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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録
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予測不能の連携

 夜の宿舎。

 誰もいない広間の隅で、ふたり分だけ灯った薄明かりのもと――アサヒとレイは向き合っていた。

「……アサヒ。中堅だけじゃなく、副将にも出てもらうぞ」

 レイの口から唐突に出た言葉に、アサヒの目が大きく見開かれた。

「……え? 僕、戦闘向きじゃないのに……」

 声が裏返る。椅子の背に思わず寄りかかり、アサヒはわずかに青ざめた顔を見せる。

「わかってる。けど……後衛が足りない。どうしてもな」

 レイの声に責める調子はなかった。ただ事実だけを静かに告げる、淡々とした響き。

「それに、たぶん――キサラギも、兆も、お前のためになる」

「……兆とは話したこと、あんまりないけど」

 アサヒがぽつりと呟くと、レイは少しだけ目をそらし、何かを言いかけてから、肩をすくめた。

「あー……うん……まあ、なんというか……」

 言いよどんだあと、言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。

「兆と組むときはな、とりあえず“ひとつだけ伝える”といい。お前は考えすぎるから」

 アサヒが目を瞬く。

「お願いしたいこと、譲れないこと――一個に絞って伝えろ」

 レイの言葉には、確信があった。

 アサヒを否定しないまま、それでも“兆との距離の詰め方”をきちんと示してくれていた。

 アサヒは黙って、小さくうなずいた。


***


(……僕の“譲れないこと”ってなんだろう)

 戦場のど真ん中で、アサヒの脳裏にレイの言葉がよみがえる。

『お願いしたいこと、譲れないこと、一個に絞って伝えろ』

(……僕は、戦況全部見て、全部助けようとして、結局中途半端で……)

 でも、今だけは。

 この瞬間だけは、たったひとつの願いに集中しよう。

(……僕の、お願いしたいこと――)

「今日の夕飯のことだけ考えてて!!」

 叫んだ瞬間、会場が一瞬静まり返った。

「……ん? わ、わかった」

 兆は少し戸惑った様子を見せながらも、素直にうなずく。

 その直後だった。

 兆の鎖付きスパイクが、今まで以上に混沌とした軌道を描き始める。

 振り上げられたかと思えば空を切り、地をえぐるように弧を描くかと思えば、急に止まって回転する――常識も重力も無視したような一撃。

 そのすべてが、“意図の読めない軌道”となって、戦場を荒らし始めた。

「……ッ!?」

 黒猫トルクの尾がぴくりと跳ねる。

 目を細め、何度も空中に虚像を描くように視線を巡らせるが――次の“未来”が読めない。

 読み取ったはずの数秒先と、目の前の現実が食い違い始めている。

「トルク……?」

 トルクの顔に、わずかな焦りが走った。

 その混乱が、アギルの動きにもわずかに伝染していく。

 兆の戦い方には意味がない。けれど今だけは――それが、最強の武器だった。

 読めない軌道、突発的な跳躍、斜めから飛び出す鉄球。

 けれどその“無軌道”のすきまに――アサヒの癒しの光が、ぴたりと滑り込む。

 兆の肩に切り傷が走る。アギルの針がかすめた。が――

 すぐさま、アサヒが剣を地に突き刺す。

 そこから、ふわりと広がった風のような緑の光が、兆の神経にだけ届き、痛みを断ち切る。そして消える傷口。

 アサヒの手は震えていた。それでも、視線は鋭く戦況を捉え、次の一手を探る。

(……違う、もう考えなくていい)

 兆の“動き”に、正解なんてない。あるのは、“次にどこに出るか”だけ。

 理屈を捨てる。それが、彼と並び立つ唯一の方法。

「……もう理屈とか知らない! とりあえず全部治せばいいんでしょ!!」

 アサヒが叫んだ。癒しの光が一気に広がる。

 それに呼応するように、兆の足が加速した。

 鉄球が――唸りを上げる。

 奇妙な軌道を描いた鉄塊が、アギルの仮面の鼻先をかすめて、地面を砕く。

 その瞬間だった。

 アギルの足元がわずかに揺らいだ。後退しようとする動きが、ほんの一瞬だけ遅れる。

 心臓の音が大きく波打った。

 動きが一瞬止まるのと同時に兆の鉄球が、アギルの腹部に直撃した。

 砂煙が視界を覆う。

 観客席のあちこちから、息をのむ音が漏れた。

「やった、か……?」

 誰ともなく、そう呟いた。

 

***


「父さん、模試で一番とったんだ、今度、学校でリレーの選手にも選ばれたよ」


 そう声をかけたのは、いつだっただろう。

 薬品の匂いが立ち込める研究室で、父は一切の反応を見せず、無言で装置の針を見つめていた。


「そんなものをとって何になるんだ?」

 静かに落ちた声。

 こちらを一度も振り返らない、背中越しの拒絶。


「模試で一位なんて、鍛錬みたいなものだろ。凡人でもできる。学校のリレーなんぞ、世界にいくつ学校がある。狭い世界だ」

 アギルは、小さな手で“順位”の書かれた紙を握りしめた。

 言葉を返すすべがない。胸の奥に、何かが詰まる。

「他者の評価を気にするなんてつまらないやつだな」

 ひときわ冷えた声が突き刺さった。

 アギルはそれでも――必死に笑おうとした。

「……そう、だね」

 笑顔は歪んでいた。それでも、研究室の扉を静かに閉める。

 その足元に、黒い猫が一匹。くるりとすり寄ってきた。

 アギルは猫の頭をそっと撫でて、呟いた。

「別に、順位なんてどうでもよかったんだぁ、トルク」

 本当はただ――

 この世でたった一人の、父さんに。


「父さんに、褒めてもらいたかったんだぁ」


 小さな声は静かにトルクにだけ、届く。トルクは悲しそうに、アギルにすり寄った。


 そんな静かな日々の中、

 “何か”が、少しずつ壊れ始めていった。

***


 血の匂いが立ち込める、あの研究室。

 注射器が散乱し、アギルは床に倒れ、血に濡れたトルクが痙攣していた。

 その中で、父・ガストンの声だけが、やけに明瞭に響いていた。

「素晴らしい……本当に素晴らしいぞ、アギル!」

 恍惚の笑み。

 片手に握られたメスが、赤黒く鈍く光っていた。

「君は、最高の――“作品”だ」

 その言葉に、アギルの瞳が――静かに開いた。

 

 ーー父さんが、はじめて褒めてくれた。



***

 ゆらりと立ち上がる、黒い影。

 仮面の下からにじみ出す黒い油。

 裂けた身体の内側に見える、無機質な金属の構造。

 その姿は、もはや人の形をしていなかった。

 アギルの真っ黒な瞳が、静かにこちらを見据えていた。


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