表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録
113/174

癒しの形

 銃声。

 殴打音。

 悲鳴ではない、快楽に満ちた吐息。

 戦況は、じわじわとこちらを削っていた。

 キサラギは冷静に動き続けていた。けれど、少しずつ、確実に彼の動きは鈍っている。

 服の下からのぞく、赤い染み。鋭く、深く刻まれた切り傷。

「……くっ……!」

 アサヒは震える手で、再び剣を握り直す。

 癒す。

 でも、またスールにも届いてしまう。

 敵の“祝福”がまた強まる。

(違う……このままじゃ、癒せば癒すほど……)

 視界の端で、キサラギが膝をつきかけた。

 アサヒの心臓が強く打った。

 ――だめだ。止められない。助けたいのに、助けるほど、相手が笑うなんて。

(なら……)

 脳裏に、あの言葉が蘇る。

 ――『反響板のような素材。力をどこに届けるかは、自分次第だ」』

 (全方位に届くなら……力の“質”を変えるんだ)

 回復じゃない。完全な癒しでもない。

 “痛みを、感じなくさせる”。

 治療の方針を変える、緩和治療というものに。

 傷は治らなくても、痛みだけをそっと取り除く処置。

(感じなければ、削られない……!)

 アサヒは呼吸を深く整えた。

 剣の魔力が、先ほどとは違う色に染まり始める。

 穏やかで、やわらかい緑。

 風が吹き抜けるような、痛みを抱いた者を包み込む優しさ。


「――お願い。届いて」


***

 静かな屋上の縁、焔羅はひとり、しゃがみこんだ敵の傍らに腰を下ろしていた。

「よーし……これで最後かな」

 端末に視線を落とす。

 敵の反応を示す赤い点が、すべて消えていた。

 まるで、獣の気配が一斉に引いていくように。

 そのとき――

「……」

 足音もなく現れたのは、紫だった。

 焔羅が仕留めた敵をひと目見るなり、すぐに短く無線を飛ばす。

「……全員処理した」

 数秒の静寂ののち、無線機から光の声が返ってくる。

『ありがとうございます。こちらも“大本”の処理は完了しました。

 私はセレナ姫の護衛が手薄なので、そちらへ向かいます』

 通信が切れると同時に、焔羅が笑みを浮かべて立ち上がった。

「紫ちゃん、仕事早いねー。さっすが〜」

 にこやかに肩をすくめながら、いつもの調子で話しかける。

 だが――

「……いま私に話しかけるな。殺すぞ」

 その一言で、空気が凍った。

 紫は焔羅を睨むように見下ろしている。

 視線は冷たく、口調は氷の刃のように研ぎ澄まされていた。

 ちらつくのはミィナに抱き着かれている焔羅の姿。

「……え、こわ。なんでそんな怒ってんの?」

 このやり取りを最後に、ふたりは屋上の静けさの中へと消えていく。

 次の戦いが、すでに始まっていることを知りながら。


***

 放たれた“癒し”は、確かにキサラギに届いた。

 傷はそのまま。だが、痛みだけが――完全に、消えていた。

 その異変に、キサラギはすぐさま状況を理解する。

 一方、スールとガロの顔色が変わる。

 まるで支えを奪われた子どものように、茫然とした顔。

「……後でほんとに治すから、今はどうにかお願い、キサラギ」

 アサヒの一言に不敵な笑みを浮かべるキサラギ。

「……やるじゃん、坊ちゃんのくせして」

 そこへ、見計らったように無線の声が割り込む。

『……全員処理した』

 もう、気にするべきものはない。

 そして、スールの震えた声が、ぽつりと漏れた。

「……痛みが……祝福が……奪われた……?」

 その言葉は魔法が解けたように、空気を変えた。

 痛みが消えている。けれど、傷はある。

 それは、スールにとって“呪い”に近かった。

「なんで……なんで……痛くない、痛くない……!」

 彼の絶叫とともに、スールが再び跳びかかる。

 腕から飛び出した骨刃が閃く。

 キサラギはその刃に向かって、淡々と銃弾を叩き込む。

 次の瞬間――刃が脆く砕けた。

 ガロの顔が蒼白になる。必死に、自らの胸を叩き、痛みを呼び戻そうとする。

 だが、もう――ない。

 スールの体は空中でねじれ、無防備なまま地面に叩きつけられる。

 ガロもまた、崩れるように膝をついた。

 二人の口から、同じ言葉が繰り返される。

「どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう」

 まるで壊れた人形のように、意味のない言葉を繰り返しながら。

 哀れで、滑稽で――どこか、救いを乞うように。

 アサヒは剣にもう一度、力を込めた。

 麻酔のように穏やかな魔力を、二人にだけ向けて流し込む。

 干渉するものがなくなり、力を制御できるようになった今、それは正確に届く。

 スールとガロの意識は、静かに――眠るように落ちた。

 アサヒはそっと目を伏せて、呟いた。

「僕は……痛みで、ごまかしたくない。ちゃんと、向き合うんだ」

 そのとき――

 意識の奥に、かすかな記憶がよみがえる。

 点滴が並ぶ薄暗い病室。

 痛みに泣く子どもたち。

 その中に――たれ目の、大きな目をした少女がいた。

『アサヒ……たすけて……いたい……』

 刺すような声。焼けるような喉。

『ごめんね……ごめんねぇ、こんなことたのんで、ごめんねぇ』

 毛布の上に落ちていく、少女の髪の毛。


 ――あれは、いつの記憶だったっけ?


 現実に引き戻されたのは、会場を包む歓声だった。

「ユルザ国の勝利ーーー!!」


***

「……なんとか勝てたな、よかった」

 控室に響く兆の声。レイは素直に喜ぶことができなかった。

 アサヒが選んだ“癒し方”。

 痛みを取ることで戦況を崩す。それは、確かに勝利へと繋がった。

 けれど、そのやり方は、まるで――


「……本当に、良かったんだろうか」


 その声は、静かに、控室に落ちた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