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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録
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共鳴の傷口

 控室のベンチで、兆とレイは二人、取り残されていた。

 紫と焔羅は光の補助へと向かい――残された彼らは、いざという時の“保険”として、動けずにいた。

 場に出られないもどかしさが、じわじわと胸を締めつけていく。

「……まずい」

 レイが会場を見つめたまま、ぽつりとつぶやく。

 キサラギとアサヒ。

 ペアとしては最適のように見えて、その実、今の相手とは最悪の相性だった。

「……なんで、アサヒは敵まで癒してんだ」

 兆が眉をしかめて呟く。

 状況を理解しきれないまま、目の前の“異常な光景”を見つめていた。

「……きっと、相手の“共鳴”に、アサヒの癒しが引っ張られてるんだよ」

 レイが口を開く。

 声は静かだが、そこに焦りがにじんでいた。

「魔力の指向って、すごく繊細だから……。今のアサヒじゃ、少しの揺らぎでバランスが崩れる」

 それが“善意の力”であるほど、コントロールは難しい。

 だからこそ――アサヒは今、問われている。

「ん……?つまりどういうことだ?」

 その問いに、レイはうんざりした顔を浮かべ、何も答えなかった。


***

 音が――ない。

 紫は屋根裏の梁の上、金属の影に溶けるように身を潜めながら進んでいた。

 下から響く歓声も、戦場の喧騒も、ここには届かない。

 あるのは、硬質な足音と、自分の呼吸の輪郭だけ。

 この場所、この任務、この空気――自分に最も合っている。

 南東、第四ブロックの天井裏。

 スコープの反射。銃口の角度。わずかな衣擦れ。

 すべてが、確かな“兆候”を教えてくれていた。

(……どうやら、目標以外周りは見えてないらしいな)

 紫は迷いなく腰の短剣を抜く。

 その刀身は陽に反射しないよう、黒く染め上げられた狩りの道具だった。

 ――数秒後。

 観客席の裏側、通路の支柱の陰でひとつの体が崩れ落ちる。

 声もなく、音もなく。

(あと四人)

 殺意も興奮もない。ただ淡々と。

 紫は次のルートへと足を踏み出す。

 焔羅のほうも、別の方向に動いているはず。

 紫は静かに呼吸を整え、次の標的に狙いを定めた。


***

 戦況は、確実に“狂い”始めていた。

 癒しの光が放たれるたび、スールの傷は消え、肌は滑らかに再生される。

 だが、痛みは――消えていない。

 感じ続ける痛みと、消え去る傷跡。

 その矛盾が、スールという存在を異様なほど膨張させていた。

 止まない攻防。

 キサラギはひたすらに応戦し続け、アサヒは癒しを重ねる。

 だがそのすべてが、敵にも“届いて”しまっていた。

「あは……永遠に感じられる…!……この痛み……!」

 スールの呟きは、戦場に似合わぬほど甘美な響きを持っていた。

 うっとりとしたその目が、アサヒを捉える。

 視線がアサヒに向けられる。

 アサヒの背中に汗が伝う。

 今、癒しの力は――敵に届いている。

 それでも、自分が止めたら、キサラギが削られていく。

(どうすれば……どうすればいい……?)

 刀を握る手の力が緩んだその時、キサラギの声が届いた。

「やりつづけろ。何度でも、俺が抑え込む」

 それだけだった。命令ではなく、確認でもなく、選択を預ける一言。

 アサヒは息を飲む。

 迷っても、信じてくれている。

 その事実だけが、震えそうな足を支えた。

 だがその直後――

 スールの体が、異様な軋みをあげてうねった。

 「――祝福が、強まった」

 バキッ――。

 骨の割れる音。

 スールの腕の内側から、白く鋭い“刃”が生えはじめていた。

 それは皮膚を突き破り、まるで神像の装飾のように滑らかな光をまとっていた。

「ああ……神様がまた……新しい力をくれたんだ……!」

 恍惚としたその声が、観客席にまで響いた。

 キサラギが一歩、スールの懐に踏み込みかけた瞬間、

 骨刃が風を裂きながらうなりをあげて突き出される。

 まるで、刃そのものに意志があるかのように。


***

「あーあ、ずいぶんとわかりやすいお馬鹿さんなんですねぇ」

 甘く澄んだ声とともに、光は静かに扉を開けた。

 そこは、セレナたちのいる部屋とは正反対――建物の北端に位置する警備用通路の一室。

 中には、すでに複数の護衛たちが床に倒れていた。

 完全に意識を手放している。呼吸はある。だが、目を覚ます気配はない。

 その中央に立っていたのは、一番最初に姿を消していた近衛兵。

 ユルザの内乱終結後、新たに配属された新参者だった。

「もしかして、どっかの国のスパイですか?こんなに簡単に場所特定されるのって、情報管理どうなってるんですか?」

 光の声音は、まるで天使のように無邪気。

 だが、その言葉の刃は鋭く、相手の神経をじわじわと削っていく。

「……お前みたいな小娘にばれたところで何の問題もない」

 近衛兵は苛立ちにまかせて銃を構えた。

 その瞳にはまだ、光を“ただの少女”だと思う油断があった。

 光はため息をつくように、ゆっくりとフードを下ろす。

 ――さらり、と金の髪が肩を流れ落ちた。

 その瞬間、空気が変わった。

 金糸のように美しく揺れる髪。

 宝石のような瞳。

 そして、花のように微笑む口元。

 「――僕の目、ちゃーんと、見てくださいね」

 その声とともに、近衛兵の視界が、ぐにゃりとねじれた。

 地面が沈み、天井が渦を巻く。

 まるで自身が吸い込まれていくような感覚。

 視界の中に、異形の影が現れる。

「う……うわ……あ、あああああああ!!!」

 悲鳴。

 どす黒い瘴気の中、異形の怪物がぬるりと姿を現した。

 ねじれた口、数えきれぬ手足、空洞のような瞳。

 その怪物が、まっすぐに近衛兵に手を伸ばしてくる。


「僕ね、お仕置き得意なんです」


 光がやさしく、微笑んだ。

 ――次の瞬間。

 バタン、と鈍い音を立てて近衛兵は床に崩れ落ちた。

 動かない。けれど、命はある。

 目を見開いたまま、失神していた。

 くるりと髪を払いながら、光はあっけらかんと言った。

「おおもとの排除は完了、と」

 フードをかぶり直すと、彼女はまた影へと溶けていった。


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