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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録
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編みなおされる記憶

 スタジアム上段、陽の当たる特別観覧席。

 各国の元首や大臣たちが整然と並び、フィールドを悠然と見下ろしていた。

 ――そこに、ただ一人だけ緊張を隠しきれない姿があった。

 王女、セレナ。

 真紅のドレスと薄い金の飾りをまとい、微笑を保ちながら椅子に腰掛けている。

 だが膝の上で握られた掌は、震えぬよう強く組まれていた。

 (……視線。どこからも)

 重なる違和感に、そっと視線を上げる。

 ラウ=ミディア帝国の老宰相が、仄かに笑みを返してくる。

 その笑みには一片の温もりもなかった。

 この“観戦”は、外交の場でもある。

 各国は表向きには大会の成功を祝福しているが――

 裏では、ユルザ王国がこれ以上力を持つことを望んでいない。

 ユルザには、精霊の森、光る鉄鉱、薬草林、精製水の聖湖――

 他国にとって喉から手が出るほど欲しい資源がある。

 “強国”という印象がつけば、侵略も圧力も通じなくなる。

 ――だからこそ、ユルザを「勝たせたくない」のだ。

(勝てば国内は安定する。でも、勝てば周囲が黙っていない)

 セレナは唇を噛んだ。

 頭の中では、父に教えられた交渉の技術が反復される。

 “勝って、なお弱く見せる”。そんな芸当が必要になるのだと。

 しかし、今、セレナは窮地に立っていた。

 護衛の一人からの連絡が、突如として途絶えた。

 それを皮切りに、次々と……今や全ての連絡が沈黙している。

 観覧席の隅に設置された魔導端末が、断続的に警告を発していた。

「監視班、反応なし。通信遮断。複数ポイントから消失」と、無機質な報告。

 異常だ。これは明らかな“敵意”だ。

 すぐに視線だけを動かして、観覧席の上空へと目を向けた。

 光の加減に紛れるようにして、建築の影。

 そこに、細く輝く何かが一瞬、風に揺れた。

 長距離用の銃――狙撃兵。

(……やられた、狙ってる)

 喉が強張る。

 周囲の貴族たちは、笑顔のまま品評を続けている。

 誰も、彼女を守ってなどいない。

「……ユルザの国は、内乱の後始末に追われて、護衛すら雇えぬと見える」

 意地の悪い声が、耳に届く。

 言ったのは、ラウ=ミディアの王その人。

 その言葉に呼応するように、小さな笑いが席のあちこちで漏れた。

 誰も、助けてはくれない。

 護衛も、もはやいない。

 孤立無援の王女。ただ一人。

 それでも、彼女は背筋を崩さない。

 視線を逸らさず、表情一つ揺らがせない。

(ユルザは――戦っている。アリーナの中でも、外でも)

 冷たい風が頬を撫でる。

 その奥で、狙撃手の照準が、なおも彼女を捉え続けていた。


***

 ――金属と金属がぶつかる、重く鈍い音。

 焔羅の斬撃が、ファーニスの盾に弾かれる。

 衝撃で腕がしびれ、焔羅は数歩、後退した。

「……打っても、全然響いてこねぇ……」

 呻くようにこぼした焔羅の声に、キサラギも眉をひそめる。

 ファーニス。

 漆黒の重装鎧をまとい、表情一つ変えず剣と盾を振るう。

 その一撃一撃には“駆け引き”の気配がない。

 あるのは、ただ――無慈悲な“命令”の遂行だけ。

 キサラギは一瞬、距離を取って銃を構える。

 だが、ファーニスには“隙”がなかった。

 弾道を読まれている。反応が速すぎる。

 まるで、撃つ前からこちらの意図を知っているかのような動き。

(……おかしい)

 キサラギは、僅かに目を細める。

 ――あまりに完璧な防御。無言。無感動。

(……なんだ、こいつ)

 どれだけ攻撃を加えても、ファーニスはまばたき一つしない。

 その目の奥の光さえ、ただの“明滅”にしか見えなかった。

(感情が……ない)

 戦場に立つ者なら、ほんの僅かな焦りや緊張が仕草に出る。

 だがこの騎士には、それが一切ない。

 キサラギは、無意識に喉を鳴らす。

(本当に……人間なのか?)

