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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第二章 彫刻家の孤独
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モルモットの瞳

 展示会場を照らす光が太陽から月に変わっていた。

 クラリッサは、届かないほど高い足場の上で、自らの手で作り上げた巨大な彫刻の白い肌をそっと撫でていた。

 その姿を、ヨシュアは目を細めて見上げていた。

「先生、もうお休みになりませんか。国際展も近いですし」

 呼びかけに、クラリッサは展示会場の窓に目をやる。

 外の闇に、初めて気づいたようだった。

「……もう少しだけ、やらせてもらえる?」

「せっかくの晴れ舞台の前に倒れたら、元も子もありません」

 ヨシュアは間髪入れずに応じ、さらに言葉を重ねた。

「こんな時間に音を出しては、近隣の迷惑にもなります」

 しぶしぶと、クラリッサは足場を降りはじめる。

 地上に降りた彼女は、背を向けたままぽつりと言った。

「私はただ、作りたいだけ。国際展には興味ないの」

「クラリッサさん……やっぱり、あなたは特別です」

 ヨシュアは、その背中に向かって、震えた声でつぶやいた。

 クラリッサは応じなかった。まるで聞こえなかったかのように、ひとり扉へと歩を進めていく。

 アサヒたちは、その様子を少し離れたところから黙って見つめていた。

「芸術の世界って……なんか独特だね」

「……外から見ると、そう映るのかもしれない」

 ニアの声は低く、視線はまっすぐクラリッサの後ろ姿を追っていた。

「行くぞ。護衛対象と同じ宿を取ってある」

 紫が声をかけると、アサヒたちは歩き出す。

 クラリッサの作品に向けるまなざしと、ヨシュアのそれとの微妙なずれが、展示室にかすかな違和感を残していた。

***

「…あんまり使いたくねえけど」

 紙袋の男は背中のポーチから濁った紫のアンプルを取り出した。爪の割れた指で蓋を折り、一気に流し込む。

 数秒の静寂のあと、体がびくりと震えた。

 首元から黒い紋様が這い出す。それは皮膚の下で脈打つように動き、まるで生き物のように肌の上を広がっていく。

「……ちゃんと実用化、されてんのかね、こういうの」

 焔羅がいつもの調子で笑みを作る。けれどその表情は、どこか強張っていた。

 その瞬間、黒い根がレイに向かって跳ねるように飛んだ。

 レイは咄嗟に背中の剣を抜いて受け止める。金属音が鳴り、火花が散る。

「レイっ!」

 押し込まれたレイは体勢を崩しながらも踏ん張った。根の元を探して目をやるが、そこには誰もいなかった。

「——後ろ!」

 振り向くと、すでに黒い触手が首筋を狙っていた。

 レイは体をひねり、刀を添えてそれをいなす。

(今だ……)

 右足を前に出し、踏み出すのと同時に肩口を黒い触手が掠める。

 ——助けて。痛い。やめて。つらい。死にたくない。殺して。

 頭の奥に、無数の声が一気に流れ込む。

 紙袋の隙間から覗いた赤い瞳が、レイの視線と交わる。

 僕は剣の持つ手が緩んだ。

 こうなることがわかっていたかのように紙袋の男はもう一つの触手をレイに向かって伸ばした。

 ーーーーガンッ!!

 吹き飛ばされたのは紙袋の男の方だった。一方レイは焔羅に抱えられていた。

「息、止めて」

 焔羅は即座に男の懐へ踏み込み、鋭く蹴りを放つ。そしてすぐさま棚の上に置かれた粉薬の束へクナイを投げた。

 紙袋の男が声にならない声を上げた瞬間、舞い上がった粉が視界を覆った。

 沈黙のあと、レイと焔羅の姿は消えていた。

***

 通りまでなんとか逃げてきた二人は、荒く息を吐きながら壁に寄りかかった。

 肩口の熱が、まだひかない。掠っただけなのに、火傷のように焼けついていた。

「……なんとか、逃げられたね」

 焔羅は淡々とつぶやく。

 レイは呆然としたまま俯き、剣の柄を握る手が震えていた。

「……声が……あのとき、聞こえたんだ。苦しい、助けてって。きっと、石の持ち主たちの……」

 焔羅はレイに視線を向ける。

 いつもと同じように笑っているようで、その目は笑っていなかった。

「レイくんさ、空気も読めるし、ほんの少し賢いけどさあ、任務ってこと、忘れてない?」

 その言葉は軽い調子だったが、芯には重みがあった。

「これから、ああいうのはざらに起きるよ。あの声の人たちみたいなのを、助けられないときもある。……それどころか、倒さなきゃいけない時だってある」

 しばらく沈黙が落ちたあと、焔羅はレイに問う。

「レイくんってさ、本気で誰かを殴ったこと、ある?」

 レイが顔を上げたとき、そこにいつものふざけた笑みはなかった。


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