこか、やりきったような、穏やかな表情だった。

「……父さんに……もう、届かなくていい、だから……君が……止めて、くれ……」


 アサヒが受け取ると同時に、アギルの身体が静かに傾いた。

 そのまま、意識を――落とす。

 アサヒは制御ユニットを胸に抱きしめ、そっと呟いた。

 「……うん。任されたよ」

 その言葉が、アギルに届いたかどうかはわからない。

 だが、彼の口元には、どこか安らぎのような笑みが残っていた。

 アサヒは勇者の剣を握りなおし、レイと共に再び装置に向かって走り出した。

 そんな二人の背を見送りながら、トルクは黒い尻尾を揺らした。

 そして頭の中に過る未来の光景。


 ーー冷たい瞳でアギルの息の根を止めるガストンが見えた。


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