 そして――理解する。

(いや。これは、感情を“奪われてる”。あるいは、“捨てさせられてる”)

「……あいつ、“心”がない」

 キサラギの低い声に、焔羅が小さく目を見開いた。

「相手の仕込み……ってことか」

 焔羅の目が、後方の少女を捉える。

 ミィナは相変わらず、穏やかに笑っていた。

 けれどその微笑みの奥にあるのは――

 人を“人形”に変える、冷ややかな支配の意志。

 刹那、焔羅の足元に、重く影が落ちた。

 ファーニスが、無言で斬撃を振るう。

 冷たい斧のような剣――殺意だけを乗せた一閃。

 焔羅は、かろうじて身をひるがえしてかわす。

 だが振り返ったその瞳には、いつもの焔が戻っていた。

「……これはまた、えぐいことするお姫様だな」

 軽口の裏に、確かな怒りがにじむ。

 焔羅の剣が再び、ファーニスの鎧に火花を散らした。


***

 ミィナは金糸のような髪を靡かせながら、悠然と後方にいた。

 刀や弾丸を打ち込む男たちを目を軽く細め眺めていた。

(感情が欠けたことに気づいた? ……でも、無意味よ)

 ミィナは謎の万能感に駆られていた。なぜならミィナには誰もが自分の言うことを聞くという自負があったからだ。

(先に仕留めるなら、あの男ね)

 ミィナの視線が焔羅を捉える。

(ああいう男は、一人で生きられないものよ)

 ミィナが静かに手を上げると、再び甘い香りが会場を包んだ。

 記憶の底に、糸のような魔力が沈み込む――


***

 焔羅の記憶が、ふたたび揺れる。

 小さいころの記憶で、一番尊い時間。

 二人だけの荒んだ館。

 紫の髪に櫛を通す。さらりとした髪がうなじの紫水晶を撫でる。

 刹那、紫だった髪の毛が金糸の長い髪に変わる。

 (……なんだ、これ)

 違和感。けれど次の瞬間ノイズのようなものが走り、また見知った光景が見える。

 縁側で見た二人で見た夕日。

「こんな…まじまじと見たことなかった。」

 そう微笑むむらさきの塊。が金色に変わる。

 ――確かにあった記憶。だがまばらになっていき、そして夢のような何かに塗り替えられていく。

 再び、ノイズが走る。

 冷たい地下室。外される目隠し。血塗られた妹が倒れている。

 ――あぁ、殺そう。

 そう静かに思った日のこと。

 願いはすぐに叶えられた。

 赤い霧が、静かに、確実に広がっていく。

 刃が走るたび、肉が裂け、血が宙に弧を描く。

 それは雨粒が水面に落ちるような静かな破壊。


 血塗れの白衣の山の中、に静かに立っていたのは――――。


***

「あなたの記憶……少しずつ、綺麗にしてあげる」

 焔羅の動きは緩やかになっていた。

 ミィナの視線は、彼だけを見ている。

 ゆっくりと下げられる焔羅の切っ先。

「…おい…焔羅…」

 キサラギが声をかける。だが返答はない。

 焔羅の足が、ミィナへと向かう。

 観客がどよめく。

 フィールドの中心に、ゆっくりと近づいていく焔羅。

 そして――

「……悪くないな、こういうのも」

 静かに呟いて、その場に立った。

 まるで服従を示すように、片膝をつきかけ――

 

 その瞬間、キサラギの視線と、焔羅の手元が重なった。

 ほんの一瞬――人差し指が、地面を“カツン”と弾いた。

「……焔羅」

 キサラギがわずかに眉をひそめる。


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