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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録
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癒しの刃

 ざわめく会場の中、ふたつの影が戦場へと進み出る。

 ひとりは、薄布のような衣をまとった青年。手足には無数の裂傷が走り、そのすべてが“古傷”ではなく、“今この瞬間の証”であるかのように赤く光っている。

 もうひとりは長髪の青年で、無言のままその隣に立つ。感情の抜けた顔で、それでいてどこか満ち足りたような微笑を浮かべていた。

 スールの唇がふわりと開いた。

「……あーあーあー……また会えた……嬉しいなぁ!」

 言葉の音は優しくすらあったが、その目は“人の目”ではなかった。どこか、何か、底のないものを見ている。

「……予選で、キサラギと焔羅がカギ取り合った人……だよね?」

 アサヒが、声を潜めるように言った。

 キサラギは短く返す。

「あぁ。ちょっとめんどくさい相手だ」

 その声はどこまでも冷静で、けれど確かな警戒を含んでいた。

 そのやり取りを聞いたかのように、隣の男――ガロが静かに口を開く。

「君らのおかげで、この子は、前より強くなってる。ね?」

 あまりにもみすぼらしい風貌の男が、首をかしげながら不気味に笑った。

「…また厄介なのが増えたな」

 キサラギのぼやきは静かに落ちた。

「中堅、前へ!」

 アナウンスの声が響く。アサヒは思わず、呼吸を詰めた。

 そして、ガロは嬉しそうに自らの腕を爪で裂いた。細く血がにじみ、そこから淡い光が立ち上る。

 それを見たスールは一歩近づき、その痛みを“受け取るように”目を閉じた。

 ふたりの間に、奇妙な“共鳴”が生まれる。

「…楽しくやろうよぉ、お互い」

 スールの声が、ねっとりと会場に響いた。


***

 会場の熱気とは裏腹に、光はひとり、冷えきった裏通路を進んでいた。

 観戦している人々の背を横目に、フードの影から端末を操作する。

「……今、敵の位置だと思われる場所を共有しました。セレナ姫を狙っているのは、おそらく五名」

 光は小さな声で、無線機へと声を落とす。

「……僕は、少し気になる件があるので、別行動を取ります。申し訳ないですが、狙撃手の処理は、お二人にお任せを」

『……了解』

『了解でーす』

 通信の向こうから返ってきたのは、紫と焔羅の短い声だった。

「さて――と」

 つぶやきとともに、足を止めることなく、通路を抜けてゆく。

 その眼差しは、ある一点を正確に見据えていた。

 “気になる件”――

 それは、会場の中に紛れ込んだもうひとつの「火種」。


***

 アサヒたちの内心は、決して穏やかではなかった。

 ――なぜなら、状況は次鋒戦の時から、何も変わっていない。

 セレナを狙う影は未だ排除されておらず、観客席の脅威は続いたまま。

 そんな中で彼らに課せられたのは、“試合に勝つ”だけではない。

 時間を稼ぐこと。

 それが、この戦いにおける最低限の使命だった。

 こんな状況の中、一番悪い相手にあたってしまった。

「…本当にやっかいだ」

 アサヒが小さく息を吐く。思わず言葉が漏れるのも無理はなかった。

 この相手、スール。

 長引けば長引くほど、“痛み”を力に変えて加速していく。

 倒せば倒すほど、逆に完成していく“狂信者”に、下手な小細工は通用しない。

 しかも今のスールには、もうひとつの“強化要素”がついている。

 ガロ――あの不気味な支援者。

 彼が、スールの痛みを“共有”し、こちらの痛みさえも自身たちの力に変えてしまうのだ。

 胸の奥が、微かに冷たくなる。

 初めて感じた“自分の能力が敵に通じる”という恐怖。

「動揺するな。戦況はお前の内に映る」

 その声は静かで、短い。けれど、アサヒにとっては確かな“揺るがない地”のようだった。


***

 熱気のこもる鍛冶場。

 まだ星鉄を求めていた時。火花が散る中、クロガネの刀を打つ背をアサヒはじっと見つめていた。

「星鉄って、そんなにすごい素材なの?」

 問いかけると、クロガネは手を止めずに答えた。

「各国の国剣にも使われるくらいだな」

 わかりやすい指標を提示するクロガネにアサヒはきょとんとした顔をする。

 その反応に、クロガネは少し眉間にしわを寄せながら続けた。

「……まぁ、星鉄自体が強いというよりは、“使い手”に左右される。力を増幅したり、遠くまで運んだり、方向を定めたり、あるいは全方位に放出したり……」

 クロガネは刀を打つ手を止めずにつぶやく。

「反響板のようなものだ。鏡のような素材。つまり――“力をどこに届けるか”は、自分次第ってことだ」

「…そっか」

 アサヒは言葉に詰まりながらも、静かに頷いた。

「もっとも、それは星鉄が採れてからの話だけどな」

 鍛冶場に、金属を打つ音が高く鳴り響いていた。


***

(反響板。届ける力は、自分次第)

 アサヒは、その言葉を何度も心の中で繰り返す。

 今の自分にできることは何か。――答えはひとつだ。

 時間を稼ぎ、その間にキサラギの体力を極力削らせず、支え続けること。

(……任務に来る前、紫さんとニアにも練習付き合ってもらったし。できる、はず)

 そう自分に言い聞かせるように、アサヒは勇者の剣の柄を強く握り直した。

 その瞬間――

 先手を取ったのは、スールだった。

 真っ白な装束をなびかせながら、狂気じみた軌道でキサラギめがけて跳びかかってくる。

 その体は無防備にさえ見えるのに、一歩一歩が異様なまでに力強い。

 キサラギは即座に拳銃を抜き、その攻勢を迎え撃つ。

 キサラギは最小限の動きで体を傾け、拳の軌道を紙一重で外した。

 続けざまに、スールの肘が振るわれ、キサラギの腹部を狙う。

 鋭い。

(肉弾戦特化……いや、拳そのものが“武器”か)

 キサラギの目が細められた。

 拳を振るうたびに、骨がきしみ、血が散る。

 だがスールはその痛みを悦楽に変えるように、うっとりと目を細めて笑っていた。

「もっと……もっと、ちょうだい?」

 まるで快楽を求めるかのように。

 キサラギはそれ以上の言葉を返すことなく、淡々と応戦を続ける。

 だが、小さな切り傷が積もり始めていた。

「……っ、今!」

 アサヒが息を詰め、剣を構えた。

 キサラギの動きに乱れはない。けれど、積み重なる損耗を癒すなら、このタイミングしかない。

(届けるんだ、正確に、キサラギにだけ――)

 魔力を集中させる。

 意識を一点に絞る。

 勇者の剣が、うっすらと緑に染まる。

 癒しの光が、キサラギを包み込んだ――はずだった。

「ふふっ……ああ、また……あったかいのが来た……!」

 スールが、体を震わせて笑った。

 その腕の傷が、明らかに回復しはじめている。

 それだけではない。スールの肌がうっすらと発光し、次の一撃へとさらなる力を込めていく。

「……な、なんで……!?」

 アサヒの目が見開かれ、言葉が漏れる。

 ガロが、静かに彼の方を見ていた。

 優しい、しかし冷ややかな笑みをたたえながら。

「君の癒しは、とてもやさしいんだね。

 全部に届いてるよ、ほんとうに、全部にね」

 アサヒの背筋を、冷たいものが走る。

 意図していなかった。制御したつもりだった。

 だが――“全方位に、届いてしまった”。



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