届かない幻術
対戦開始のアナウンスが鳴り響く直前、スタジアムの空気がぴたりと張り詰める。
ゆっくりと歩みを進めて現れたのは――薄紫の衣を纏った青年と、銀髪の少女だった。
観客席にざわめきが広がる。
兄・ルーファは無表情で静かに目を伏せ、足音すら立てずに戦場中央へ。妹・ネイヴは楽しげに微笑みながら、その後ろを軽やかに跳ねるように歩いている。
「“幻想使い”だってよ……しかも、大将戦でか」
その姿を見つめながら、レイが眉をひそめる。
「大将戦に幻術系が来るのは、正直予想外だったな……」
「だぁいじょうぶだって」
ソファに寝そべっていた焔羅が、あくび混じりに呟いた。
「なんたってこっちの大将は、それ込みで“最強”なんだから」
その言葉とほぼ同時に、戦場の反対側――
ユルザ国代表、最後の二人が姿を現す。
紫と、兆。
無言で歩く紫の隣、鉄球を引きずって音を立てながら兆が続く。
「精神干渉型……情報がとれないように、意識の層を閉じろ」
紫が小さく呟いた。
「……つまり、ぶん殴ればいいってことだな」
兆が頷く。満足げな顔。
「私は妹の方をやる」
「じゃあ、兄の方をぶん殴るか」
「お互い、1mくらい距離あけてよう、邪魔になる」
「え、あ、うん」
……会話は成立しているようで、成立していなかった。
控室の端でそれを聞いていたアサヒは、静かに感心の吐息を漏らす。
「すごいや紫……会話してるようで、してない……」
その目はどこか学ぶようだった。
「……兆とは、そうやって話せばよかったんだなぁ」
***
「――大将戦、開始!」
アナウンスの声が響いた瞬間、空気がねじれた。
視界がぐらりと揺れ、色が溶けるように歪んでいく。
世界が、変わった。
「っ……」
紫が目を細め、目の前に広がる景色を睨む。どこまでも灰色の空、うごめく影、木立の隙間からのぞく“過去”の光景。
目の前には――母の姿。
あの日、最後に会ったときと同じ服。同じ目線。同じ匂い。涙をはらんだ声が響く。
「……化け物を生んでしまったわ」
続いて現れたのは、親族の女たち。冷たい目と吐き捨てる声。
紫は一歩も動かない。ただ、その視線が徐々に鋭くなる。
叔母の幻が近づいてくる。次第に血まみれになる叔母の姿。まるであの時そのものだった。
「お前は――」
その声が最後まで届くことはなかった。
空間が切り替わる。次の瞬間、目の前に背中を見せているのは――焔羅。
金の髪が揺れ、隣にはミィナ。彼女の肩を抱き寄せていた。焔羅はくるりと振り返る。
そして――チャラい笑顔で、ひとこと。
「――俺のラウ=ミディア帝国の王子様になってくるわ」
満面のキラースマイル。
瞬間、紫のこめかみに青筋が浮かんだ。
「……殺す」
無言で拳を振り抜く。
焔羅の顔面に全力ストレート。幻は吹き飛び、空間が一部崩れた。
***
「……ん?」
兆は自分の前に現れた“家族”を見て、首をかしげていた。
父、母、兄らしき影。
けれど、その表情には困惑が浮かんでいた。
「……あれ? こんなんだったっけ」
まるで、昔の記憶がぼんやりしすぎていて、幻が逆に違和感になるような感覚。
「……自分の記憶が信用ならん。なんか他にも忘れてる気がする。さっきアサヒに言われたな……」
ちら、と横目で戦場の端を見やり、次の瞬間――
「……あ、夕飯のこと考えるの忘れてた」
そう呟いて、幻の家族を鉄球で粉砕した。
✳✳✳
幻の空間がぶれる。
「ちょっと、なんで崩れてんの!?」
幻術の制御をしていたネイヴが、怒り交じりに叫ぶ。
そんなのもお構いなしに紫が冷たく言い放った。
「……もう一度、あいつになれ。まだ殴り足りない」
鉄拳、二発目。
同時に、兆が具現化された幻獣を問答無用でぶん殴る。
「うおっ、なんか見たことあるやつだけど……まぁいいか」
鉄球が唸る。幻獣は木端微塵に砕け、跡形もなく消えた。
***
「……なにこれ、ハマらない……?」
ルーファがわずかに眉をひそめる。
幻術の深層に誘導できていない。想定以上に“心が捻じれてる”。
彼らは、感情で動かない。
あるいは、感情の種類が――“普通”じゃない。
幻術使いの兄妹にとって、それは“誤算”だった。
***
静かな応接間――各国首脳陣が見守るなか、一人の男が耳打ちを受けた。
ゼフェリカ技術院顧問・ガストン・ファレル。その顔がわずかに動いた。
「……廃棄しろ」
低く、抑えた声だった。けれど、確かにその一言は“命令”だった。
その言葉に、隣席のセレナの眉がかすかに揺れる。
(……まさか、アギルを)
セレナは静かに問うた。声には怒気を乗せず、冷たく、丁寧に。
「……実の息子に、なぜそのようなことができるのですか?」
ガストンはすぐには答えず、ほんの一拍だけ間を置いてから、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
その目は――笑っていなかった。
「セレナ姫。あなたは《痛みを肩代わりする才能の石》をお持ちだとか」
セレナの瞳が鋭く光る。だがガストンは続けた。
「他人の痛みを引き受ける……なんて、立派な話だ。実に高潔だ。心から、素晴らしいと感服します」
しかし、次の言葉は――冷ややかだった。
「だからこそ、あなたは“世間知らず”なんですねぇ」
応接間の空気が一気に凍りつく。だが、ガストンは顔色一つ変えず、紅茶をひと口飲んだ。
「……先ほど、“なぜこの大会があるのか”と訊かれましたね」
静かに、笑みを深めるガストン。
「“石つき”のあなたに――この大会の意味が、理解できると?」
そのときだった。
――ドォン!
重い衝撃音が、会場の外から鳴り響いた。
爆発。会場全体がわずかに揺れ、応接間のシャンデリアがキィンと微かに鳴った。
「この武闘会は――ただの催しではない」
ガストンの笑みが、ほんの少しだけ深まったように見えた。




