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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録
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届かない幻術

 対戦開始のアナウンスが鳴り響く直前、スタジアムの空気がぴたりと張り詰める。

 ゆっくりと歩みを進めて現れたのは――薄紫の衣を纏った青年と、銀髪の少女だった。

 観客席にざわめきが広がる。

 兄・ルーファは無表情で静かに目を伏せ、足音すら立てずに戦場中央へ。妹・ネイヴは楽しげに微笑みながら、その後ろを軽やかに跳ねるように歩いている。

「“幻想使い”だってよ……しかも、大将戦でか」

 その姿を見つめながら、レイが眉をひそめる。

「大将戦に幻術系が来るのは、正直予想外だったな……」

「だぁいじょうぶだって」

 ソファに寝そべっていた焔羅が、あくび混じりに呟いた。

「なんたってこっちの大将は、それ込みで“最強”なんだから」

 その言葉とほぼ同時に、戦場の反対側――

 ユルザ国代表、最後の二人が姿を現す。

 紫と、兆。

 無言で歩く紫の隣、鉄球を引きずって音を立てながら兆が続く。

「精神干渉型……情報がとれないように、意識の層を閉じろ」

 紫が小さく呟いた。

「……つまり、ぶん殴ればいいってことだな」

 兆が頷く。満足げな顔。

「私は妹の方をやる」

「じゃあ、兄の方をぶん殴るか」

「お互い、1mくらい距離あけてよう、邪魔になる」

「え、あ、うん」

 ……会話は成立しているようで、成立していなかった。

 控室の端でそれを聞いていたアサヒは、静かに感心の吐息を漏らす。

「すごいや紫……会話してるようで、してない……」

 その目はどこか学ぶようだった。

「……兆とは、そうやって話せばよかったんだなぁ」


***

 「――大将戦、開始!」

 アナウンスの声が響いた瞬間、空気がねじれた。

 視界がぐらりと揺れ、色が溶けるように歪んでいく。

 世界が、変わった。

「っ……」

 紫が目を細め、目の前に広がる景色を睨む。どこまでも灰色の空、うごめく影、木立の隙間からのぞく“過去”の光景。

 目の前には――母の姿。

 あの日、最後に会ったときと同じ服。同じ目線。同じ匂い。涙をはらんだ声が響く。

「……化け物を生んでしまったわ」

 続いて現れたのは、親族の女たち。冷たい目と吐き捨てる声。

 紫は一歩も動かない。ただ、その視線が徐々に鋭くなる。

 叔母の幻が近づいてくる。次第に血まみれになる叔母の姿。まるであの時そのものだった。

「お前は――」

 その声が最後まで届くことはなかった。

 空間が切り替わる。次の瞬間、目の前に背中を見せているのは――焔羅。

 金の髪が揺れ、隣にはミィナ。彼女の肩を抱き寄せていた。焔羅はくるりと振り返る。

 そして――チャラい笑顔で、ひとこと。

「――俺のラウ=ミディア帝国の王子様になってくるわ」

 満面のキラースマイル。

 瞬間、紫のこめかみに青筋が浮かんだ。

「……殺す」

 無言で拳を振り抜く。

 焔羅の顔面に全力ストレート。幻は吹き飛び、空間が一部崩れた。


***

「……ん?」

 兆は自分の前に現れた“家族”を見て、首をかしげていた。

 父、母、兄らしき影。

 けれど、その表情には困惑が浮かんでいた。

「……あれ? こんなんだったっけ」

 まるで、昔の記憶がぼんやりしすぎていて、幻が逆に違和感になるような感覚。

「……自分の記憶が信用ならん。なんか他にも忘れてる気がする。さっきアサヒに言われたな……」

 ちら、と横目で戦場の端を見やり、次の瞬間――

「……あ、夕飯のこと考えるの忘れてた」

 そう呟いて、幻の家族を鉄球で粉砕した。

✳✳✳


 幻の空間がぶれる。

「ちょっと、なんで崩れてんの!?」

 幻術の制御をしていたネイヴが、怒り交じりに叫ぶ。

 そんなのもお構いなしに紫が冷たく言い放った。

「……もう一度、あいつになれ。まだ殴り足りない」

 鉄拳、二発目。

 同時に、兆が具現化された幻獣を問答無用でぶん殴る。

「うおっ、なんか見たことあるやつだけど……まぁいいか」

 鉄球が唸る。幻獣は木端微塵に砕け、跡形もなく消えた。

***

「……なにこれ、ハマらない……?」

 ルーファがわずかに眉をひそめる。

 幻術の深層に誘導できていない。想定以上に“心が捻じれてる”。

 彼らは、感情で動かない。

 あるいは、感情の種類が――“普通”じゃない。

 幻術使いの兄妹にとって、それは“誤算”だった。


***

 静かな応接間――各国首脳陣が見守るなか、一人の男が耳打ちを受けた。

 ゼフェリカ技術院顧問・ガストン・ファレル。その顔がわずかに動いた。

 「……廃棄しろ」

 低く、抑えた声だった。けれど、確かにその一言は“命令”だった。

 その言葉に、隣席のセレナの眉がかすかに揺れる。

 (……まさか、アギルを)

 セレナは静かに問うた。声には怒気を乗せず、冷たく、丁寧に。

「……実の息子に、なぜそのようなことができるのですか?」

 ガストンはすぐには答えず、ほんの一拍だけ間を置いてから、口元にうっすらと笑みを浮かべた。


 その目は――笑っていなかった。


「セレナ姫。あなたは《痛みを肩代わりする才能の石》をお持ちだとか」

 セレナの瞳が鋭く光る。だがガストンは続けた。


「他人の痛みを引き受ける……なんて、立派な話だ。実に高潔だ。心から、素晴らしいと感服します」

 しかし、次の言葉は――冷ややかだった。


「だからこそ、あなたは“世間知らず”なんですねぇ」


 応接間の空気が一気に凍りつく。だが、ガストンは顔色一つ変えず、紅茶をひと口飲んだ。


「……先ほど、“なぜこの大会があるのか”と訊かれましたね」


 静かに、笑みを深めるガストン。


「“石つき”のあなたに――この大会の意味が、理解できると?」

 そのときだった。


 ――ドォン!


 重い衝撃音が、会場の外から鳴り響いた。


 爆発。会場全体がわずかに揺れ、応接間のシャンデリアがキィンと微かに鳴った。


「この武闘会は――ただの催しではない」


 ガストンの笑みが、ほんの少しだけ深まったように見えた。


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