癒しの形
銃声。
殴打音。
悲鳴ではない、快楽に満ちた吐息。
戦況は、じわじわとこちらを削っていた。
キサラギは冷静に動き続けていた。けれど、少しずつ、確実に彼の動きは鈍っている。
服の下からのぞく、赤い染み。鋭く、深く刻まれた切り傷。
「……くっ……!」
アサヒは震える手で、再び剣を握り直す。
癒す。
でも、またスールにも届いてしまう。
敵の“祝福”がまた強まる。
(違う……このままじゃ、癒せば癒すほど……)
視界の端で、キサラギが膝をつきかけた。
アサヒの心臓が強く打った。
――だめだ。止められない。助けたいのに、助けるほど、相手が笑うなんて。
(なら……)
脳裏に、あの言葉が蘇る。
――『反響板のような素材。力をどこに届けるかは、自分次第だ」』
(全方位に届くなら……力の“質”を変えるんだ)
回復じゃない。完全な癒しでもない。
“痛みを、感じなくさせる”。
治療の方針を変える、緩和治療というものに。
傷は治らなくても、痛みだけをそっと取り除く処置。
(感じなければ、削られない……!)
アサヒは呼吸を深く整えた。
剣の魔力が、先ほどとは違う色に染まり始める。
穏やかで、やわらかい緑。
風が吹き抜けるような、痛みを抱いた者を包み込む優しさ。
「――お願い。届いて」
***
静かな屋上の縁、焔羅はひとり、しゃがみこんだ敵の傍らに腰を下ろしていた。
「よーし……これで最後かな」
端末に視線を落とす。
敵の反応を示す赤い点が、すべて消えていた。
まるで、獣の気配が一斉に引いていくように。
そのとき――
「……」
足音もなく現れたのは、紫だった。
焔羅が仕留めた敵をひと目見るなり、すぐに短く無線を飛ばす。
「……全員処理した」
数秒の静寂ののち、無線機から光の声が返ってくる。
『ありがとうございます。こちらも“大本”の処理は完了しました。
私はセレナ姫の護衛が手薄なので、そちらへ向かいます』
通信が切れると同時に、焔羅が笑みを浮かべて立ち上がった。
「紫ちゃん、仕事早いねー。さっすが〜」
にこやかに肩をすくめながら、いつもの調子で話しかける。
だが――
「……いま私に話しかけるな。殺すぞ」
その一言で、空気が凍った。
紫は焔羅を睨むように見下ろしている。
視線は冷たく、口調は氷の刃のように研ぎ澄まされていた。
ちらつくのはミィナに抱き着かれている焔羅の姿。
「……え、こわ。なんでそんな怒ってんの?」
このやり取りを最後に、ふたりは屋上の静けさの中へと消えていく。
次の戦いが、すでに始まっていることを知りながら。
***
放たれた“癒し”は、確かにキサラギに届いた。
傷はそのまま。だが、痛みだけが――完全に、消えていた。
その異変に、キサラギはすぐさま状況を理解する。
一方、スールとガロの顔色が変わる。
まるで支えを奪われた子どものように、茫然とした顔。
「……後でほんとに治すから、今はどうにかお願い、キサラギ」
アサヒの一言に不敵な笑みを浮かべるキサラギ。
「……やるじゃん、坊ちゃんのくせして」
そこへ、見計らったように無線の声が割り込む。
『……全員処理した』
もう、気にするべきものはない。
そして、スールの震えた声が、ぽつりと漏れた。
「……痛みが……祝福が……奪われた……?」
その言葉は魔法が解けたように、空気を変えた。
痛みが消えている。けれど、傷はある。
それは、スールにとって“呪い”に近かった。
「なんで……なんで……痛くない、痛くない……!」
彼の絶叫とともに、スールが再び跳びかかる。
腕から飛び出した骨刃が閃く。
キサラギはその刃に向かって、淡々と銃弾を叩き込む。
次の瞬間――刃が脆く砕けた。
ガロの顔が蒼白になる。必死に、自らの胸を叩き、痛みを呼び戻そうとする。
だが、もう――ない。
スールの体は空中でねじれ、無防備なまま地面に叩きつけられる。
ガロもまた、崩れるように膝をついた。
二人の口から、同じ言葉が繰り返される。
「どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう」
まるで壊れた人形のように、意味のない言葉を繰り返しながら。
哀れで、滑稽で――どこか、救いを乞うように。
アサヒは剣にもう一度、力を込めた。
麻酔のように穏やかな魔力を、二人にだけ向けて流し込む。
干渉するものがなくなり、力を制御できるようになった今、それは正確に届く。
スールとガロの意識は、静かに――眠るように落ちた。
アサヒはそっと目を伏せて、呟いた。
「僕は……痛みで、ごまかしたくない。ちゃんと、向き合うんだ」
そのとき――
意識の奥に、かすかな記憶がよみがえる。
点滴が並ぶ薄暗い病室。
痛みに泣く子どもたち。
その中に――たれ目の、大きな目をした少女がいた。
『アサヒ……たすけて……いたい……』
刺すような声。焼けるような喉。
『ごめんね……ごめんねぇ、こんなことたのんで、ごめんねぇ』
毛布の上に落ちていく、少女の髪の毛。
――あれは、いつの記憶だったっけ?
現実に引き戻されたのは、会場を包む歓声だった。
「ユルザ国の勝利ーーー!!」
***
「……なんとか勝てたな、よかった」
控室に響く兆の声。レイは素直に喜ぶことができなかった。
アサヒが選んだ“癒し方”。
痛みを取ることで戦況を崩す。それは、確かに勝利へと繋がった。
けれど、そのやり方は、まるで――
「……本当に、良かったんだろうか」
その声は、静かに、控室に落ちた。




