ゼフェリカの黙示録
轟音が空気を裂いたのは、大将戦の熱気が最高潮に達した直後だった。
観客席の奥――要人たちが集う応接間にて、ガストン・ファレルは静かに立ち上がった。
「……起動」
手にしていた小型の魔導装置。その中央に刻まれた魔紋が淡く脈動し始める。
次の瞬間、会場全体のモニターに“揺らぐような紋様の波動”が走った。
誰もが目を瞬く。
その光に包まれるようにして、兵士たちの動きが不自然に止まり――
観客の中にも、肩を揺らし、目を曇らせる者が現れ始める。
「……な、なにこれ……頭が……っ」
「目が……焼けるような……」
呻き声とともに、数人が膝をつく。
ガストンの声が静かに響いた。
「――これが、ゼフェリカの《支配の初期化》。世界を、正しい姿へ“上書き”する第一歩です」
その声は応接間のみならず、各国首脳たちの通信にも、逐一送信されていく。
彼の意図は明確だった。
「洗脳ではありませんよ。人格の全否定でも、操作でもない。“抑制”と“最適化”です」
“才能の石”を持つ者――感情が過敏で、強い魔力を宿す者ほど、波長に引き込まれやすい。
彼らの中で、自意識が曇り始める者が次々に現れていた。
目が虚ろになり、口数が減り、周囲への興味が失われていく。
それは、ある意味で“苦痛からの解放”にさえ見えるほどだった。
「な、何が起きている!?」「波長干渉……?いやこれは魔力誘導か!?」
混乱に満ちた声が飛び交い、警備の兵士たちも慌てて動く――が。
「おい、どうした? なぜ剣を……!」
ゼフェリカ所属の兵士の数人が、急に周囲の警護から離れ、要人へとゆっくりと歩み出した。
顔に感情はなかった。ただ、空ろな目と硬直した笑みだけを浮かべていた。
「……“制圧”を開始します」
無感情な声で、彼らは剣を抜く。
観客席でも、異変は起きていた。体を震わせながら立ち上がる観客、目を覆う親、逃げ出す子どもたち――。
ざわつきは怒号となり、やがて悲鳴となる。
それを、ゼフェリカの兵士たちは一言も発することなく、冷静に“制圧”していった。
ガストンの計画。それは、“混乱による侵攻”ではなかった。
むしろ、“整然とした黙示録”だった。
***
大将戦の最中。
突然の爆音に紫と兆は手を止める。
「……なんだ?」
紫が眉をひそめて振り返る。
兆も鉄球を構えたまま目を細めた。
立ち入り禁止の戦場に、武装した兵士たちが次々に入ってくる。
その目は虚ろで、まるで意志が感じられなかった。
「……何が起きてんだよ」
紫の分析が追いつくより先に、洗脳された兵士が斬りかかってきた。
***
その混乱の中、応接室でも静かな火花が散っていた。
「姫、下がってください」
光が即座に前へ出る。
だが、セレナは一歩も退かず、冷静に足元に広がる“波長”の痕跡を見つめていた。
「…洗脳装置です。ゼフェリカは軍事兵器。…波長は地面から来ています。波長の出力、斜め下。会場地下、中央から東……構造的に、旧ブロックD」
その推理は速く、正確だった。
かつて王族としてゼフェリカ建設に関わった記憶が、即座に位置を特定させていた。
「噂程度かと思っていましたが……まさか本当に完成していたとは」
「光。すぐに全員へ」
セレナの声を受けて、光が胸元の無線端子を操作する。
『ゼフェリカが仕掛けてきました。おそらく洗脳装置を起動してきた模様です。地下ブロックDに装置あり。出力魔紋確認。
解除には《才能の石》保持者の魔力干渉が必要。繰り返す――』
その無線は、すでに暴徒と化した兵士や選手たちと交戦している各地の仲間たちの耳にも届いた。
「……なにもう、厄介じゃん」
焔羅はクナイで敵を制しながら肩をすくめる。紫の周囲には、異様な数の洗脳兵が群がっていた。一方で、アサヒの元にも次々と襲い来る敵の影。その周囲を、キサラギとレイが防衛線のように守っていた。
紫が息を吐きながら呟く。
「……あきらかに、石を狙ってきてる」
兆の鉄球が唸りを上げ、前方の敵をなぎ払う。その動きに合わせてキサラギが指示を飛ばす。
「……兆、地下への扉までの道を開ける。手を貸せ」
「了解」
兆の鉄球が空を切り、キサラギが撃ち漏らした敵を正確に落とす。
「アサヒ、てめぇの力ぶっぱなしてこい」
キサラギがぶっきらぼうに言い捨てた。
「……え、えっ!? なんで僕――」
「うるせぇ。その剣、経費でいい素材で打ち直したんだ。働け」
鬼の形相でにらむキサラギに、アサヒは思わず背筋を伸ばす。
紫が周囲の敵を引きつけながら、低く呟く。
「……私が引きつける。アサヒ、行け」
紫が敵の注意を引きつけながら、低く呟く。
「レイ」
キサラギから呼ばれたレイもすぐに頷く。
「……お前は“通せ”。弟の力を、な」
仲間たちが死力を尽くしてこじ開けた突破口。その狭間を、アサヒとレイは駆け抜ける。
混乱と暴力の渦中、火花が散り、煙が舞う。暴徒と化した者たちの手をすり抜けながら、二人はついに会場地下へと続く隔離通路へたどり着いた。
階段を駆け下り、重厚な鉄扉の前で、二人は足を止める。
その奥から響く――低く、重い“心音”。
どくん……どくん……。
機械の心臓のような魔力の波動が、脳をじわりと揺らしてくる。
「……ここだ」
レイが呟く。
アサヒは、足元に流れる魔力の痕跡を見つめ、静かに言った。
「この奥にあるんだね……全部の、元が」
返事はなかった。けれど、空気が答えていた。圧倒的な力の渦が、扉の向こうに確かに存在している。
アサヒの手が、剣の柄を握りしめる。
その動きに、もう一切の迷いはなかった。
「――行こう」
レイと目を合わせ、頷く。
ふたりは、ゆっくりと歩き出す。
この扉の先に、世界を変える“決着”が待っていると知りながら。
アサヒの手が、鉄扉の取っ手へと伸びた――。




