共鳴の傷口
控室のベンチで、兆とレイは二人、取り残されていた。
紫と焔羅は光の補助へと向かい――残された彼らは、いざという時の“保険”として、動けずにいた。
場に出られないもどかしさが、じわじわと胸を締めつけていく。
「……まずい」
レイが会場を見つめたまま、ぽつりとつぶやく。
キサラギとアサヒ。
ペアとしては最適のように見えて、その実、今の相手とは最悪の相性だった。
「……なんで、アサヒは敵まで癒してんだ」
兆が眉をしかめて呟く。
状況を理解しきれないまま、目の前の“異常な光景”を見つめていた。
「……きっと、相手の“共鳴”に、アサヒの癒しが引っ張られてるんだよ」
レイが口を開く。
声は静かだが、そこに焦りがにじんでいた。
「魔力の指向って、すごく繊細だから……。今のアサヒじゃ、少しの揺らぎでバランスが崩れる」
それが“善意の力”であるほど、コントロールは難しい。
だからこそ――アサヒは今、問われている。
「ん……?つまりどういうことだ?」
その問いに、レイはうんざりした顔を浮かべ、何も答えなかった。
***
音が――ない。
紫は屋根裏の梁の上、金属の影に溶けるように身を潜めながら進んでいた。
下から響く歓声も、戦場の喧騒も、ここには届かない。
あるのは、硬質な足音と、自分の呼吸の輪郭だけ。
この場所、この任務、この空気――自分に最も合っている。
南東、第四ブロックの天井裏。
スコープの反射。銃口の角度。わずかな衣擦れ。
すべてが、確かな“兆候”を教えてくれていた。
(……どうやら、目標以外周りは見えてないらしいな)
紫は迷いなく腰の短剣を抜く。
その刀身は陽に反射しないよう、黒く染め上げられた狩りの道具だった。
――数秒後。
観客席の裏側、通路の支柱の陰でひとつの体が崩れ落ちる。
声もなく、音もなく。
(あと四人)
殺意も興奮もない。ただ淡々と。
紫は次のルートへと足を踏み出す。
焔羅のほうも、別の方向に動いているはず。
紫は静かに呼吸を整え、次の標的に狙いを定めた。
***
戦況は、確実に“狂い”始めていた。
癒しの光が放たれるたび、スールの傷は消え、肌は滑らかに再生される。
だが、痛みは――消えていない。
感じ続ける痛みと、消え去る傷跡。
その矛盾が、スールという存在を異様なほど膨張させていた。
止まない攻防。
キサラギはひたすらに応戦し続け、アサヒは癒しを重ねる。
だがそのすべてが、敵にも“届いて”しまっていた。
「あは……永遠に感じられる…!……この痛み……!」
スールの呟きは、戦場に似合わぬほど甘美な響きを持っていた。
うっとりとしたその目が、アサヒを捉える。
視線がアサヒに向けられる。
アサヒの背中に汗が伝う。
今、癒しの力は――敵に届いている。
それでも、自分が止めたら、キサラギが削られていく。
(どうすれば……どうすればいい……?)
刀を握る手の力が緩んだその時、キサラギの声が届いた。
「やりつづけろ。何度でも、俺が抑え込む」
それだけだった。命令ではなく、確認でもなく、選択を預ける一言。
アサヒは息を飲む。
迷っても、信じてくれている。
その事実だけが、震えそうな足を支えた。
だがその直後――
スールの体が、異様な軋みをあげてうねった。
「――祝福が、強まった」
バキッ――。
骨の割れる音。
スールの腕の内側から、白く鋭い“刃”が生えはじめていた。
それは皮膚を突き破り、まるで神像の装飾のように滑らかな光をまとっていた。
「ああ……神様がまた……新しい力をくれたんだ……!」
恍惚としたその声が、観客席にまで響いた。
キサラギが一歩、スールの懐に踏み込みかけた瞬間、
骨刃が風を裂きながらうなりをあげて突き出される。
まるで、刃そのものに意志があるかのように。
***
「あーあ、ずいぶんとわかりやすいお馬鹿さんなんですねぇ」
甘く澄んだ声とともに、光は静かに扉を開けた。
そこは、セレナたちのいる部屋とは正反対――建物の北端に位置する警備用通路の一室。
中には、すでに複数の護衛たちが床に倒れていた。
完全に意識を手放している。呼吸はある。だが、目を覚ます気配はない。
その中央に立っていたのは、一番最初に姿を消していた近衛兵。
ユルザの内乱終結後、新たに配属された新参者だった。
「もしかして、どっかの国のスパイですか?こんなに簡単に場所特定されるのって、情報管理どうなってるんですか?」
光の声音は、まるで天使のように無邪気。
だが、その言葉の刃は鋭く、相手の神経をじわじわと削っていく。
「……お前みたいな小娘にばれたところで何の問題もない」
近衛兵は苛立ちにまかせて銃を構えた。
その瞳にはまだ、光を“ただの少女”だと思う油断があった。
光はため息をつくように、ゆっくりとフードを下ろす。
――さらり、と金の髪が肩を流れ落ちた。
その瞬間、空気が変わった。
金糸のように美しく揺れる髪。
宝石のような瞳。
そして、花のように微笑む口元。
「――僕の目、ちゃーんと、見てくださいね」
その声とともに、近衛兵の視界が、ぐにゃりとねじれた。
地面が沈み、天井が渦を巻く。
まるで自身が吸い込まれていくような感覚。
視界の中に、異形の影が現れる。
「う……うわ……あ、あああああああ!!!」
悲鳴。
どす黒い瘴気の中、異形の怪物がぬるりと姿を現した。
ねじれた口、数えきれぬ手足、空洞のような瞳。
その怪物が、まっすぐに近衛兵に手を伸ばしてくる。
「僕ね、お仕置き得意なんです」
光がやさしく、微笑んだ。
――次の瞬間。
バタン、と鈍い音を立てて近衛兵は床に崩れ落ちた。
動かない。けれど、命はある。
目を見開いたまま、失神していた。
くるりと髪を払いながら、光はあっけらかんと言った。
「おおもとの排除は完了、と」
フードをかぶり直すと、彼女はまた影へと溶けていった。




