見えない手綱
控室奥――各国首脳陣の特別観覧席近くに設けられた応接間。
セレナはひとり、ゼフェリカ代表団の中央に腰を据える黒髪の男を見据えていた。
「……ずいぶん、皆さん資源には恵まれているようですね」
セレナの声は穏やかだったが、その目には冷ややかな光があった。
「いやいや、まさか。ユルザのような土地には到底及びませんよ、ほんとうに羨ましい限りだ」
そう笑ったのは、ゼフェリカ王国・技術院顧問にして、今大会の実質的な後援責任者――アギルの父、ガストン・ファレルだった。
年齢にそぐわぬ鋭い眼光。研究者らしい知性と皮肉が、言葉の端々ににじむ。
「……この大会、貴国が主催したと伺いました。なぜこのような場を設けたのですか?」
問いかけるセレナに、男はわずかに唇を歪めた。
「セレナ姫。ここにいる選手たちの多くは、“石つき”ではありません。まがい物の力、人工的な強化……それが現実です」
「本物の石つきを出しているのは……変わり者のラウ=ミディア帝国か、それとも――」
「――ユルザ国、くらいでしょうな」
言葉を継いだのはガストンだった。目を細め、あたかも称賛のように言いながらも、その声は嘲笑を孕んでいた。
「そういえば、セレナ姫。あなたも“石つき”でしたね。まったく、うらやましい。ほら、周りの国も……皆さん、羨ましそうに見ておられますよ?」
まるで、舞台の中央に立った俳優を煽るように。
その場の空気がわずかにきしむ。
「……本当に、羨んでいるとお思いですか?」
セレナは静かに言い返した。声は低く、しかししっかりと芯を持っていた。
「“石”を持って生まれるということが、どれだけの十字架か……。それを知らぬ人の言葉は、軽く響きます」
応接間に、薄い沈黙が落ちた。
ガストンはそのまま口を閉ざしたが、視線だけは、どこまでも冷たくセレナを見つめていた。
――静かな前哨戦は、すでに始まっている。
***
「――副将戦、開始!」
アナウンスが響くと同時に、会場がどよめく。
仮面をつけた無気力そうな少年・アギルと、その隣でしなやかに尾を振る黒猫――トルクが、音もなく戦場へと歩み出る。
「……え、猫?」
観客のざわめきは止まらない。
だが、そんな空気をまったく気にせず――兆が飛び込んだ。
瞬間、アギルは一歩も動かず、兆の攻撃をスルリと回避する。
その背後で、黒猫トルクの尾がピクリと揺れた。
まるで戦場の“数秒先”を、完全に読んでいるかのように。
「兆……っ、全部かわされてる……!」
アサヒが思わず身を乗り出す。
そこへ光の無線が入る。
『その猫は――未来視が使えます。戦場の予測を読み、その情報をアギルに伝えているようです』
「未来視……!?じゃあ、普通に戦っても全部避けられちゃうってこと?」
アサヒが声をあげたその隣で、兆は「……そうか」とだけ呟き――再び突っ込んで行く。
「待って、聞いてた!?」
が、攻撃はすべてかわされ、挙句カウンターを食らって吹っ飛ぶ兆。
「えっ、ちょっと!? 何してるの!?」
アサヒは、兆の行動に思わず声を上げる。
「ん? かわされる……?」
兆はいたってまじめな素振りで、いった。
「そう言ってるじゃん!!」
「……え? なにが?」
出来そうな顔なのがまた腹立たしい。
「未来読めるってば!!」
「……読めるって言ってたが、それとかわされるのは、どう関係が?」
「え、いや……え? 兆の動きが読まれてるってことなんだけど!?」
アサヒの言葉は兆にうまく伝わらない。
「ほう……未来が読めると、俺の動きが?」
「そうだって!!」
「なるほど……で、だから何だ?」
「…………???????」
脳みそが溶けそうな会話にアサヒは迷走の海に入った。
この理解不能な会話、何がどう伝わらないのかすら、もはや分からない。
むしろ自分が何か悪いのではと錯覚するような兆の返し。
アサヒはあまりにも真面目すぎた。そして傲慢でもあった。故にほかの人間たちが大抵するであろうスルースキルというものがないのだ。
なぜそれが伝わらないのかなんなのか、他者はまるで同じだと思い、その事実は揺るがなく万人に理解されていると思っている。
その瞬間、控室で見ていた面々が一斉に頭を抱える。そして、アサヒに向かって言葉を投げかける。
「兆は二文以上処理できねぇ! 馬鹿なんだ!!」
キサラギが椅子を蹴る。
「説明するだけ無駄だ! 馬鹿なんだ!!」
紫が無感情に叫ぶ。
「向き合うと損するぞー! 馬鹿なんだ!!」
焔羅は観客に向かって言い放つ。
「まじめに考えるな! 馬鹿なんだ!」
レイが頭を抱えて項垂れる。
『……馬鹿なんです』
光の無線だけが、妙に静かだった。
「……え……?なんで?」
兆の切ない声が響く。
そんな二人の状況とは裏腹に、アギルたちはずっとギラギラした面持ちで、こちらに構えを取る。そしてアギル刀を握りしめ床を蹴り上げる。
その瞬間前に出たのは兆だった。
鉄が軋む音が、会場の空気を切り裂く。
兆の手に握られていたのは、鎖で繋がれた鉄球型のスパイク――まるで戦場の獣のような、凶悪な武器だった。
ぐるん、と振るえば鉄球は大きく弧を描き、観客席からも息を呑む音が漏れる。重く、鈍く、しかし妙にリズムのない動き。
それは“読めない”というより、“そもそも法則が存在しない”かのようだった。
振り下ろせば地が砕け、振り回せば風がうねる。巻き添えになりそうな一撃の数々。
そんな鉄の塊の起動さえ、アギルはふわりとよけ続ける。刀を持つ逆側の指先から飛んでくる鋭い針。サイボーグのような腕。
けれど――おかしい。
不思議と、その一撃はアサヒには決して当たらない。
むしろ、アギルの動きがアサヒを捉えかけた時――そのすべてに、兆が割り込んでいた。
(……まさか、守ってくれてた?)
それは、言葉のない信頼だった。兆は言わない。説明もしない。ただ、そこにいる。
意味不明な奇行を繰り返しながらも、アサヒを“傷つけさせない”ことだけは、本能のようにやってのける。
そして次の瞬間、アギルが鋭い一撃を放った。
仮面の奥から見据える視線。鋭い、迷いのない刃のような殺気。
そのとき、アサヒの前に――兆がいた。
ガン、と音が響く。
その一撃を、兆のスパイクが受け止めていた。
予知の指示も間に合わない一手。
それは、本能と、感覚だけの動き。
「……ちゃんと、俺のために動いてくれてるんだ」
アサヒの声が、わずかに震えながらこぼれた。
兆の動きに“意味”があると気づいた瞬間、すべてが変わり始めていた。




